【アニメ考察】アニマと象徴宿る椅子ー『ポレットの椅子』

監督:石田祐康 制作:スタジオコロリド

 

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●スタッフ
監督:石田祐康/キャラクターデザイン・アニメーションディレクター:新井陽次郎/音楽:浜渦正志
制作:スタジオコロリド

WEBサイト:ポレットのイス // アニメーションスタジオ スタジオコロリド (colorido.co.jp)

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

概要

 第三に取り上げる『ポレットの椅子』はノイタミナ十周年記念に制作された短編アニメーションである。ノイタミナ枠のテレビアニメにおいて、2014年4月期から冒頭の映像ジングルに、本作の主人公ポレットと椅子がモチーフとして使用されていた。2014年4月期で「ミナとノイタン」のアニメーションにバトンタッチして、現在では使用されていない。

 本作は短編作品『陽なたのアオシグレ』の翌年に公開されている。先ほど検討した『フミコの告白』、『rain town』の自主制作アニメーションから『陽なたのアオシグレ』のスタジオコロリドでの制作を経た、単なる記念作品と言えない魅力満載の本作をチェックしていく。

 

(『ポレットの椅子』以前の『フミコの告白』や『rain town』以後の初めての劇場監督作品『陽なたのアオシグレ』についても、参照ください。「まとめ」では、三作品との関連性に記しています。)

 

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特徴・魅力

椅子とポレットの絆

 『ポレットの椅子』の主人公は、内気な少女ポレットである。草木生い茂る田舎の町に住む彼女は、その性格のために、同年代の少女たちに声をかけることができない。彼女はいつも、自宅近くにある木陰に絵本や人形を置き、木でできた簡素な椅子に座って一人で遊んでいる。

 ある日、いつものように、近隣の少女たちの様子を横目で眺めるだけで、声をかけられず、木かげの椅子に座って泣いていた。そんなとき、椅子が動き始める。椅子は彼女に座るよう促し、彼女を乗せて軽やかに飛び跳ね、野原を駆け出す。そのまま、彼女を少女たちの元へ、投げ出してしまう。彼女たちの前に投げ出されたことがきっかけで、少女たちと友人になることができる。年齢を重ね、都会の学校に進学した後も、彼女の悩みに椅子が彼女を乗せ、駆けだして彼女の背中を押す。

 ストーリー概要は以上のようである。ここで注目したいのは、私たちを楽しませる椅子の動きそのものだ。もちろん無機物が動き出すという展開は、アニメーションの歴史の中で、ある展開である。普段動かないものが動きだすことは、驚きをもって、新鮮な感覚でその動きを楽しむことができる。動き出した椅子は、彼女が座るのを支えるだけの存在ではなくなる。

 椅子は本来の用途からして、人間が座り、その体を支える役目を果たす。種々のタイプの椅子が存在し、小さい頃から使用する家具だが、それゆえに、成長と共に、買い替えられるものでもある。そのような椅子が、内気なポレットを自分の背に乗せ、風を切る楽しさを教え、最後には、彼女が周囲とうまく関係を築けるように、いささか乱暴な仕方で、彼女の背中を押す。

 私たちは椅子に座り、椅子から支えられている。背もたれにもたれる反作用で、背中に物理的な力を椅子から受ける。のみならず、私たちは椅子に座った経験や時間から心理的にも支えられ、背中を押されている。小学校で座る木の椅子は、あの固さと共に、特徴的な簡素な見た目から小学校時代の記憶を蘇らせてくれ、学習机に付随する椅子は、勉強の記憶を喚起し、試験で自信を持たせることもある。また、その椅子は体の成長と共に切り替えをすることで、私たちの成長を実感させ、さらなる成長の後押しをしてくれる。

 椅子がポレットに対して、「話しかけてみなさい」と言わんばかりに、彼女を少女たちの前に投げ出す。そのような意図を感じられる点では、上記した心理的にも背中を押されていることと同様である。

 

椅子と偶然のきっかけ

 椅子が心理的に人々を支える、という点をポレットの椅子が象徴的に表しているのとは、別の点に本作に注目する。それは偶然性である。または人間ではない椅子による背中の押し方とも言える。椅子は、ポレットが人間関係で怖気づいているときに、自分にポレットを乗せ、駆けだす。駆けだしたのちに、人間関係の当事者がいる場所に、ポレットを投げ出す。一度目は、田舎町の野原で、柵内にいる少女たちの前に、ポレットを投げ出し、二度目は、小高い丘の上からポレットを投げ出し、中間でトスをして、周囲を同級生に囲まれた木の下に投げ出している。

 本作での関係性は、三者関係を取っている。ポレット、ポレットの背中を押す椅子、そしてポレットが仲良くなりたい同年代の少女たち。ポレットは同年代の少女たちと仲良くしたい、でもきっかけがないし、勇気も出ない。ポレットが彼女たちに声を掛けようにも、彼女が持っている仲良くなりたいという気持ちだけでは不十分なのである。それには、何かきっかけが必要である。

 この何かがポレットの椅子が体現する。ポレットの椅子は、上記したように、自分を作り上げるものであるがゆえに、心理的にポレットの心を押すという役目を果たしている。それだけではなく、椅子は外的な偶然を生み出している。いわばきっかけを作っている。同年代の少女たちに近づくこともできないポレットを強制的に、彼女たちに近づかせる。話さないといけない状況を作り出す。偶然性を感じるのは(より正確にはそう解釈できるのは)、椅子が人間ではないため、そこに意図を感じさせないし、さらに言うと、「椅子に意図がある」ように、彼女が振舞う描写がないからだ。偶然投げ飛ばされて、彼女たちに声を掛けざるを得ない状況に至って、初めてポレットは行動する。

ポレットの椅子は、一方では、ポレットの精神的な血肉となり彼女の背中を心理的に押しているとともに、他方では、ポレットと少女たちを繋げる偶然のきっかけを作り出している。

 上記で確認したのは、椅子が二重の象徴を担っていること。友達の椅子として心理的に支えること、無機物の椅子として偶然のきっかけを作り出すこと。これが『ポレットの椅子』の椅子が体現・象徴していたことだ。

 

まとめ

 ここでは、椅子が駆けるおもしろさ、椅子が担う二つの象徴を読み解いて、『ポレットの椅子』の魅力を明らかにしてきた。端的に『ポレットの椅子』を評すると、椅子にまつわる、目には見えない効果を、少女の友達が作りたい思いに寄り添う形で、映像化した作品が本作『ポレットの椅子』と言える。

『ポレットの椅子』と『フミコの告白』の共通点は、駆ける動きのおもしろさである。したがって、ここまで見てきたよう『フミコの告白』と『rain town』と繋がりは見られる。とは言っても、『ポレットの椅子』は『フミ子の告白』の嫡子としてその魅力を受け継ぎつつも、親なる『フミコの告白』を超えていく。

それは、方法こそ違えど、『rain town』の場合と同様である。『rain town』では、『フミコの告白』から運動を表現する際の工夫が見られた。静止を利用し運動を見せる、また静止を利用して音に注目させ、その強調された運動・音が彼らの物語に特別性を付与している。

 話を『ポレットの椅子』に戻す。『フミコの告白』では、恋心の形で、フミコが運動のエネルギーを持っていたのに対して、『ポレットの椅子』では、ポレットは自分では友達を作れず、そのようなエネルギーを持っていない。そこを埋めるのが、椅子である。

『ポレットの椅子』では、複雑化という進展が見られた。すなわち、「駆ける・飛ぶ」を『フミコの告白』、『ポレットの椅子』も大切にしており、『フミコの告白』はフミコのエネルギーが直接に行為の原因となるが、『ポレットの椅子』では椅子という介在者を登場させ、ポレットが人と親しくなる過程をファンタジー的だが、的確に描き出している。フミコは、振られたショックで駆けだした自らのエネルギーと坂を駆け下りた坂によるエネルギーの勢いから再告白をした。ポレットは、自分のではない椅子が作り出したエネルギーを受け取り、背中を押された慣性のまま勢いで仲良くなる。

 また、『ポレットの椅子』の椅子は『フミコの告白』、『rain town』、そして『陽なたのアオシグレ』から新たな挑戦を遂げている。前三社が、「私」と「あなた」に閉じられた二者関係だったのが、『ポレットの椅子』では、前述したように「ポレット」、「椅子」、「少女たち」になる。しかも「少女たち」は「私」を内に含む閉じられたコミュニティではない。そこは開かれた世界である。

 さらに、『陽なたのアオシグレ』とも比較することができる。陽向が時雨を追いかけるきっかけになったのは、二人を結び付けた鳥小屋であり、鳥(たち)である。それらは、いわば彼らだけの閉じられた世界にある二人だけの繋ぎ目と言える。『ポレットの椅子』でポレットと少女を繋ぐのは、椅子である。椅子は、ポレットと少女たちが共通して持つ個人的な結節点ではない。椅子自体は単なるポレットの椅子である。しかし、椅子は二つの象徴的な役割を担う。それは、象徴であるため、ポレットや少女たちにのみ当てはまるのではなく、私たちを含めて普遍的に妥当するよう志向している。また、こ『ポレットの椅子』の普遍志向の証左となるのが、普遍的な妥当を目指すがゆえに、「ポレット」には固有名詞が付いているが、「椅子」は普通名詞で名指されていることだ。

 

 

『ポレットの椅子』の内容を確認し、それ以前の『フミコの告白』と『rain town』、『陽なたのアオシグレ』との連続性も見てきた。そして今年9月16日公開の『雨を告げる漂流団地』が待っている。『雨を告げる漂流団地』では、何を見せてくれるのか、今から待ち遠しい。