youtu.be●原作
芥見下々『呪術廻戦』(集英社「週刊少年ジャンプ」連載)
●スタッフ
監督:御所園翔太/シリーズ構成・脚本:瀬古浩司/キャラクターデザイン:平松禎史・小磯沙矢香/副監督:愛敬亮太/美術監督:東潤一/色彩設計:松島英子/CGIプロデューサー:淡輪雄介/3DCGディレクター:石川大輔(モンスターズエッグ)/撮影監督:伊藤哲平/編集:柳圭介/音楽:照井順政/音響監督:えびなやすのり/音響制作:dugout
制作会社:MAPPA
・27話スタッフ
絵コンテ・演出:宮島直樹/作画監督:野田友美・山本彩・山崎杏理・佐藤聖菜/総作画監督:井川麗奈・清水貴子・小磯沙矢香
・28話スタッフ
絵コンテ・演出:今井有文/作画監督:矢島陽介・丹羽弘美・貞元北斗・佐藤聖菜/総作画監督:矢島陽介
●キャラクター&キャスト
五条悟:中村悠一/夏油傑:櫻井孝宏/家入硝子:遠藤綾/天内理子:永瀬アンナ/伏黒甚爾:子安武人
公式サイト:TVアニメ「呪術廻戦」公式サイト (jujutsukaisen.jp)
公式Twitter:『呪術廻戦』アニメ公式 (@animejujutsu) / Twitter
※この考察はネタバレを含みます。また、本ブログには、一部グロテスクな本編画像を含みますので、苦手な方はご注意ください。
概要
今回取り上げる27話は悲劇的な展開を迎え、28話は一応の勝利でもむなしさは残る。『呪術廻戦 懐玉・玉折』が、青春の青に彩られた画面設計がなされていたことは、前話からご視聴の通りかと思う。今回取り上げる、27,28話では、青以外の色が用いられ、色でシーンが明瞭に分かれるほどに、色に重要度が置かれていた。本ブログでは、この色に着目しつつ、視聴者の胸をかき乱した、27,28話を見ていきたい。
『呪術廻戦 懐玉・玉折』25話、26話については、それぞれ以下をご参照ください。
青に染まる
色に着目した観点で、27話は「青」から始まる。『呪術廻戦 懐玉・玉折』(以下『懐玉・玉折』)編では、いずれ敵対する五条・夏油の青春時代が描かれる。本作全体で、青のイメージが多用されているが、その青は、27話では後に来る苦い悲劇、悲劇を彩る色イメージをと対比される。囚われた黒井を救出するため、一行は多様な青に溢れる沖縄に向かう。多様な青が、鮮やかに描かれ、彼らのつかの間の青春を彩る。
また、青春が描かれるのは、シリーズ中心の五条・夏油だけではなく、『懐玉・玉折』編のヒロイン理子も同様である。彼女にまつわるシーンでは、水族館のシーンが自然と脳裏によみがえる。広い水槽に、大量の水、そこを泳ぐ魚たち、そこに差し込む光、すべてが調和して幻想的に描き出される。また、水槽を奥にして、それをそばで見る理子、理子の周りの館内のすべてが、青に染まる画面は特に幻想的である。彼女は、自らの体質により、普通ではなく、異質なものとされ、青春を謳歌することができなかった。そのような彼女が、天元様と同化する直前に、青に染まり、青春の真っただ中で、青春を謳歌する様子が、彼女自身も青に染まる画面から目に見える。ただ、その青は沖縄の空や海がたたえる晴れやかな青ではなく、暗みを持った青が選択される。そこから、人間でなくなるという宿命の時が迫る彼女の胸の内を思わずにはいられない。
沖縄旅行にはしゃぐ彼らの表情以外にも、青の色イメージという形で、青春のひと時を散りばめることで、彼らの弛緩が色にも現れる。そして、彼らを裏から削ってきた、「術師殺し」甚爾による悲劇は始まる。
赤に染まる
沖縄から呪術高専へ帰校し、悲劇の元凶は彼らの前に初めて姿を現す。青春の沖縄旅行から、戦闘シーンへと移行する。二度の戦闘の合間に、三人の血が激しく飛び散り、一人の血が人知れず地面に広がる。最後の戦闘では、血は飛び散ることなく、むなしく滴り落ちる。青に覆われていた画面は、突如血なまぐさい戦闘に、赤が飛び出してくる。
飛び出す血ほど、赤色が目に焼き付けられる光景はない。「飛び出す」の表現が、最も適切に見えるのは、高専帰校早々に刺された五条の血、薨星宮(こうせいぐう)内で銃撃された理子の血である。どちらも画面左から右へと、突如現れた凶器が、二人の体内を通過し、血液を流出させる。
この突然の赤の登場は、青の場合と異なる。青が散りばめられるのは、海や空など彼らの環境や生きている限り輝きを止めない五条の眼である。いわば彼らが生きているところに、満ちている色彩である。しかし、赤は異なる。それは突然に現れる。赤が赤い血を連想させ、血がさらに死を連想させる。こうした一般論に合うように、非術師の理子が赤の登場と同時に死を迎えるが、最強の呪術師に至る五条は同じ登場では死なない。生を覆い、生命力に満ち満ちた青春を染めた青に対して、突如現れ通常非可逆的な死に赤は染め上げる。
その突然性は、見る夏油に、そして視聴者に、五条と理子の死を連想させる。だが、その連想は、ショットの類似性に加えて、五条が刺される直前に、画面奥に理子の顔が映る周到な配置から生まれる。さらに、このシーンでは、二人への攻撃シーンの類似性を強調するだけではなく、違いをも浮き彫りにしてくれる。
その違いとは、甚爾の態度である。一方で、喉元を一突きし、仕留めた五条を、身体のありとあらゆる箇所を、めった刺し・めった切りにする。彼の刀の侵略に応じて、画面を赤が覆い、五条自体を赤に染めていく。他方で、理子を銃殺するシーンは、あっけないと言えるほどに、あっさりしている。依頼対象に過ぎない理子の殺しは、彼のセリフに出る「はいお疲れー」程度のものである。この露骨な違いは、後にわかる甚爾の内面を描き出し、さらに後に復活する五条の超常性を示す準備になる。また、忘れてはいけないのが、このあっさり感こそが、沖縄・水族館で青に染まり、役目を捨てて生きたいと死の直前に話した理子の死に、やるせなさと同時に余りに深い抒情性を付与してくれる。
五条と甚爾の一回目の戦闘は、建物の破壊あり、接近戦・遠距離戦あり、大量の幼霊など、MAPPAの作画力が物を言う。そのことは、夏油と甚爾の戦闘、第二回目の五条と甚爾の戦闘にも同じことは言える。
夏油と甚爾の戦闘では、色から外れるが、おもしろい演出があったので、簡単に見ていきたい。それは、二枚のふすまを隔てて、夏油と甚爾が横並びで歩き、甚爾が天与呪縛により、能力向上のために情報開示を行うシーン*1である。情報開示を行われるシーンであるが、映像としては、ふすまにより視覚情報に制限が加えられ、いつ戦闘が始まるのか緊張感が段々と高められていく。
シーンの始まりは、広々として奥行きのあるショットに、影の付いた甚爾が映り、夏油が気付くタイミングに向かって、徐々に光が当てられる。そこから二人は歩き始める。歩き始めには、開いたふすまの幅が広く取られるが、徐々に幅が狭くなり、声が聞こえるがふすまの隙間から姿が映らないことも出てくる。
金に染める・紫を放つ
続いて、甚爾と五条の二回目の戦闘シーンを見ていきたい。覚醒した五条と甚爾の戦闘には、色があふれる。その前に、以前の戦闘シーンも含めて、戦闘前の位置関係を簡単に見て、二回目の戦闘シーンへと分析を進めていきたい。
戦闘は、①五条 vs. 甚爾、②夏油 vs. 甚爾、③甚爾 vs. 五条の順で起きる。本格的な戦闘の前、お互いに向き合うシーンが入る。そこでは、①②→③へと関係性の変化が、位置関係に現れる。①②は甚爾優勢の戦闘が進められ、逆に③は五条が最強の実力を圧倒的な差で見せつける。その関係性が、画面の上下を用いて視覚化される。
①②はどちらも、夏油の飼う呪霊を祓った後に、甚爾が高みに姿を現し、それぞれ五条・夏油を見下ろす格好になる。呪力を持たないが、フィジカルギフテッドであり、類い稀なる戦闘センス・対象を殺すまでに必要な多岐の能力を持つ、甚爾は地に足を着きながら若者たちを見下ろす。そして若者たちは、彼を見上げる。だが、③では位置関係が変わる。甚爾が、最強に至った五条を見上げる格好になる。しかも、五条は高みに立つのではなく、彼には大地すら必要なく、浮遊して甚爾を睥睨する。
見てきたように、激しい戦闘前に、上下を用いて、お互いの関係性が視覚化される。しかし、この視覚化はお互いの関係性を表すだけではなく、地に足を着いて二人の若輩を見下ろす甚爾と地面を必要とせず浮遊し甚爾を注視すらしない五条の対比をも表現する。甚爾にとっての因縁を象徴し、覚醒し呪術界最強となった五条の天才性を、甚爾との対比で表す。そうした意味で、残酷なショットであるが、それゆえにこれ以上にないショット群である。
また、話を色に戻してこよう。このシーンでのあふれる色は、覚醒した五条を祝福するかのように差し込む神々しい金色、赤と青を混合し放つ秘伝の術式「紫」の高貴な紫色、術式を受けた甚爾から滴る血の赤である。前二者が、その色の持つ意味から、五条の上位性を象徴しつつ、後者は当然甚爾の死へと誘う色である。まさに五条が言い放つ、「天上天下唯我独尊」*2という事態を目の当たりにする。
最後に、このシーンでの戦闘の終わりを見て次に行きたい。術式「紫」を放つと、甚爾の独白に合わせ、画面は盤星教の教会の俯瞰になる。その直後、建物内部に穿たれた穴からトラックバック(以下、T.B)してきて、甚爾の身体に穿たれた穴を通って、損傷した甚爾が姿を見せる。
類似した俯瞰ショットは、反転術式「赤」を放った時にも用いられていた。そのショットでは、五条の術式により、建物が激しく損壊する様子が映るが、このときのショットでは、画面内で損壊どころか何も変化しない。画面が建物からT.Bしていく段階で、何が起きたのかわかり、そこには事後の静けさが漂う。
この静けさにより、最悪の敵として表れる甚爾だが、呪術界に虐げられ、死に際に息子を想う彼の死にも、理子同様に抒情性が生まれる。状況・彼の表情合わせて、憎めない登場人物になっている。
以上で、最後の甚爾 vs. 五条の戦闘を見てきた。位置関係による対比、色による甚爾と五条の対比、術式「紫」後のショットによる抒情性の獲得を順に確認した。
次に五条・夏油の関係性に亀裂が生じる、エンディング後のエピローグを見ていく。エピローグでさえも、視聴者が弛緩を許さない演出が続く。
白に臨む
エピローグは、夏油が盤星教の教会に到着し、夏油・五条二人の会話で終わりを迎える。夏油が教会内に入るまで、夕日や教会の扉前を照らすライトが画面を、不穏な赤で占有する。
教会内は、白に覆われる。信者たちの服、天井から差す光、五条の髪・学ランから覗くシャツ、そして息絶えた理子を覆う布の白さが、彼の眼に、視聴者の前の画面に広がる。
二人の会話を挟んで、二人は扉で隔てられる。このとき、意味なしに信者たちを殺せると言った五条は、赤く照らされた側に位置し、力の意味・責任を墨守する夏油は、天井から差す青白い光の中に立つ。
無垢で、善良で、潔白で、偽りの白い畜群に囲まれ、夏油はいまだ彼の信念を曲げない*3。しかし、変化は描かれる。それは、五条と対応する形で描かれる。五条が術式「紫」を放つ覚醒しきる直前に、青から金へと変貌する色が用いられたのに対して、夏油はラストには青白い画面に、足元から黒い影が広がるよう描かれる。
影の浸食により、青と白さは徐々に失われていく。ここから確定した意味を見いだすのが難しいが、彼の中に破局へと向かう穴が穿たれたことは確かである。
終わりに
五条は覚醒し最強になり、夏油は己の信念に揺らぎが生まれ、転向一歩手前で立ち止まる。彼らの青春の日々は、次話で最終話である。定められた結末に向けて、彼らに何が待ち受けるのか。そして視聴者は何を見ることができるのか。次話もとにかく目が離せない。
*1:28話本編、3分34秒~5分19秒。
*2:「天上天下唯我独尊」自体は、解釈の分かれる言葉らしい。全くの門外漢である筆者は、ここで「この世界に、自分が最も優れる」くらいの意味で用いている。しかし、この言葉自体には、個人の尊厳に言及する解釈もある。すなわち、「この世界に生まれた私こそが尊い」。この解釈を念頭に置くと、この言葉を発する五条と本文で後述する弱者へのノブリス・オブリージュを語る夏油の対比が強烈なものになる。そうした二人の信念から、二人の内面や『呪術廻戦 懐玉・玉折』を読み解いても、おもしろいかもしれない。
*3:このシーンで、色以外にもショット構成に特出すべき点がある。それは、最後に囲まれた夏油を印象的に見せるために、それ以前のショットでは、夏油と信者たちが正面切って対面している画面を作らないよう、ショットがコントロールされていることだ。信者が映る場合、信者のみのショット、あるいは同フレームに収まっても夏油をロングショットで納める、あるいは五条越しに信者を映している。また、五条・夏油、あるいはどちらかが映る場合、特に夏油が映る場合は、カメラ位置・画角、クローズアップによる画面の制限を駆使して、極力信者が彼に対面している映らないように構成される。
こうすることで、最後のショットで初めて信者たちに対面し、それでもなお己の信念を曲げないが、そこに揺らぎを生まれている様子が、彼の表情、握られた手により明瞭になる。彼が「転ぶ」まであと一歩である。