【アニメ考察】美しくも生々しい停止した町—『アリスとテレスのまぼろし工場』

©新見伏製鐵保存会

 

  youtu.be●スタッフ
脚本・監督:岡田麿里/副監督:平松禎史/キャラクターデザイン:石井百合子/演出チーフ:城所聖明美術監督東地和生色彩設計:鷲田知子/3Dディレクター:小川耕平/撮影監督:淡輪雄介/編集:髙橋歩/音楽:横山克/音響監督:明田川仁/音響制作:dugout/製作プロデューサー:木村誠/アニメーションプロデューサー:野田楓子・橘内諒太/企画・プロデューサー:大塚学

制作会社:MAPPA

●キャラクター&キャスト
菊入正宗:榎木淳弥/佐上睦実:上田麗奈/五実:久野美咲/笹倉大輔:八代拓/新田篤史:畠中祐/仙波康成:小林大紀/園部裕子:齋藤彩夏/原陽菜:河瀨茉希/安見玲奈:藤井ゆきよ/佐上衛:佐藤せつじ/菊入時宗林遣都/菊入昭宗:瀬戸康史

公式サイト:映画「アリスとテレスのまぼろし工場」|maboroshi
公式Twitter映画「アリスとテレスのまぼろし工場」公式|大ヒット上映中 (@maboroshi_2023) / X (twitter.com)

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

1. 概要紹介

 9月15日より、『アリスとテレスのまぼろし工場』が公開された。二作品目の監督となる岡田磨里と近年ヒット作を連発させる制作会社MAPPAが手を組んだ作品として、公開前から盛り上がりを見せていた。岡田磨理・MAPPAの凄みが出た本作について、その凄みを言語化してみたい。

 

作品概要

 菊入正宗14歳。彼は仲間達と、その日もいつものように過ごしていた。すると窓から見える製鉄所が突然爆発し、空にひび割れができ、しばらくすると何事もなかったように元に戻った。しかし、元通りではなかった。この町から外に出る道は全て塞がれ、さらに時までも止まり、永遠の冬に閉じ込められてしまったのだった。

 町の住人たちは、「このまま何も変えなければいつか元に戻れる」と信じ、今の自分を忘れないように〈自分確認票〉の提出を義務とする。そこには、住所、氏名、年齢だけでなく、髪型、趣味、好きな人、嫌いな人までもが明記されていた。

 正宗は、将来の夢も捨て、恋する気持ちにも蓋をし、退屈な日常を過ごすようになる。

ある日、自分確認票の〝嫌いな人〟の欄に書き込んでいる同級生の佐上睦実から、「退屈、根こそぎ吹っ飛んでっちゃうようなの、見せてあげようか?」と持ち掛けられる。

 正宗が連れて行かれたのは、製鉄所の内部にある立ち入り禁止の第五高炉。そこにいたのは、言葉も話せず、感情剥き出しの野生の狼のような謎の少女。この少女は、時の止まったこの世界でただ一人だけ成長し、特別な存在として、長い間閉じ込められていた。

二人の少女とのこの出会いは、世界の均衡が崩れるはじまりだった。止められない恋の衝動が行き着く未来とは?

『アリスとテレスのまぼろし工場』公式サイトより

(映画「アリスとテレスのまぼろし工場」|maboroshi)

 

2. 冒頭の描写

 本作が始まると、MAPPAの文字が劇場の画面に現れ、画面を照らしたと思えば、古き良き黒地に白字のスタッフクレジットが表示される。黒の暗い画面から、電灯に光る時計のショットが挟まり、昼白色の電灯の光が、部屋に広がっている。そのすぐ後、製鉄所に爆発が起こり、爆発・火災は見伏の街を照らす。空には緑に輝くひびが入り始めている。

 その様子を見て、主人公の正宗、笹倉・新田・仙波の四人は、外へ飛び出す。彼らは、製鉄所から出る煙が、空のひびに近づき、ひびが修復していく不思議な光景を目撃する。彼らの目前をすごい勢いで、煙が通過していくと、ショットは町の全景を映して、『アリスとテレスのまぼろし工場』のタイトルが表示される。

 

光のグラデーション

 『アリスとテレスのまぼろし工場』のアバンタイトル部分を、出来事の筋に沿ってなぞってみた。アバンタイトル部分から、観客を惹きつける工夫が凝らされる。そのうちで三点、光のグラデーション・煙のアニメーション、タイトルクレジット表示の閉塞感に言及したい。

 

 画面は、簡素な白黒のスタッフクレジットから始まる。そこから、異なる種類の、光の表現が加えられていく。カーテンが閉め切られた部屋で白中心の電灯、爆発が起きた火の赤い光、空のひびの青緑の光、そして工場が放つオレンジ色の光、と移り替わり、光のグラデーションで幕を開ける。黒から変化に富む光は視覚的におもしろい。冒頭から光の描写は、観客を惹きつけ、徐々に変化する画面により作品世界への没入感を高めてくれる。

 

煙のアニメ―ション

 しかし、冒頭は光のみに支配されているわけではない。冒頭から早々に、製鉄所で派手な爆発が起こり、後に「神機狼」と命名される工場から噴き出す煙が意思を持つように動く。製鉄所から発生したいくつもの「神機狼」は、独立して空へと登っていく。「神機狼」は空のひびをなぞるように、ひびを修復する。爆発・「神機狼」の動きが、冒頭から観客の視線を奪う。いや、光の描写・リアルな背景など映画の絵作りと煙などのアニメーションの動きが、観客の注目を奪い合う。

 

タイトル表示と閉塞感

 光のビジュアルイメージ、アニメーションの動きが、本作の冒頭を構成する。しかし、この冒頭シーンは、目で見て楽しいだけでなく、本作全体に渡るテーマを提示することも忘れない。

 白・赤・青緑の光と続いた後に、街の全景のロングショットで、工場以外を黒く塗りつぶしていき、中心に位置しノスタルジックなオレンジ色をした工場をバックに、タイトルが表示される。それにより、このシーンが冒頭であるにもかかわらず、閉塞感を強く感じさせる。それは、正宗たちが抱える閉塞感とマッチする。冒頭シーンの光の表現で、本作が描き、「変わらない町」というモチーフの閉塞感が、的確に表現される。

 

3. 岡田磨里の生々しさ

前段の議論_作品と制作者意図

 以上で、本作の冒頭シーンについて触れてきた。冒頭シーンの魅力紹介であるとともに、本ブログにおいて、どのような観点で本作を見ていきたいか、を予告的に提示したつもりである。ここからは、一度、本作の監督:岡田磨里へと目線を移して、「彼女が本作で何をしようと思ったのか」、を探った後、本作で気になったシーンを分析していきたい。

 岡田の意図を探る前に、注意しておきたいのが、岡田の意図とシーンの演出を見比べた上で、両者をどのような関係性でとらえるのか、ということだ。

 例えば、監督の意図に比重を置くことを前提するならば、対象作品の表現をすべて監督の意図から読み解くことも考えられる。しかし、本ブログでは、大前提として、「作品に監督の意図は無関係だ」という非意図主義は取らないにしても、監督の意図は作品にとって重要な構成要素だが、あくまでも作品を深く理解する中で、重要な要素の一つに過ぎない、という監督の意図を絶対視しない立場を取りたい。

 というのも、作品解釈を巡って意図主義・非意図主義の抽象的な議論が紛糾していることもあるが、制作者の「意図」と作品との関係性が、アニメーション作品においては、より錯綜していると考えられるからだ。本作のような商業アニメーションでは、特に錯綜ぶりが顕著である。商業アニメーションでは、通常、各制作セクションのスタッフが分担で、一つの映像制作に携わる。分業で行われるアニメーション制作では、監督は全体のディレクションを行うが、それがすべてのセクションにおいて、すべてのシーン・カットにまで及び、かつそのディレクションが忠実に反映される*1とは考えにくい。そのため、監督の制作(・演出)意図はアニメーションを深く理解する上で重要だが、作品のすべての表現・演出を監督の意図に帰することは難しい。

 それだけではなく、本作固有の理由もある。それが、映像面での制作に携わったことのない、脚本家がアニメーションの監督を務めていることだ。もちろん、原作・監督・脚本を岡田が務めているため、彼女の脚本に即した演出指示を行うのだが、通常のアニメーション監督が監督の場合よりも、アニメーション制作ずっと多い演出の決定権を、副監督の平松禎史など制作スタッフたちが持っているとも想定できる。このあたりも推測のため、この推測自体が誤りで、すべてのカットに岡田の意図が厳密な形で反映されている可能性も捨てきれない。

 したがって、「誰の意図で、本作がこのようにできたのか?」と問うことは、不毛な作品鑑賞(・解釈)に陥りかねない。そうしたこともあり、本ブログでは、なるべく岡田の意図を汲み取りつつも、本作で気になった個々のシーンを取り上げることで、脚本由来の「物語・セリフ・感情」と脚本を元手に紡がれる「映像」の合致、あるいは相乗効果を読み取っていくのがよいと考えている。その取っ掛かりとして、まずは前者の岡田の意図に注目する。

 

岡田の意図

 ということで、本作の監督、岡田の意図を探っていく。ここでは、本作に関して、岡田がインタビューなどで語った言葉から、監督の意図を再構成したい。

 まず、本作で銘打たれる「恋する衝動が世界を壊す」*2という触れ込みである。岡田が過去多く手掛けてきた、「恋愛」という要素が、本作でも重要になってきそうである。変化を禁じられたこの町で、強い衝動は固く禁じられており、その中で心を動かす恋愛が、人々に変化をもたらし、それにより消えてしまう者もいるし、また五実のように、見伏のひび割れを大きく進展させる者も登場する。

 各登場人物の恋愛が描かれ、正宗・睦実・五実の関係性も描かれる。そして、そのことが本作の重要な設定である、時間が止まった町の設定と関わってくる。時が止まった見伏の町で、変わってしまえば、異分子として世界に排除されてしまう、と信じられている。そのため、何かを変えること、心を動かすことは禁じられている。しかし、正宗たちは、お互いに惹かれ合い、変わらない町でなんとか変わっていこうとする。そのような、抑えきれない衝動のような感情として、本作で「生命力のあふれる恋を描き出」*3そうとする。

 

 彼女のインタビューからも手掛かりを拾い上げたい。まずは、彼女が、小説企画から生まれた、本作への想いを答えている部分である。

 

私がこの物語を通して一番描きたかったのは、アイデアの出発点になった狼少女に象徴される、暴力的なまでの生命力だったんだと思います。

(どうしても描きたかったのは暴力的なまでの生命力でした『アリスとテレスのまぼろし工場』岡田麿里インタビュー | ダ・ヴィンチWeb (ddnavi.com))

 

 岡田の意図は、本引用で簡潔に、「暴力的なまでの生命力」と話される。「生命力」という単語は、別の箇所でも登場してくる。「今回は突破力とか生命力を書きたいと思っていた」*4であり、「登場人物たちの、生命力をぜひ観ていただきたいです」*5の形で、詳細を変えて、コメントを残している。

 「生命力」と「生命力あふれる恋」が本作のテーマとして取り出せた。加えて、MAPPAから監督オファーがあった際に、「岡田磨里200%の作品してください」と言われた心境を問われたのに対して、『さよならの朝に約束の花をかざろう』でのように100%は自分を出し切った地点、後の100%が存在する地点には、「周囲から見える自分」が残っていると回答している。「周囲から見える自分」と聞くとあいまいだが、具体的に補足される。すなわち、「生々しい、どろどろしている、起伏が激しい……負のイメージで語られるそれらを、自分の中で昇華したいと考えました」*6

 この「生々しく、どろどろ」している要素は、恋愛に絡まるエロティックな要素や正宗から睦実への嫌悪と好きが入り混じる感情、現実を知ってしまったがゆえに本心を認められない睦実の感情、二人と三角関係を作り出す五実の正宗への好意が、含まれている。「起伏のはげしい」要素は、一つ挙げるなら、正宗の顔を五実が舐めているのを目撃した睦実が激怒するシーンである。

 以上で、岡田の言葉から、本作に向けられた彼女の意図を、三つ挙げてきた。彼女のインタビューで興味深いのが、アニメ制作に携わってきたとはいえ、脚本家である彼女が、脚本・セリフ以外の部分への信頼を熱く語っているところだ。例えば、「生命力」についての上の引用に続けて、「でも、アニメで生命力を表現することって、脚本だけ、セリフだけ書いていたら絶対に叶わないことなんですよね。全分野の全てのスタッフさんの力を合わせることで、ようやく実現することができるもの。だからこそ、アニメには強い力があるんですよね」と語っている*7。小説と対比されたアニメの絵が持つ情報量の多さ、また、小説版からアニメの脚本へ改稿する際に取り入れられた「龍のように動く煙」は、アニメ制作を念頭に置いたから出てきた発想と語っている*8

 脚本家からアニメーション監督に至った彼女の期待に応えるように、本作のアニメーション表現は、ここ数年のMAPPA作品、あるいは他のアニメーション作品の最高峰作品の一角に上がってくる。監督の岡田に目を向けたので、次に、本作の気になったシーンを取り上げて、シーン分析、そして俎上に上がったシーン間のつながりをつけていってみたい。

 その先に、岡田の意図と表現に、幸福な一致が見られれば、それでよいし、そうでなくとも、その相克関係を提示できればよい、と考えている。エネルギーに直に触れるようなリアルな「生々しさ」かつフィクション的な劇的さで、「生命力」、「生命力あふれる恋」が彩られる。

 

4. 躍動する五実

 正宗は、睦実に連れられ、製鉄所の第五高炉で五実と出会う。彼女は衣服を身に着けているが、汚れていて四足歩行で動き回っていて野生児に見える。ここで、彼は睦実から、彼女の世話の分担を頼まれる。

 彼女の動きは、本作の中でも突出して、人体の動きの楽しさを見せてくれる。危険なまでに無邪気な彼女は、身の回りの何にでも興味を示し、感情のままに体を引き連れて、行動してしまう。そのアニメーションの楽しみが顕著なのが、五実が中盤に第五高炉の外に飛び出し、追ってきた正宗と共に、列車を発見するシーンである。始め、正宗の視点で、五実を追いかけていくが、高炉の外の開けた場所に出ると、視点は走る五実をフォローしていく。走り・跳んで・回る五実の姿に、思わず見とれてしまう。彼女は列車の先頭にまで到達し、列車の手すりに飛び乗ると、バランスを崩して思わず落ちそうになるが、落ちそうになる勢いを利用して、一回転してしまうのがとにかく気持ちよい。足で楽し気にリズムを取り、太陽に手をかざしたり・避けたりを繰り返す五実の姿がいとおしく映る。その姿に、正宗は、衝動的にスケッチブックを取り出し、スケッチを始める。観客は彼と同様にスケッチをするわけにはいかないが、彼女の溌剌とした様を眼に焼き付けていたのではないだろうか。

 彼女を生き生きと描くアニメーションは、天真爛漫な彼女の姿を描き出すことに成功するし、それを見て感化される正宗の変化に説得力を与えてくれる。ありのままをさらけ出し、感情のままに行動する彼女の姿を見ることで、正宗は変化を禁じる生き方から一歩踏み出せる。その一歩が、徐々に気づき始めた睦実への恋心へと向かう。

 

5. 長尺のキスシーン

 雪が降る帰り道に、正宗と睦実は近所のゲームセンターで、一時避難する。ここで、二人の想いは成就する。すれ違いからの本心を語り合う室内、室外でのキスシーンは巧みな演出が施される。

 

ゲーセンから鏡の利用

 二人はお互いに自分の本心を言うことができない。思春期特有の事情もあるが、彼・彼女のイメージでしかない部分のみを見ていたことからでもある。お互いに関係性を構築していく中で、彼らは、お互いのイメージのみを見ているだけではなく、お互いをちゃんと知っていることを伝え合う。

 彼らが書く自己確認票に、睦実は保母さんと書いていたが、嘘だと言い切る正宗。睦実は、正宗が、絵がうまいことを知っているように話す。お互いに相手が自分を見ていないようで、見ていたことに、二人は気付く。二人がそれぞれ話すショットで、お互いの本当のところを話すとき、その本心らしさが、映像で語られる。

 手前に映る実像と奥の窓ガラスに映る虚像が、カメラ移動によって、重なっていくことで表現される。話された内容から自分が見られていた事実を知ることによって、二人は実像と虚像への分裂状態から、実像へと収斂していく。このように、本当の二人とイメージの二人が実像と虚像でうまく置き換えられる。

 そこで、正宗は睦実に思いを告げる。睦実の返答はNoである。しかし、そのときの睦実の回答には、映像により含みが持たせられている。実像と虚像が映る正宗に対して、断る睦実は、虚像のみが映るよう画面配置がなされている。彼女は現実には、正宗と結婚していることを知っている。彼女の複雑な思いは、彼からの想いを断ることで、今の自分そして今の自分の意思を守るために、精一杯の嘘をついているように見える。断った彼女はゲームセンターから飛び出し、彼女を追って正宗もゲームセンターを後にする。

 

雪降る中でのキスシーン

 ただこのシーンは、二人が別れて終わりにはならない。雪が降る中、二人は結ばれ、他に類を見ないほどの、長尺で描かれる二人のキスシーンへと突入していく。このキスシーンは、恋愛に絡まるリアルな欲望の生々しさと二人の想いが通じ二人に変化が生まれた劇的さが両立する稀有なシーンである。

 ゲームセンター外で二人は、言い合いになり、横倒しになる。地面に倒れた二人は、お互いのにおい・鼓動を確かめ合う。そうして、二人は心を通わせる。

 最初のキスは、二人の初々しさに溢れている。一度歯と歯が当たってしまう演出、正宗・睦実が面前で語り合う演技から、少年少女の恋愛に絡まる欲望が初々しさの中に現れ、恋する少年少女の初々しさが、その奥底にある欲望に結び付いてくる。

 それが直接的には、キスシーンの長尺、あるいは唇に厚みを持たせた作画に現れる。画面の上下を、倒れた二人が占有し、二人の顔が至近距離に位置している。二人の欲望を反映するように、横から映る唇は単なる形象的な線で構成されるのではなく、唇の内側の輪郭が太く描かれ、穴を意識させる。唇の肉厚みとその先の穴、そして前述した初々しさから、彼らが初めてキスをすることの生々しい欲望、恋愛に絡みつく性欲が表現される。フレッシュなボーイミーツガールにはない、本作が描く生々しさの一端がここにある。

 また、生々しさを表現しながら、同時にその相反する劇的さをも付与している。二人の恋愛の生々しさを表現する一方で、二人が結ばれた瞬間を劇的に演出してくれる。ロングショットで、正宗が睦実を引き止める。まばゆい光に照らされ、逆光になった二人が小さく映る。二人が横倒しになっても光は後方から照らし、彼らが唇を離した時、彼らの間から画面を照らしている。曇り空の中照らす光は、止まった町の雪に反射し、その光を増して、彼らを照らす。

 また、光と共に重要なのが、雪である。雪こそが彼らをゲームセンターへと導き、彼らを曇り空から照らすわずかな光を手助けして、彼らの恋の成就を祝福してくれる仲人的立場に立つ。しかし、直後のシーンで、この雪はひび割れた現実から降る雨になって溶かされてしまう。岡田が言うように*9、このシーンは二人にとっての転換点であるだけでなく、五実を含めた三人の関係性、ひいては物語全体の転換点となる。

 

空が割れる転換点

 一つの転換は、二人の恋の成就である。もう一つの転換は、転換は二人のキスシーンを、五実が目撃するところから始まる。「仲間はずれ」にされたと五実は、「痛み」に心を強く動かされる。彼女の心の変化は、町のひび割れを進め、現実がすぐそこに見えるほどに広がる。

 そこから、ひび割れの広がり、正宗に向く五実の恋心自覚、そのことの睦実の気づきによって、物語は大きく進展していく。そうした意味で、このシーンは、物語上、重要な転換点に位置付けられる。

 だが、このシーンは、単に物語、あるいは登場人物たちの転換点であるには留まらない。そうはアニメーション表現が留めておかない。ひび割れの広がりは、現実の侵食が広がる事実を提示するが、画面に現実とこの見伏の町どちらもが映り込む。時間が先に進んでいる夏の現実と時間の止まった冬の見伏が、同じ画面内に共存し、それぞれの季節に即して、映像がコントロールされている。夏と冬、動く世界と止まった世界が共存する、不思議な空間がそこには存在している。

 また、雪が薄ら積もり、曇り空だった空が、割れて夏の強い日差しが差し込み、雨が降り始める。白い地面に雨が降り注ぎ、雪を徐々に溶かして、黒いアスファルトが見え始める。そうして、降る雨・雪解け水が地面に溜まり、差し込む夏の陽光を反射させ、先ほどとは違った光の表現を見せてくれる。二人を包み込むぼんやりとした光から強い日差しとそれを反射し発生するフレア。同じ場所で、それほど時間の隔たりがないにもかかわらず、異なった光のあり方を生み出してしまう。ここに物語の展開に足並みを揃え、登場人物たちを演出しながらも、劇的さにおいて引けを取らない映像的な面白さが詰まっている。

 さらに言えば、この光の違いは、現実と見伏の状況に強烈な対比を効かせているし、同じ場所・同じ時間にもかかわらず、幸福な二者関係からヒリつく三者関係へと変化した、転換をも強調する。

 中盤の正宗と睦実のキスシーンから五実が介入する一連のシークエンスを見てきた。物語上の転換点でありながら、恋の成就を、初々しさを含んだ欲望の生々しさかつ劇的に描きながら、同時に同じ場所でヒリつく部分も表現されていた。本作で最も重要なシークエンスの一つである本シーンは、物語上の位置付けに匹敵する、巧みに演出された重要なものに仕上がっていると言える。

 

6. 逃走する五実

 キスシーンから五実の目撃を経て、町には避難勧告がなされる。主人公たちも、学校へと避難しつつ、五実を現実に返す方法を相談している。そこで帰りたくないと五実はダダをこねて、外へ飛び出してしまう。

 細部になってしまうが、この後の校門に立つ五実、そして佐上に連れ去られた五実を正宗と睦実が救出しに向かい、彼らが五実を見つけた部屋での鏡のショットに言及したい。

 最初にこれら二つのショットを見た感想は、五実が遠い存在になってしまったような感覚がした。物語の流れに沿って解釈するならば、純粋無垢だった五実が「痛み」により恋を自覚して、大人になった。そして、それに伴い、「五実にとって本当の世界に帰した方がよい」と思う正宗・睦実と、感情の違いはあれど「正宗とも睦実とも離れたくない」と思う五実に距離が生じていると解釈できる。

 とはいえ、そこまで深読みする必要もないと思う。単に、天真爛漫な少女から人間的な複雑さ(=生々しさ)を獲得したために、距離ができた=佐上のもとから救えるか、はっきりとは測りかねている状態ぐらいと理解しておきたい。

 

校門の五実

 五実は、「帰りたくない」とダダをこねて、教室を飛び出す。教室から飛び出した彼女は、飛び出した後の道程は一切映らずに、正宗と睦実が会話するショットの間に突如、挿し込まれる。

 五実は校門に立って、星々とひび割れが輝く空を見上げている。見上げる彼女を、観客も見上げるように、アオリで彼女が捉える。学校から空を見上げる行為自体は、何ら突飛な行為ではないが、校門の上に立ち、星々とひび割れの浮かぶ幻想的な空を見つめる彼女の姿には、異質な状態に見える。なびく彼女の髪は、異様な美しさを放つ。

 

鏡の中の五実

 校門に立つ五実に、佐上は声をかける。彼に付いていってしまう五実を、正宗・睦実たちは救出しに向かう。第五高炉の一室に、五実はいるのだが、そこで正宗・睦実が五実を発見するシーンを見ていきたい。正宗が扉にドアノブに手をかけて、ドアをゆっくりと開いていく。そこには、ウェディングドレス姿にしっかり化粧された五実を発見する。ロングショットから、正宗が進むのに合わせて、画面は五実を右横から映すショットになる。その際、五実が横から映り、後景には鏡が彼女の姿を反射させている。ここでおもしろいのが、この鏡である。鏡は彼女の後景に一つ、向かい側に一つ配置されている。そのため、彼女の後景にある鏡には、彼女の姿が映り、その姿が映る向かいの鏡も映り、彼女の姿が無限に続いているように見える。

 上で、彼女が遠い存在になったことと理解した。無限に続く五実の姿は、二人が救いたいはずの彼女に対して、無限の距離を感じさせるし、救いたい本人が目の前にいて、彼女を救いに来たにもかかわらず、彼女の本心を理解できない感覚に陥る。

 そこから、佐上が闖入してきて、彼を押しのけ、五実を連れ出すと、アクションパートへと繋がっていく。

 

7. 喚起する五実

 五実を佐上の元から連れ出し、現実へ返すため、列車で現実に通じるはずのトンネルへ向かう。脱線で列車が横転したり、見伏の世界を少しでも存続したい原により、彼らの中でカーチェイスが起こり、また見伏の列車の代わりに、現実の列車に乗せて五実を帰そうと、列車を車で追いかけていく。アクションがアクションを呼ぶ展開に心が高まる。

 

車の中の五実

 アクションの連鎖の果てに、何とか現実の列車が止めることができ、列車に乗り込めるようになる。正宗・睦実は、五実を列車に乗せようとするが、彼女は嫌がって車から降りようとしない。このシーンで取り上げたいのは、車から降りようとしない五実の姿である。この姿を見て、睦実は五実と出会った頃をフラッシュバックする。今の彼女の膝を抱えて縮こまった姿は、この世界に来た頃の不安そうな様子を彷彿とさせる。睦実のフラッシュバックにつながる、五実の姿の類似と彼女の心の動揺で通じ合う。

 視点は、車内を見つめる睦実の主観ショットで映る。車内の奥に膝を抱えて座っている。個人的には、掴みどころのない「キャラクター」だった五実が、一人の女の子として立ち現れ、かつ距離が生まれた五実と睦実が真につながった瞬間に感じられた。それだからこそ、正宗を残して二人で列車へ乗り込み、二人の会話に説得力が生まれてきたように思う。続けて、二人の列車での会話を見ていきつつ、本ブログを締めていきたい。

 

8 親子物よりも恋愛物

 物語の終わりで、現実に戻ったらしい五実が、製鉄所を訪れる。そこで、ここが初めての失恋場所と感慨にふけるシーンがある。そう、彼女にとって、重要だったのは、恋愛である。

 列車のシーンに戻ろう。列車のシーンでは、フラッシュバックした後らしく、面倒を見てきた五実に対して、現実ではそうである母親の顔を見せる。だが、行き着く先は、五実が元の世界に帰る帰らないと言う点で、親子の心温まる和解・いっではなく、心温まる決裂である。それは、睦実が言う「正宗の心は、私がもらう」の宣言、五実が睦実を抱きしめながら言う「大嫌い」に現れる。以下、該当の睦実のセリフを引用する。

 

ねえ、五実。

トンネルの先には、お盆だけじゃない。

いろんなことが待ってるよ。

楽しい、苦しい、悲しい……強く、激しく、気持ちが動くようなこと

友達ができるよ。夢もできる。

挫折するかもしれないね。

でも、落ち込んで転がってたらまた、新しい夢ができるかもしれない……

だから、せめて、ひとつぐらい。私にちょうだい。

正宗の心は、私がもらう

『アリスとテレスのまぼろし工場』本編より*10

 

 どろどろした三角関係は、すべての人間が和解して、もっと言えば、父・母・娘の役割に常識の範囲内に即した形で和解して、物語が大団円を迎えるわけではない。睦実が列車から飛び降りた後、五実は一人で、泣き叫び声をあげる。随所に輝く五実役の久野美咲の演技が、彼女の失恋の「痛み」に、確かな声を届けてくれる。

 

終わりに

 以上で、冒頭シーンを含めて六つのシーンに言及してきた。それぞれが、第一に筆者が個人的に気になったシーンでありながらも、そのシーンに重要な意味も込められているように感じた。途中、監督の意図と作品の評価について、脱線して記述した。そのときに、監督の意図をインタビューなどから、①「生命力」、②「生命力あふれる恋」、③「生々しく、どろどろした岡田磨里」イメージなどを、岡田の作品意図として抽出してきた。

 冒頭の光・アニメーションによる物語の見せ方に始まり、監督の意図を抽出し、その後に個人的に気になったシーンから可能なものは監督の意図を掬いだし、残った芳醇な余剰部分は、セリフ・物語外のアニメーションの魅力として、余しながら取り出せてきたように思う。ただ、これでもまだまだ楽しめる作品だとも感じる。今から、再視聴が楽しみである。

 

*1:「反映される」とは、ディレクションを受けるスタッフによって意図的・非意図的にその指示を受容されるという意味とそもそもディレクションを、その内実を全く損なわないで、表現することができるという意味である。

*2:『アリスとテレスのまぼろし工場』公式サイトより

*3:『アリスとテレスのまぼろし工場』公式パンフレット、p.48、MAPPA、2023年

*4:月刊ニュータイプ』第39巻10号、p.78、株式会社KADOKAWA、2023年

*5:『アリスとテレスのまぼろし工場』公式パンフレット、p.49、MAPPA、2023年

*6:同上、p.47

*7:どうしても描きたかったのは暴力的なまでの生命力でした『アリスとテレスのまぼろし工場』岡田麿里インタビュー | ダ・ヴィンチWeb (ddnavi.com)

*8:アニメ映画『アリスとテレスのまぼろし工場』岡田麿里監督にインタビュー、“儚くも美しい”時が止まった町 - ファッションプレス (fashion-press.net)

*9:「長いキスシーンをつくるなら、そこに物語としての転換点がある、いちばん意味があるというふうにしたいなと」『月刊ニュータイプ』第39巻10号、p.79、株式会社KADOKAWA、2023年

*10:実際の引用に当たっては、公式パンフレットを参照している。内容自体は同じだが、文字の改行・フォントや挿し込まれるページの内容は、本編を理解する上で有益であるし、本編を見た方には刺さるものがあるかと思う。ぜひご参照いただきたい。