【アニメ考察】呪書と発声と体液—『怪異と乙女と神隠し』1話【2024春アニメ】

©ぬじま・小学館/「怪異と乙女と神隠し」製作委員会

 

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●原作
ぬじま(小学館やわらかスピリッツ」連載中)

●スタッフ
監督・シリーズ構成:望月智充/キャラクターデザイン・総作画監督:谷拓也/プロップデザイン:秋篠Denforword日和/美術監督:榊󠄀枝利行/色彩設計:一瀬美代子/撮影監督:斉藤朋美/編集:宇都宮正記/音響監督:郷文裕貴/音響効果:出雲範子/音響制作:dugout/音楽:小西香葉・近藤由紀夫/音楽制作:フライングドッグ

制作会社:ゼロジ―

●キャラクター&キャスト
化野蓮:山下大輝/化野乙:幸村恵理/畦目真奈美:堀江由衣/シズク:高橋李依/天地のどか:会沢紗弥/時空のおっさん:内田夕夜/姫魚よるむん:大空直美/駅係員:野沢雅子

公式サイト:TVアニメ「怪異と乙女と神隠し」公式サイト (totokami.com)
公式X(Twitter):『怪異と乙女と神隠し』TVアニメ好評放送・配信中⚠ (@totokamiPR) / X (twitter.com)

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

概要

 言葉を発することで起こることのおもしろさが感じられたのが、2024年春アニメ『怪異と乙女と神隠し』一話だった。

 一話のあらすじはこうだ。書店員でヒロイン、緒川董子は、勤務先の書店で、書店に本を置いていくという「逆万引きの本を」プレゼントされる。その本に載っている和歌の一節を声に出して読んだことから、体が縮み若返ってしまう。同じ書店の書店員で、「神隠し」と呼ばれる主人公、化野(あだしの)蓮は彼女を説得して、若返りを解く。呪いの効果を持つ呪書を回収し、事件は解決に終わる。

 ホラーが主となりそうな本作だが、ホラー一辺倒ではなく、コメディ・人間ドラマをも導きいれて、物語は幅広い展開を見せてくれる。さらに、その展開が、今回の怪異、呪書(=「逆万引きの本」)の性質に絡んでいるところもポイントが高い。本を読むには、黙っても、声に出してもできる。呪書の呪いが発動するには、声に出すことが鍵となる。声に出すことは、物語の転換点を導きいれ、さらに人物の変化を引き出すことになる。

 

発声すること_会話・朗読・詠唱・朗読・吐露

 一話では呪書、その名の通り呪いの書が怪異のアイテムで登場する。この怪異のアイテムを、「逆万引きの本」として、董子が受け取ることになる。呪書に書かれた特定の和歌を四つの条件を満たすと、体が若返る、呪いが発動する。その条件は、①時刻が深夜0時ごろ、②月明かりの下である、③28歳以上である、④生娘であること、この条件がそろって、声に出して読み上げて呪いは発動する。

 ①~④の条件を満たし、その状態で声に出して和歌を読み上げる行動によって、呪いが発動する。董子の行動が呪いを発動させ、「声に出すことが本作の物語を転がすことになる。つまり、「声に出すこと」がかなめとなる。発声を軸に見ると、四つの転換点が見て取れる。

 第一に、会話。特に何の変哲もない会話だが、化野と董子の緩く掛け合う中で、二人の人となり、関係性を読み取って後の準備となる。二人の会話を楽しみながらも、「逆万引き」される書店内をカメラワークが、不穏さを醸し出す。

 第二に、呪書を持ち帰った董子が、和歌を読み上げて、若返りの呪いを発動させる。窓に月を収めて、ほろ酔いの中、読み上げる和歌が、読み上げに合わせて画面に書かれる。そこで呪いが発動して、董子の体が幼く変化する。

 第三に、失踪した董子が、化野に追われ、和歌を使いこなして逃走する。和歌を読み上げるから呪文を詠唱する、に明確に変化する。一度唱えて大人になり、もう一度唱えて子どもになる。うまく呪いを使いこなして、董子は化野から逃げおおせることになる。

 第四に、化野に説得された董子が、もう一度和歌を読み上げて、元の姿に戻る。今回は、第二のシーンとは逆である。読み上げた文字が徐々に消えていく。それに合わせて、文字の背後から徐々に大人になっていく董子が現れる。それと合わせて、彼女の感情を声で吐き出す。

 始めから最後まで、発声を軸に、物語の転換点をピックアップ・記述してきた。書店などの会話で二人の情報を集めつつ、後の展開を飲み込みやすくする。和歌を読む声、画面に表示する文字を使って、フォントでホラー感を演出しつつ、董子が呪いを受ける/呪いを解く、様子を印象付ける。前者の展開が怪異の物語、すなわちホラー展開を導入し、間に二人の呪書を呪文として扱い、コミカルな逃走劇を挟みつつ、後者の呪いを解くところで、董子は心情を吐露し、董子の苦悩、それを応援する化野、二人の人間ドラマが現れてくる。

 会話、朗読、詠唱、朗読、吐露という発声によって、情報を提示し、ホラー・コミカル・ドラマを導きいれる。だが、声を発して導きいれるのみならず、引き出しもする。

 

言葉から出る体液_血・汗・涙・鼻水

 声が引き出すもので、感情など真っ先に思いつく。しかし、ここで言及したいのは、もっと具体的なものである。それは血・汗・涙・鼻水の体液である。呪いに体を蝕まれる、あるいは全力で走る、感情が表に出る、などの董子の行動に応じて、彼女の体液は流れ出す。

 体液は、本作が描く物語・物語世界・ドラマのリアリティ、を担う。要するに、具体的には、血はホラーのリアリティを生み出し、汗は物語世界のリアリティを保証するし、涙・鼻水は董子が抱える苦悩、呪い体験と化野の言葉による心境の変化というドラマを成立させている。すべて、リアリティに関わっている。

 呪いのヤバさを感じるのは、小さくなったこと、記憶が錯乱していることだが、二つを実感しても、董子は動揺していない。両者を無視して、今の体・今の記憶を無視しても、すなわち今の生活を捨ててでも、過去の栄光を取り戻したいという悩みを解消する方が彼女にとっての優先事項だからだ。その彼女を最も動揺させるのは、生命の危機である。健常者ではありえない量の吐血が、彼女の動揺を誘い、視聴者も同様に彼女の変化が呪いであることを思い出す。そうした意味で、ドロッとした吐血のシーンは、呪いを受けた恐怖を演出する。

 汗・涙・鼻水、残りの要素は、もっと一般的に、物語世界のリアリティを保証し、ドラマを成立させてくれる。走れば汗が出るし、感情が高ぶれば涙が出て、鼻水も出る。そのような世界の常識を描きつつ、逆面からは、汗が出るほどに走って逃げる必死さ、涙・鼻水を出すほどに彼女の苦悩は深く、化野の言葉が染み入ったことが端的に示される。

 こうして液体が、リアリティを、保証し、補完することで、本作はホラー・コメディ・ドラマを楽しむことができる。

 

まとめ

 声に出すことで、ホラー・コメディ・ドラマを導入すること、そこから体液を引き出すこと、という二つの観点から、『怪異と乙女と神隠し』一話を見てきた。会話・朗読・詠唱・朗読を軸にして、情報提示を手掛かりに、ホラー・コメディ・ドラマを楽しみつつ、言葉によって引き出された、体液が、それらを保証し・成立させている。こうした、ホラーからコメディへ、そしてヒロインのドラマまでを展開させてくれるところに本作のおもしろさがあった。しかも、それを流動的な液体で強固にリアリティを固めている。

 今回は、呪書と発声というセットで見たが、次なる怪異とセットとなる演出はどのようか楽しみだし、化野や彼の妹の正体、などなど期待する部分はたくさんある。次話以降も楽しみである。