【アニメ考察】雨と街とロボット、そして少年ー『rain town』

tete_hiroyasu pixivより
(https://www.pixiv.net/artworks/17275921)

 

先述した『フミコの告白』から約一年後に『rain town』は制作された。本作は、石田監督の大学卒業制作作品になる。『rain town』も『フミコの告白』同様に数々の賞を受賞し、彼の名をアニメーション界に轟かせる作品となった。今回はこの『rain town』を取り上げる。

 

(『rain town』以前の『フミコの告白』や『rain town』以後の初めての劇場監督作品『陽なたのアオシグレ』についても、参照ください。「まとめ」では、『フミコの告白』との関連性に記しています。)

 

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●スタッフ/
企画・脚本・作画・背景・編集・音響:石田祐康/彩色・背景:吉田将吾/楽曲提供:小松正史(「Old Capital」「Candle」)

本編:rain town - YouTube

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

概要

 『rain town』は、作品時間約十分と『フミコの告白』よりも時間が伸びている。加えて、ストーリーとしては、『フミコの告白』とは違って、緩やかなテンポで進んでいく。一見して、ハイテンポな『フミコの告白』との違いが際立つ。その印象が正しいのか、『rain town』を詳細に分析した後、一つの視点として『フミコの告白』との類似点・相違点を抉出して、解き明かす。

 

特徴・魅力

雨と静止した世界

 本作の緩やかなテンポはまず、舞台自体から醸し出される。舞台は、雨が降り続ける静止した街である。その中で、祖母宅へ向かう一人の少年*1と街に佇む一体のロボットが出会う。この出会いにも、冒険はなく、雨がさんさんと降り続く中で、淡々と進んでいく。物語としては以上で全てだ。

 『rain town』では、キャラクターとカメラの位置が離れており、ロングショットが大半である。そのため、一日中雨雲が立ち込めて、薄暗くもの悲しげな様子の建築物がキャラクターたちを取り囲んでいるのが印象に残る。そこに淡い雨のフィルターが掛かる。常時見えているために、存在感が薄れている降雨が画面上から下へと絶えず軌道の後を残している。

そのような冷めた画面構成に映る世界にも、光が照らされる。その光とは少年の存在であり、光に照らされるのは忘れられた存在だ。ロボットはかつて、人間たちと暮らしていたが、今は雨降る街に一人で佇む、忘れ去られた存在である。また、ロボットが佇む、雨が降り止まない街も人の営みが皆無な街で、ロボットと同様だ。忘れられた存在であるロボットと街に少年は光を当てる。少年は彼らを目撃し、そこを歩き、手を取り、そして感情を向ける。

彼の黄色いカッパは、薄暗い街、鈍い銀色のロボットに対して、さながら光のようである。現在を生き、成長の時間を刻み続ける少年は、忘れ去られた街やロボットを彼の存在を通して、光を当てていく。

 少年とロボット・街との関係を、少年の志向・色彩の観点で見てきた。また、このことは、動きからも着目できる。人の営みがなく静止した街と常に雨が降ることで、降雨自体が、規則的に繰り返される平凡いう停滞した世界を生み出している。静止・停滞した世界に主人公が登場し、緩慢にではあるが、運動・進展する世界に移行していく。止まっていたロボットや街の物語が、徐々に内部の歯車を駆動させ、動き始める。

 街やロボットに動くものが、降雨という動き続ける停滞しかない中、そこに少年がその身をもって、動きを導入する。そして、止まったロボットと少年が出会うことで、ロボットの物語・時間が動き出す。さらに、そのようなロボットと少年の出会いの舞台として、街も物語に関与してくる。少年の来訪と彼の動き自体から、ロボットや街がある物語が動き出す。

 ここでみたのは、忘れ去られた街とロボットに、主人公の来訪によって光が当てられ、物語が駆動し始める静から動への移行から期待感が生じる、『rain town』の魅力だ。

 付け加えて、この作品には、視覚的な静により、音の要素が強調されている。次に、音の要素を確認する。

 

音のある世界

 音はこの街に降る雨と同じように、私たちの日常で止むことはない。耳を塞ごうと、どれだけ努力しても、音は不可視の存在として、私たちに常時主張を続けている。

 『rain town』で降り止まぬ雨音は、私たちの聴覚を常に刺激する。刺激が一定であるために、雨粒が地面や屋根をたたく音は、動きと同様に、平凡に転化する。つまり、注目すべき対象ではなくなる。そうすると、ロボットや街と同じで忘れ去られた存在になる。

ところで、規則的な雨音の規則性を破壊するのが、これまた少年である。彼が歩くたびに、水たまりの水を飛び跳ねさせ、飛び跳ねた水音と彼の足音が、規則的な雨音に追加される。水音・足音・雨音の音たちが不規則なセッションを奏でる。さらに、ロボットが動き出し、音の不確定要素が増加する。雨音の要素が、注目に値しない平凡から不規則ゆえに注目すべき(してしまう)対象に変貌する。

そのようにして、音の観点から、主人公とロボットの出会いは特別なものに演出づけられる。

それに加えて、ロボットが少女と楽しく暮らしていた過去の映像を覗き見させ、私たちにロボットへの感情移入を促し、感情に訴えかける。忘れ去られたロボットが再び人間に出会うこのシーンは、感情の面から見ても、特別なものとして映る。

 しかし、印象的で感動的なシーンは一瞬で終了する。少年がロボットを引っ張って連れていこうとするも、ロボットは上手く歩くことができず、転んでしまう。転んだ拍子に、体がばらばらになってしまう。少年は、その状況に戸惑い、ロボットを置き去りにして、当初の目的地だった祖母の家へ向かう。ここで少年の気を引いたロボットが、また忘れ去られた存在になるのかと思わせられる。最終的には、少年と祖母がこのロボットを迎えに来て、温かな終わりになる。

特別な出会いから一変、壊れたロボットが過去の境遇に戻ってしまうように思われた。しかし、少年がロボットの元に戻ってきて、ロボットを連れて帰る様子から、この街で起こった少年とロボットの物語は、すぐに停止せず、確かに動き始めていることが確信できる。

 音の観点に付言すると、BGMに関しても、柔らかなピアノ伴奏がかかっており、そのBGMがこの作品の雰囲気を作り出している。当時、京都精華大学の准教授だった小松正史氏の「old capital」「candle」のゆったりとした音色が静止した世界を包みこんでいる。作品のベースとなるゆったりとしたリズムを作り出し、少年・ロボット・街のささやかな物語を、縁の下から支えている。

 

まとめ

 『rain town』が持つ魅力を取り出してきた。『rain town』が持つリズムは、ゆったりとしたものだ。現在進行形の今を鮮烈に描き出すというよりも、止まない降雨により忘れ去られた街・ロボットという過去をベースに描いている。その過去の中に、現在進行形で成長を遂げている少年が、街に現れる。彼の存在が、街やロボットに光を当て、止まった時間・物語を駆動させる。

 ゆったりとした本作のリズムから『フミコの告白』との断絶を感じるが、ここまで『rain town』について確認したことを踏まえるなら、単なる断絶ではないことが分かる。確かに『rain town』は静止した街、忘れ去られたものたちの過去という要素を扱っており、今を生きる若者たちのエネルギッシュな恋心(告白)をテンポよく描いた『フミコの告白』とは一線を画している。しかし、静止・過去は運動・現在を強調する。止まった街・ロボットの描写は少年との出会いを特別なものにする。過去の記憶は現在の出会いを特別なものにする。止まったものは動くものの運動性を強調する。したがって静止・過去がベースになることで、運動・現在を特別なものに演出する。運動・現在を重要視している点で、『rain town』に、『フミコの告白』との連続性を認めることができる。

しかし、ただ連続性ではなく、『rain town』に至って、作品の質が高まっている。そう感じるのも、『フミコの告白』が少女の恋心を直接的に、力強い筆致で描き出していたのに対して、『rain town』では、動きのオルタナティブである静止(あるいは音の規則性・不規則性)を利用することで、運動性(音色への注目)を増幅させる表現の手数が増えたことによる。そして、二作品の間に見えた断絶はここに起因している。

*1:実際、後に確認すると、少女が正でした。少年→少女と読み替えて、読み進めていただければ幸いです。(2023年2月4日更新)