【アニメ考察】「思ってること」を話すことー『スキップとローファー』6話

©高松美咲・講談社/「スキップとローファー」製作委員会

 

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●原作
高松美咲『スキップとローファー』(講談社月刊アフタヌーン」連載)

●スタッフ
監督・シリーズ構成:出合小都美/副監督:阿部ゆり子/キャラクターデザイン・総作画監督:梅下麻奈未/総作画監督:井川麗奈/プロップ設定:樋口聡美/美術監督:E-カエサル/美術監修:東潤一/美術設定:藤井祐太/色彩設計小針裕子/撮影監督:出水田和人/3D監督:市川元成/編集:髙橋歩/音響監督:山田陽/音楽制作:DMM music/音楽:若林タカツグ

アニメーション制作:P.A.WORKS/製作:「スキップとローファー」製作委員会

●キャラクター&キャスト
岩倉美津未:黒沢ともよ/志摩聡介:江越彬紀/江頭ミカ:寺崎裕香/村重結月:内田真礼/久留米誠:潘めぐみ/ナオ:斎賀みつき/迎井司:田中光/山田健斗:村瀬歩/兼近鳴海:木村良平/高嶺十貴子:津田美波

公式サイト:TVアニメ「スキップとローファー」公式サイト (skip-and-loafer.com)
公式TwitterTVアニメ『スキップとローファー』公式 (@skip_and_loafer) / Twitter

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

概要

 2023年春アニメの注目作品の一つ、『スキップとローファー』も折り返し地点を迎えている。リアルな描写と独特なセンスの作劇を中心にして人気を集める本作だが、六話では主人公の美津未と志摩の間に、新しい関係性が始まる予感を告げる。

 今回は、その予感を生む二人の仲たがい・仲直りのシーンを見ていきたい。二人が仲たがいをし、仲直りをする光景には、胸を打たれるものがある。そのシーンでは、何が起こっていたのか、ポイントを絞って分析したい。

 六話は、二人が出会った一話と類似点が多い。まず、二人の関係性が変化する話数であり、一話でのセリフが六話での仲たがいのきっかけになっている。次に、本作の内容から別の観点から言えば、一話も六話も米内山陽子が脚本を担当している。一話と六話の対応とともに、脚本家が同じことから、本作では言葉・話すことが重要な伏線となっている。それでは、「言葉」・「話すこと」をポイントにして、順に六話の中身を見ていこう。

 

仲たがいと仲直りの言葉

 六話では、「学校を休む」ことを巡って、美津未と志摩が仲たがいをする。そして、仲直りをする。六話の大筋は、そこにある。その仲直りの過程で、恋愛の契機を気づかせるのは、地元の親友文乃との通話内容を通じてである。文乃の言葉を通じて美津未は、志摩との仲たがいから仲直りしたときの感情から、恋愛の要素が満ちていることを自覚する。

 言葉の重要性を手掛かりに、六話を読むにあたって、志摩が子役時代の友人である玖里寿(くりす)に話す内容は印象に残る。引用してみると、「思ってること話し合うこと、あんま意味感じないんだよね。大丈夫なときはほっといたって大丈夫だし、だめなときは何言ったってだめじゃん」*1。うまく人間関係を受け流し、達観したような志摩には、この突き放したようなセリフは真実味がある。しかし、この言葉とは裏腹に、言葉は力をもって、本話の二人をすれ違わせ、そして「大げさな仲直り」へ導いてくれる。

 仲たがいのきっかけとなったのは、期末試験の大切さを説く美津未に、志摩が放った「それ(=期末試験が大事)は美津未ちゃんにとっては、でしょ」*2のセリフである。このセリフは、一話で美津未が言ったセリフのパラフレーズになっている。一話では、志摩の「たかが入学式じゃん」の言葉に対して、美津未は勢い余って、「それはあなたにとっては、でしょ」*3と返答してしまう。こうした背景があるために、志摩のセリフは、言ったこと以上の意味を持つ可能性が生じる。

 ここで、仲たがいのきっかけとなったセリフは、先に引用した、志摩が玖里寿に話す内容とは無関係に感じられる。しかし、先の志摩のセリフを読み込んでいくと、無関係とはいえない。前述の引用を言い換えると、「ケンカしているときに、本心を言い合うのはあまり意味がない」と変換できる。ここから読み取れるのは、関係性を修復するのは、話し合うことや話される内容ではなく、相手の状況次第だ、という達観した考えである。とするなら、志摩は、自分の思いや言葉、ひいては自分自身を軽視していると同時に、発する言葉・話す行為が相手に影響をほとんど与えないと考えているように見える。

 ここまで来て、志摩が美津未に言ってしまった言葉が持っている力が分かる。というのも、思っていることを言ったにせよ、ただ思ったことの意味が伝わる以上の影響を美津未に与えている。美津未は、一話での自分のセリフをもじった嫌味のニュアンスが感じ取ったり、そもそもあのときのことを根に持っていたのかもと思い悩んだりしている。また、感情や考えを内声しがちな美津未にとって、過去に自分が言った言葉を、そのまま言い返されることにも大きな影響を与えてしまう。

 このように、思ったことを言ったにせよ、多大な影響を与えたのが、仲たがいのシーンでセリフだったとすれば、仲直りのセリフはお互いに影響を与え合う。それは、軽視した、「思ってることを話し合うこと」が、二人の和解、新たな関係性のきっかけを作るからである。もっと言えば、美津未が思ったことを言ったことを受けて、志摩は彼が思ったことを美津未に話し始める。美津未の言葉が志摩に影響を与え、志摩が話し始める。そして、志摩の「思ってること」は、美津未に影響を与える。

 しかし、話されることが「思ってること」であるからこそ、お互いにとって、またそれを見る視聴者にとって響く。それでは、話す内容=「思ってること」とは、どうわかるのか?ここで重要性を帯びてくるのが、先ほど触れたのが「話す内容(=思ってること)」であったのに対して、話す内容=「思ってること」とわかる「話す様子」である。ここで、話す内容とは別に、志摩が話した「話すことの無力さ」を超えた、話すこと自体の意味が開示される。

 

「思ってること」を話す様子

 話す内容とは別の「話す様子」というと、話す内容以外のすべてと受け取れる。ここでは、特に「話す前の動き」、「話す表情・態度」に焦点を置きたい。

 

受け止める

 前者の「話す前の動き」では、一話のシーンと対比するとわかりやすい。一話のシーンが感化された「連動」であったのに対して、六話は感化された「停止」であった。一話では、遅刻した始業式に間に合うように、必死に走る美津未にひかれて、楽し気に走る志摩が描かれていた。必死に走る美津未に感化され、彼女の走りに「連動」して志摩も自然と走りだしていた。六話では、美津未が、志摩が学校に来なかったらつまらない、と「思ってること」を話すのに、志摩は感化される。そこで、彼女の言葉や歩き去る動きに「連動」するのではなく、志摩は美津未の腕を取り、彼女の動きを「停止」させる。ここでは、志摩が美津未を「停止」させたことを強調するために、手を止めてお互いに腕を上げたままの姿が、三ショットつながれる。

 「受け流す」のが得意な彼が、あえて美津未の手を取って、立ち止まらせる。相手・状況に応じるだけの言葉ではなく、彼の「思ってること」を話す準備が、二人の動きを通じて作られる。このことは状況を作るという演出上の意味でもそうであるし、美津未の言葉に感化された、彼の心の動きが取らせた行動とも読み取ることができる。

 

一話の「連動」については、以下記事の『スキップとローファー』箇所を参照。

nichcha-0925.hatenablog.com

 

しぐさ・表情・反応

 志摩が美津未を止めることで、彼の「思ってること」を話す準備は整う。彼の言葉が本心であることは、彼の話す様子、表情やしぐさがいきいきと描写されて伝わる。言い悩んで手で顔を覆う、その手をあごに持ってくる、首に手を当てる。美津未から外れた視線の動きも相まって、普段人間関係をうまく受け流す志摩の、スマートではない姿が見える。また、そのスマートではない部分=余裕のなさは、いつものにこにこした表情からかけ離れた、細められた目が印象的な表情からも形成される。

 また、この志摩に呼応して、志摩の本心さを引き立てるのは、美津未である。彼が話し始めたときに、「そうなんだ」と低音での返答、話した噂を否定する焦り交じりの返答、「わかった、聞かない」と答える必死な返答、それぞれが異なる声色で発され、彼女の反応が真に迫ると同時に、彼女にそう反応させる志摩の態度も支えられる。それだけではない。美津未が上記したように、わかりやすく志摩に呼応した声色の変化を聞かせてくれたように、志摩は淡々と話しながらも言葉に迷い、言い淀んで話す姿に、微妙なニュアンスの変化が作られる。美津未と志摩、声優の黒沢ともよ江越彬紀の掛け合いによって、「大げさな仲直り」がリアルに演じられる。

 

 

 「大げさな仲直り」は、志摩の「受け流す」のではなく、「受け止める」態度から立ち現れる。六話では、一話で二人の関係性が築かれたように、六話では新たな関係性が築かれる予感が描かれた。美津未が気付いたこの感情、その感情を持った関係性を、「そういう友情」と取るか、それとも別の何かが始まるのだろうか。二人の行く先、また二人を含む彼らの行く先から目が離せない。

*1:『スキップとローファー』六話、志摩のセリフより

*2:同上

*3:『スキップとローファー』一話、美津未のセリフより