【アニメ考察】演出諸々について―『トモちゃんは女の子!』8話(Bパート)

©柳田史太・星海社/トモちゃんは女の子!製作委員会

 

 
●原作
柳田史太『トモちゃんは女の子!』(星海社COMICS)

●スタッフ
監督:難波日登志/副監督:橋本能理子/シリーズ構成:清水恵/キャラクターデザイン:平岩栞/総作画監督:神谷美也子・谷口元浩美術監督:舘藤健一/美術デザイン:舘藤健一・岡本好司(VECTART)/色彩設計山崎朋子/撮影監督:村野よもぎ子/編集:定松剛/音響監督:土屋雅紀/音響制作:INSPIONエッジ/音楽:横山克

アニメーション制作:Lay-duce

●キャラクター&キャスト
相沢智:高橋李依/久保田淳一郎:石川界人/群堂みすず:日高里菜/キャロル・オールストン:天城サリー/御崎光助:天﨑滉平/田辺達巳:松岡禎丞

公式サイト:「トモちゃんは女の子!」 TVアニメ公式サイト (tomo-chan.jp)
公式Twitterトモちゃんは女の子!TVアニメ公式 (@tomo_chan_ani) / Twitter 

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

概要

 2023冬アニメ・『トモちゃんは女の子!』は、Pixiv発、柳田史太の同名マンガを原作とする、アニメーションである。ケンカに強くボーイッシュな見た目から、女の子扱いされない主人公・智と彼女が思いを寄せる淳一郎の二人が時に激しく、時にコミカルにぶつかり合うラブコメ作品である。テレビアニメ八話では、Bパートの絵コンテ・演出・作監・原画を、駒宮僅の一人が担当していることも話題に上がった*1*2。制作工程の四つを一人が担当したことにより、個性溢れる八話Bパートの演出を見ていきたい。

 八話Bパートのあらすじはシンプルなものだ。智と因縁のある不良グループが、智への復讐を画策する。彼らは、智の友人であるみすず・キャロルを利用しようとするも、智・淳一郎・御崎により、返り討ちに遭う。この大筋の中で、みすずは、智と淳一郎の関係が進展することに居心地の悪さを感じており、彼女の複雑な心の機微が示唆される。

 本ブログでは、八話Bパートについて、三点に着目したい。第一に、画面に映さないことで、感情・驚きを効果的に生み出す演出、第二に、逆光により、本作で唯一温厚な御崎の憤怒を印象付ける演出、第三に、映像で状況説明しながら、心地よくかつテンポよく仕上げる演出である。

 

映さないで、際立たせる

 アニメーションであれば、表情・行動・動きなどの視覚的情報は画面に映して知覚されて、初めてその情報を伝達することができる。しかし、Bパートでは、注目点を「見せない」時間を作ることで、続く「見せる」時間を効果的に演出する。Bパートでは、このような「見せない・見せる」という基本的な演出が多用され、印象に残るシーンを作り出している。以下では、三つの例を取り上げて、上記演出をどのように使用しているか見ていく。

 

キャロルのスタンガン

 みすずが不良グループに絡まれているとき、キャロルが登場するシーンである。彼女は、おもむろにスタンガンを取り出し、不良グループのリーダー(以下、リーダー)に向かって、スパークさせる。

 「待って~」と発して、かばんを探りながら不良グループに近寄るキャロルは、次ショットで頭のみがひょこひょこと動く様子が映り、スタンガンのクローズアップ、そしてスパークされるリーダーのショットが続く。手元・歩く動作含めて、キャロルの動きを完全に見せないショットを入れることで、他の登場人物同様に、視聴者にも、キャロルの行動、凶器であるスタンガン、スパークするリーダー、すべてから衝撃を与えることができる。加えて、本ショットでは、キャロルの緩慢な動作を極力見せず、不良グループにカメラポジションを合わせ、彼女の動作を映さず、視聴者の意識を逸らす。それによって、決して機敏ではないキャロルが、意図せず隙をついて、距離を詰め、スタンガンを使用できたことに説得力を付与してくれる。その部分に説得力があるからこそ、直後に満足げな顔をしていたキャロルが、みすずの手を振りほどくため、回転して転ぶシーンに、みすずを助けだした手際のよさと転ぶドジさのギャップで、愛すべき滑稽さが生まれる。

 

「友人のようなもの」の顔

 次に言及するのは、みすず・キャロルの二人が、逃げ隠れた廃工場でのシーンである。みすずから「ただのクラスメイト」と言われ、拗ねてしまったキャロルに、みすずは彼女に本当は「友達のようなもの」と伝える。それを聞いたキャロルは、喜びを露わにみすずに抱き着こうとする一連のシーンである。

 ここで、見せない・見せる演出により強調されるのは、キャロルの表情である。廃工場内から二人をロングショットで収め、キャロルは、みすずに対してそっぽを向く。首から上が画面外に置かれたキャロルの方向からみすずを映すショット、そしてみすずがキャロルを「友人のようなもの」というセリフ直前に、今度は逆にキャロルの後頭部へのクローズアップにカットバックされる。「友人のようなもの」とみすずが言い切ると、満面の笑みで目を輝かせて、キャロルはみすず方向に振り向く。

 キャロルが、みすずの言葉に、喜ぶ様子が分かりやすく演出されている。また、ここでの効果は、キャロルの感情に演出を付けるだけではない。勘違いから仲直りの単純なシーンにも、キャロル特徴、すなわち「関係ない人とは話しません」のセリフのように、思ったことを口に出し、言葉に反応して手が動くなどの細かな身体動作ではなく、まず表情に感情がすぐに出てしまう特徴が、ここぞとばかりに散りばめられている。

 

夕暮れのみすずの本性

 廃工場に智たちが駆けつけ、無事解決する。みすずは、智の父親が経営する相沢道場の名を使って不良グループを脅し、不良グループを徹底して締め上げる。その直後、廃工場外でみすずが淳一郎と話すシーンで、先ほどキャロルでの演出に類似した、表情にフォーカスした演出が見られる。

 ここでは、首から上が画面外のみすず方向から淳一郎を映すショットとみすずが淳一郎方向に振り向くショットに関して、顔が画面外のショットと振り向きショットが踏襲されている*3。しかし、今回、キャロルのシーンとは少し異なる。キャロルのシーンでは、振り向くショットが、フィックスだったのに対して、みすずのシーンでは、じんわりトラックアップのカメラワークが使われる。そのことで効果に違いが生じる。キャロルのシーンでは、フィックスかつ彼女の顔のクローズアップのため、みすずから「友達のようなもの」と言われ、彼女の喜ぶ感情と彼女の屈託ない単純さを分かりやすく表現していた。それに対し、みすずのシーンでは、じんわり対象に寄っていくホラー的なトラックアップと陽が落ちかけの夕暮れという背景、そして「無傷で帰せるわけないでしょ」という凄むセリフが合わさり、みすずの底知れぬ恐ろしさが、端的かつ的確に表現されている。そして、その「底知れ」なさは、彼女の恐ろしさだけでなく、彼女の表情やセリフから、彼女の本心を容易には読み取れない、掴みどころのなさをも補足してくれる。

 以上、四つのシーンを取り上げて、「見せない・見せる」の演出を見てきた。見てきたどのシーンも、「見せない・見せる」の演出を加えることで、登場人物の思い・感情を伝えつつ、登場人物の行動(+結果)に驚きを生み、登場人物の特徴までも表現するに至っている。

 

逆上と逆光

 Bパート序盤の青空と終盤の夕暮れなど、明暗が印象的に使用されている。次に、光の表現の中でも、逆光の使用に注目して、不良グループに対する御崎の憤怒を、いかに表現したのか見ていきたい。本作で唯一の、「まとも」で温厚な御崎の怒りは、いかに表現されていたのだろうか。

 一連の流れは次のようである。

 御崎は、智と淳一郎が、みすず・キャロルが不良グループに襲われていると話すのを、偶然に盗み聞き、彼も廃工場へ駆けつける。駆けつけた彼の様子は、みすず・キャロル視点を取って、ロングショットでコミカルな動きで、描き出される。そこで彼が見たのは、下着のみのキャロルの姿だった。キャロルが乱暴されたと思った御崎はキレて、リーダーに襲い掛かろうとするところを、智・淳一郎に止められる。

 次にショットを追っていく。注目したいのは、①下着姿のキャロルを見た御崎の正面ショット、②扉を開けた御崎のロングショット・クローズアップの二ショット、③扉と屋根の穴からの逆光を受けながら、リーダーに向かっていく御崎のアオリショットである。

 ①では、下着姿のキャロルを見た御崎の正面ショットが収まる。彼は一瞬で状況を誤って悟る。この段階では、キャロルの状況を見た直後のため、怒りには達していない。そのため、あからさまに顔に影は付けられていない。しかし、彼の目からハイライトが消え、温和な御崎の表情は、普段の表情から程遠いものに変わっている。さらに、彼の背後にある窓からの逆光により、窓の光と彼の顔に強くコントラストが生じる。怒りの「芽生え」の段階が表現される。

 ②の前に、扉の隙間光をカメラがたどっていく*4と、智・淳一郎・リーダーが映る。カメラが隙間光を辿ることによって、自然とその光に意識させられる。扉の音とともに、隙間光が広がる。三人が振り向くのに合わさせショットが変わり、ロングショットで御崎が映る。直前の隙間光とは比べ物にならない光量の光が、彼の背中から降り注ぐ。この時点では、彼の姿は、扉外の光に黒く塗りつぶされたシルエットでしか分からない。続いて、彼の顔へのクローズアップが入る。そこで、先ほど状況を誤解した彼が、「キレた」様子が分かる。頭に血が上り血管が浮き出て、目のハイライトは相変わらず消えているが、怪しく緑に光っている。さらに、逆光により彼の顔全体には影がかかり、その上、顔上部には濃い影が落とされている。

 ショットが変わり、③のシーンでは、カメラ位置が右斜め前から彼を映す。変わらず扉からの光を受け、今度は身体全体に影が落ちている。三人のショットと御崎の口元のクローズアップが挿入され、右斜めからのアオリショットで、御崎を映す。彼は引き続き、上方の窓、屋根の穴から逆光を受けながらも、彼の体が徐々に画面に近寄ることで、画面を覆う。それにより、画面の逆光状態は薄れる。それに伴い、彼の顔に逆光による相対的な暗さが薄れていき、彼の顔に掛けられた影のみが陰影として画面に映りこむ。ついに、怒りの限界を突破した彼は、クローズアップで異様にゆがんだ顔が映され、リーダーに飛び掛かろうとする。

 以上で、ショットの特徴を、御崎の行動に合わせて追いかけてきた。①②③を効果の面で総括してみると、①でキャロルが乱暴されたという状況を誤解した段階で、怒りの芽生えが、逆光により表現される。誤解した直後であるから、彼の顔には、逆光の相対的な暗さが掛かるのみ、彼自身の顔に影(=絶対的な暗さ)は付けられていない。②に移行すると、キャロルの状況を誤解した後、不良グループがいる場所へ駆けつけているので、彼の中には怒りが確実に芽生えている。そのことが、最大限の光量で逆光を付けることにより、キレている彼の怒りの度合いを表現する。また、逆光に合わせて、彼自身の顔に影(=絶対的な暗さ)が付けられる。逆光と、顔に付けられた影により、御崎の怒りが、①の段階から程度的にも質的にも異なる段階にあることが示される。最後に、③はアオリの画面を徐々に彼の体が覆うことで、彼から逆光による相対的な暗さが、彼自身に付けられた影と融合しあう。それにより、彼の怒りは、②とも異なる段階に至り、キャロルについてとぼける不良に、怒り心頭状態に陥り、怒りに呑まれていることが表現される。ついには、怒りに囚われた御崎は、いつもの御崎からは想像できない異形の顔面を画面に晒す。

 

 本節では、逆光の演出を見てきた、逆光によって、本作にて怒りそうにない温厚な御崎が、怒りを露わにしてく表現を確認できた。御崎の怒りは、キャロルが乱暴された(と御崎が誤認した)ことに加えて、そのことをとぼける態度を不良グループリーダーが取った(と御崎は思った)ことで、彼が彼を保っていられる怒りの限界を突破する。怒りの芽生え、怒りにキレた様子、怒りの限界突破、怒りの三段階のグラデーションが、逆光によって明瞭に描き出される。

 誤解が解けた後、御崎の赤面した様子、嬉しそうに御崎に腕を組むキャロルの様子が、彼の怒りの残影から、穏やかな橙色の夕暮れに照らされて、尚のこと眩しく印象付けられる。

 

退屈させないテンポ

 Bパートは、要素が詰め込まれているため、非常にテンポよく進められる。そして、単にテンポがよいだけではなく、心地の良いテンポが映像を支配し、さらには状況・関係性などの物語内容まで説明してくれる。このような魅力は、テンポを作る演出により、統合して作りあげられている。ここでは、不良グループがみすずを襲う前のシーンと廃工場に智登場のシーンを取り上げる。

 

最短でピンチに_ショットの整合性

 Bパートの本筋では、不良グループに襲われた二人の関係性とみすずから智への感情を描いている。そのため、不良グループに襲われるまでのシーンはほとんど重要ではない。とはいえ、重要ではないが、不良グループがみすずを襲うに至った経緯は、しっかりと見せ、物語への違和感が生じる根を断っている。

 シーンとしては、不良が踊り場でたむろして、智のせいでパッとしない、智の友人のみすずを見つけ、復讐のため利用しようと声を掛ける。この一連の流れが、五カットの二十五秒(13:25~13:50)で展開される。ショットとしては、順に、踊りにたむろする不良グループのショット、話者のリーダーがみすずを見つけて指差すショット、下校するみすずを見るリーダーの主観ショット、校門前を歩くみすずの俯瞰ショット、道路を歩くみすずの俯瞰ショットと連続する。この連続で、以下三つの整合性が取れているために、テンポが心地よく、物語としても理解できるシーンになっている。

 第一に、行動の整合性である。不良グループが、みすずに声を掛けた理由が、上記のように、必要最低限提示されている。それにより、不良グループがみすずに声を掛ける行動に、整合性が取られている。第二に、繋ぎの整合性である。リーダーがみすずを見つけてから、俯瞰ショットでショットが繋がれている。それにより、「俯瞰」で繋ぎの整合性が取れ、かつ俯瞰から俯瞰とショットにリズムが生まれている。最後に、時間・場所的な整合性である。みすずの前を囲む不良たちが、いつみすずの前に先回りしたのという時間的な不自然さ、道の真ん中でみすずを待ち構える場所的な不自然さを、俯瞰ショットで画面から排除して、整合性を取っている*5

 ここでは、ショットが整合性を持って、うまく繋がれることで、テンポのよさ・繋ぎの気持ちよさが生み出されている例を見てきた。次に、繰り返しでテンポをうまく作っている例を見ていく。

 

会いたかった二人_セリフの繰り返し 

 言及シーンは、廃工場に逃げ込んだみすず・キャロルが、リーダーに見つかるも、直後、智もその場に駆けつけるシーンである。ここでは、リーダーのセリフ「会いたかったぜ」を軸にして、リーダーと智の登場が繰り返される。リーダーの登場時、このセリフを言い、直後に登場する智もこのセリフを言うことで、テンポよいリズムが生まれる。

 また、このシーンではリズムを作るリーダーの登場・智の登場に対比が作られる。この対比が機能することで、リーダーの登場から智の登場の繰り返しにあるリズムを支えている。二つのシーンを比較して、対比を見ていく。

 リーダーは、助けを待つ二人の脅威となるため、登場時、足元から顔へのパン・アップのカメラワークに加えて、顔に影を落とすことで、威圧感を強調している。つまり、典型的すぎる悪役として、演出されている。しかし、この智という「化物」の登場により、パン・アップと顔の影という演出により、底上げされた典型的悪役の威圧感は、彼女の腕一本で、押し下げられてしまう。

 リーダーよりも、暴力の面で上の智は、リーダーの顔の高さから、さらにパン・アップするカメラワークで表現される。加えて、リーダーとは別次元の強さを持つ智の「化物」性が表現されている。智の「化物」性は四点から演出されている。一つ目に、リーダーの背後に突如、真黒な顔に大きな白目浮かびあって登場の演出、二つ目に、彼女の顔へとパン・アップしていく際、リーダーを抑え込む右手の揺れと斜めにパン・アップしていく動きが、不調和をきたし、挙動がノイズ混じりなカメラワークを取っている演出である。それにより、きれいに下方から上方へとパン・アップしたリーダーとの違いを明確にする。三つ目に、パン・アップ後の、赤目燃える智のクローズアップ、四つ目に、大きく映るも頭を掴まれ怯えるリーダーと小さく映るもリーダーを威圧する智の奥行きが対比になったショットという、ショットの演出である。

 以上により、逃げ隠れる二人とリーダーの関係性、リーダーと智の関係性を的確に表現しつつ、関係性のすべてを映像で説明しきることによって、テンポを全く損なわずに物語の展開が可能になっている。また、お互いの関係性を的確に表現できているからこそ、軸となった「会いたかったぜ」を最初に発したリーダーに、またもや滑稽さが際立ってくる。

 

 

 Bパートでは、作画面でも目が離せなかった。序盤の真っ青な空、中盤の廃工場、終盤の夕暮れと、印象的な舞台・背景が続く。このような背景に決して引けを取らず、存在感を誇示する明瞭な線が作画に魅力を与えている。また、Bパートでは、ロングショットゆえに、棒人形みたくデフォルメされた登場人物たちも描かれる。逃げたみすず・キャロルを追う不良グループ、みすず・キャロルの元に駆けつけた御崎、御崎がリーダーに襲い掛かるのを智・淳一郎で止めるシーンなど、全面シリアスではない、本作とマッチした作画だった。

 以上で、本作の演出と簡単に作画について、触れてきた。Bパートの始めと終わりでは、智と淳一郎の関係性が描かれていた。始め、智を女の子と意識する淳一郎の異常な接し方に悩む智だったが、終わりには、淳一郎との関係性は、「ちょうどいい」接し方に変わった。最初と最後で、智と淳一郎の良好した関係性が描かれる中、その間には、本作の主眼となるみすずの苦悩が描かれる。淳一郎と「ちょうどいい」距離感で、接することができるようになった智と淳一郎二人の関係性、そして智と自分の関係性に悩むみすずたちは、どうなっていくのだろうか。

*1:「こちらLay-duce/作画部・制作部」より(https://twitter.com/lay_duce/status/1628594793000603649)

*2:駒宮僅 twitter (https://twitter.com/Wazuka_kmmy)

*3:シリアスなシーンから落ちが付くのも同一で、かつ落ちの最後をみすずが飾るのも共通している。本作の主役が、みすずにあるということがよくわかる。

*4:そもそも、光を辿っていくカメラワークを行うことで、カメラワーク自体を違和感のようなものにする効果もある。

*5:みすずがリーダーに手をかけられるシーンでは、他にも二つの効果があると考えられる。一つ目は、前後が見えない、そして直前で不良たちがみすずを見つけたシーンから、「不良に襲われるのでは?」という緊張感を高める効果である。また、みすずの後方俯瞰ショットを選択することで、みすずの危機に緊張感を高めていた俯瞰ショットが、身長・立ち位置からリーダーの主観ショットと勘違いさせることができる。こうすることで、リーダーの主観ショットを取って、緊張感を醸成していたにもかかわらず、直後のみすずが振り返って、みすずの眼力にリーダー格がビビる事実により大きな滑稽さを付け加えられる。これが二つ目の効果である。