【アニメ考察】春アニメ気になった演出・シーン5選【2023春アニメ】

©Bandai Namco Entertainment Inc. / PROJECT U149

 

 

※この考察は、『スキップとローファー』、『天国大魔境』、『君は放課後インソムニア』、『アイドルマスターシンデレラガールズ U149』、『神無き世界のカミサマ活動』の内容に触れております。

 

 

概要

 春アニメが終わり、夏アニメが始まり、早一ヵ月が経過した。殊、原作物が豊作だった春アニメは、特に『鬼滅の刃 刀鍛冶の里編』や『【推しの子】』が広く話題を集めながらも、「ガンダム」シリーズを現代化した『機動戦士ガンダム 水星の魔女 Season2』・ほんわか学園物の『スキップとローファー』・謎が謎を呼ぶ冒険物の『天国大魔境』など、視聴者の心を掴む作品が目白押しだった。

 注目作品が盛り沢山だった2023春アニメの中から、気になった演出・シーンを五つ挙げて、春アニメの振り返りをしてみたい。

 

心躍らせる_『スキップとローファー』1話

skip-and-loafer.com

 ダークホース的に人気を獲得した『スキップとローファー』は、石川県から上京してきた主人公のみつみが放つほんわか幸せオーラ、彼女たちの心の機微を丁寧に掬い取ったアニメーションで、人気を博した。ここでは、一話の中でも、みつみ・志摩の二人が、駅から出て、走って学校へ向かうシーンを取り上げたい。詳細は過去記事に譲るが、志摩からみつみへの見方が変わったこと、遅刻して走ってまで学校に行くことに楽しさを見出している心境の変化が、音楽とカット割り、それに微妙な走る速度の変化を付ける細かなアニメーションにより、セリフなしの映像の中で、これ以上ないほど雄弁に語られる。本音を表に出さない志摩の感情を語った、この雄弁さは、『スキップとローファー』という(アニメ)作品全体を支え、そして最終話で、彼が自分の変化を告白する場面に至って、作品外の演出・動作ではなく、より直接的に感情を表現し、彼から発さられる言葉に、言葉だけではない土台を与える。

「引かれる/惹かれる」*1『スキップとローファー』1話より
©高松美咲・講談社/「スキップとローファー」製作委員会

「楽しくなる」『スキップとローファー』1話より
©高松美咲・講談社/「スキップとローファー」製作委員会

 

静謐なパトス_『天国大魔境』8話

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 主人公たちが探す天国の正体、特殊な学園での子供たちの実態、化け物ヒルコの正体、など謎が謎を呼ぶ展開が、ワンクールの間、視聴者の心を掴んで離さなかったのが、『天国大魔境』である。その物語を、背景は時に細密な、時に精彩な、時にドラマチックな展開の場を用意し、日常の細かな所作からヒルコや人間たちとの戦闘を丁寧にアニメートする。各話で、どこかしらアニメーションとしての魅力が満ちた本作だが、ここでは八話の宇佐美が拳銃で自決するシーンを挙げたい。

 魔境界では、ヒルコの跋扈により、大量の人が当たり前に死んでいく。その中でも、八話は固有名を持つ具体的な二人の死を、丁寧に描く。一方で、ヒルコにならないために死を望む星尾の選択、他方で星尾の死後、後を追うように自らに引き金を引く宇佐美の選択、そのどちら死の選択も筆舌に尽くしがたい美しさをたたえる。

 宇佐美の選択は、本編22分30秒~から始まる映像の中に収まる。バッジをゆっくり握りしめる指の力強さ、左目を覆い頭を乗せる左手の重々しい動き、星尾にゆっくりとやさしく口づけする穏やさ、遅々とだが拳銃を向け撃鉄を下す流麗さ、など含めて死を決断した宇佐美の所作が心を揺さぶる。静謐さと劇的さが同居しつつ、個人の死が描かれた卓越し、感動を呼ぶシーンだった*2

「握る」『天国大魔境』8話より
©石黒正数講談社/天国大魔境製作委員会

「向ける」『天国大魔境』8話より
©石黒正数講談社/天国大魔境製作委員会

「引く」『天国大魔境』8話より
©石黒正数講談社/天国大魔境製作委員会

 

想いを伝える撮り合い=見つめ合い_『君は放課後インソムニア』13話

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 不眠症の二人、中見丸太・曲伊咲が星空の下で織りなす、学園恋愛ものである。特に、空に浮かぶ星空、海一面に反射する星空、ホースから噴き出す水、土砂降りの雨、など不眠症で世界から疎外されたと感じる彼らを、優しく包みこむシーンの美麗さに評判が集まった。とはいえ、ここで取り上げたいのは、そうした映像美が特出するシーンではなく、主人公二人の想いを映し取ることに眼目のシーンである。該当シーンは、十三話に真脇遺跡でお互いの写真を撮り合うシーンである。直前に丸太が伊咲に思いを告げた直後に、二人の姿を映す大切なシーンである。

 レンズを通すことで、二人の表情がはっきり見える正面ショットを取りながら、二人が見つめ合っている様子をも映せる画面構成を自然と生み出す。また、お互いにカメラを構えるショットから暗転し、シャッター音が聞こえる。そのシャッター音が導き手となって、二人の正面ショットがお互いのカメラに映る姿だと、視聴者は確信できる。そう確信して、視聴者は告白で聞いた好きの意味を、お互いの視点からより深く知る。

 シャッター音の直後、二人は撮った写真について屈託なく話し、その写真を幸福そうに眺める。その写真は、先ほどカットバックで映った写真である。伊咲がボソッと呟き照れて多くは語らない様子、丸太が自分のカメラ画面を緩んだ顔で見る様子、お互いの写真に対するお互いの想い、もっと言えばお互いへの想いを目の当たりにする。あの写真は、もちろんお互いを撮るという意味で、お互いをどう見ているかを記録してくれるが、同時にそこに刻まれた想いをも記録している。そうして、視聴者にとっても、二人が結ばれた幸福な記録として、しっかりと刻まれることになる。

「撮りっこ」『君は放課後インソムニア』13話より
©オジロマコト小学館/アニメ「君ソム」製作委員会

 

ありすとアリス_『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』11話

cinderella-u149-anime.idolmaster-official.jp

 149センチメートル以下の少女たちのみで構成されるのが、「第三芸能課」。所属アイドル・彼女たちのプロデューサーが、キラキラのアイドルを目指す物語である。

 各話でそれぞれの登場人物たちにスポットライトが当てられて、彼女たちが悩みや障害を克服することで、彼女たちのキラキラのアイドルへの道程は築かれていく。本作の主人公的ポジションに居る橘ありすは、一話と今回取り上げる十一話で、スポットライトが当てられる。

 プロデューサー・アイドル・保護者の三者面談をきっかけに、両親との関係性に悩むありすの姿が描かれる。その悩みの姿が、ありすのアリス要素を取り出して、印象的に描かれる。具体的な悩みが展開される現実世界と彼女の精神世界を象徴したワンダーランドが、交互に差し込まれる。後者のアリス的な世界が作られると同時に、現実世界における彼女の精神状態に合わせて姿を変えていく。見る者に明瞭な理解を与えながら、一際目を引く視覚表現になっている。

 特に9分30秒から始まる、彼女の曲「in fact」をバックに、現実とファンタジーが交錯する映像は必見である。曲が止まり、彼女がたどり着いたのが、水たまりが美しく煌めく思い出の屋上というのも、また絶妙である。

「導入」『アイドルマスターシンデレラガールズ U149』11話より
©オジロマコト小学館/アニメ「君ソム」製作委員会

「ワンダーランド」『アイドルマスターシンデレラガールズ U149』11話より
©Bandai Namco Entertainment Inc. / PROJECT U149

 

すごくてかわいいかみさま_「神無き世界のカミサマ活動」12話

kamikatsu-anime.jp

 転生前に、宗教団体「神地崇教」の教祖を父に持つ主人公卜部征人は、父の過激思想により、非業の死を遂げる。死後、彼は宗教や神という概念が存在しない異世界へ転生を遂げる。異世界に現れた神様ミタマを加えて、征人の「カミサマ活動」が「カクリ」と呼ばれる差別集落を救出し、この世界へ「信じる心」を取り戻していく。

 本作の中で取り上げるのは、最後の戦いに向けて、今ある最大の力を取り戻したミタマの生き生きとした姿を描くシーンである。その姿・言動からは、全能の力を持つ神様には思えないミタマが、豊かに表情を変化させ、生き生きと画面内を動く姿が、画面いっぱいに広がる。「天上天下唯一」のかわいさがそこにはあり、ただただ、心が豊かになるシーンである。

 

「すごさを数える」『神無き世界のカミサマ活動』12話より
©2023 朱白あおい,半月板損傷/ヒーローズ/カミカツ製作委員会

「カミサマ」『神無き世界のカミサマ活動』12話より
©2023 朱白あおい,半月板損傷/ヒーローズ/カミカツ製作委員会

 

 

 以上で、2023年春アニメの五作品から、気になった演出・シーンを取り上げてきました。今回取り上げた演出・シーンに気になるものがあれば、一部画像を載せておりますが、映像で見てこそだと思いますので、ぜひ本編のアニメをご覧ください。

 

*1:「」内は筆者の説明。

*2: 本話で星尾・宇佐美の死の内、宇佐美の死が持つ「美しさ」を選んだのには二点理由がある。

①何かに依拠する美かどうか(特に倫理)

星尾・宇佐美が死を選ぶ前提を本文では書いたが、その前提により、美が宿る二つのシーンに明瞭に違いがあるように思えた。すなわち、星尾のシーンでに、「ヒルコにならないため」死を選択するという人間が持ち合わせる倫理的な精神への美が介入する。そういう意味で、美を倫理が支える。これ自体悪いことではない。倫理的な行為を見れば、美しいと感じることもあるだろう。

 しかし、倫理的であることが美しさを伴うからと言って、美しさあれば必ず倫理的でないといけないわけではない。そのことを証するのが、宇佐美の死のシーンである。彼は何かの信念・義務・贖罪など、倫理的理由に基づいて死ぬわけではない。この点断点は難しいが、少なくともこれらの理由によって、死を選ぶことが明示されていないし、逆に死んだ星尾をいつくしむ姿が示されるのだから、星尾の「後を追って死んだ」、と考えることにはそれなりに理に適う。そうであるならば、彼は倫理ではなく、自らの望み・欲望あるいは絶望から死を選ぶ。己の感情に従うその姿に美が、「後を追って死んだ」という情報量を後押しする演出(星尾への眼差し、口づけの所作)により、倫理の力に頼ることなく、このシーンに美を宿してしまう。

②死の選択の連続

 また、もう一点。宇佐美の場合、彼の選択が所作・行動すべてから読み取れることが原理的に可能だし、卓越したアニメーションによりそれが現に可能、むしろそう読み取るように誘っている。選択とはいっても、視聴者が見ていない、屋上に腰かけたときに決意したかもしれない。もし仮にそうだとしても、その後の諸々の動作を取る際、その動作を取る選択と同時に、「やっぱり死を選ばない」という選択肢が生じる。しかし、彼は死ぬ。静謐な画面の中で、彼は「死」を選択し続け、その思い、またはある意味での希望を遂げる。彼の繰り返される死の選択は視聴者の心の内でも反芻される。そうすることで、抑制された描写に、視聴者はドラマを見る。