【アニメ考察】告白に潜むエネルギーー『フミコの告白』

監督:石田祐康 製作:スタジオコロリド/フロント・ワークス/モード・フィルム

 

 本ブログの『フミコの告白』を皮切りに、連続して石田祐康監督の短編作品について書いていきたい。本題の『フミコの告白』に入る前に、石田祐康監督について以下簡単に紹介する。

 『フミコの告白』は2009年の大学三年時に自主制作され、その一年後に卒業制作となる『rain town』が公開される。スタジオコロリド入社後、初の監督作品『陽なたのアオシグレ』を経て、ノイタミナ10周年記念作品として『ポレットの椅子』を制作する。2018年に初の長編劇場作品となる『ペンギンハイウェイ』を制作する。

 前二者はともに、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門でそれぞれ優秀賞と新人賞とを受賞し、大学在学中の受賞ということもあり、アニメーション界を騒がせる。

 大学時代に、『フミコの告白』と『rain town』で立て続けに、受賞を重ね、進化し続ける早熟の天才の初期短編作品を今回取り上げる。また、彼の作品作りは留まらず、九月には新作長編『雨を告げる漂流団地』が公開される。その前に、石田監督のエッセンスが詰まった初期作から彼の作品に通底する独自性を掘り起こしてみたい。

 

(石田監督作品の『陽なたのアオシグレ』について、過去に書いています。参考にしていただければと。)

 

nichcha-0925.hatenablog.com

 

 

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●スタッフ
監督・作画・背景・3DCG・編集・音響 : 石田祐康/背景・3DCGテクスチャ:岩瀬由布子・村上和浩/作画:川野達朗/3DCGモデリング:永田勇作

●キャラクター&キャスト
フミコ:ヒナ/タカシ:來香滄

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

概要

 前述のとおり、本作は自主制作の短編アニメーションとして制作されている。Youtubeに投稿されている本作は、現在(2022年7月20日)600万回再生を突破し、今にも700万回再生に到達しようとしている。

作品自体は二分半ほどと短いが、鑑賞後の満足感は高い。それは、本作が長編のように、伏線からの落ちというストーリーの流れが確かにありつつ、そのストーリーを濃縮しているからだろう。

 フミコとタカシの告白模様を描くドタバタ恋愛コメディ(?)の魅力を語っていきたい。

 

特徴・魅力

街を駆ける×翔ける

 本作はタイトルから分かるように、告白が本作の中心を占め、告白に始まり、告白で終わる。冒頭で、思い人のタカシに振られた主人公フミコは、振られた事実に耐えられず、学校から駆け出す。彼女が駆け出すと同時に、「道化師のギャロップ」が子気味のよいBGMとして挿入される。彼女は、通りでおばあさんの押す手車とぶつかるハプニングから、丘を高速で駆け下りていく。駆け下りた彼女は、タカシと衝突し、勢いそのまま再告白するも、振られてしまう。

 一度振られて勢いのままに二度目の告白をして振られてしまう温かみのあるおかしさ、下った道のような彼女のまっすぐな思いや丘を超スピードで下る疾走感、そのときに流れる「道化師のギャロップ」の心地よさ、など端的な魅力を挙げればきりがない。本作が二分半ほどの作品に、これだけの魅力が濃縮されているのにも驚きだ。

 何と言っても、本作の中心的な魅力の一つは、中盤部分であり、本作の大半を占める主人公が坂を下っていく疾走感だ。これだけでアニメーションのおもしろさを体現しきっていると言っても過言ではないと思う。階段を大股や小股で降りていく、坂をドタバタと進んだり、空中に飛び出して滑り台を滑走路に飛んだりと動きにバリエーションがあるし、林や干された洗濯物やボールなど様々な障害物が動きにアクセントをつける。また、フミコが階段や坂を下るときの必死な様子や滑り台から飛んだときに状況に気づいて慌てる様子など、フミコの表情の変化もおもしろい。

 そしてこの疾走感や疾走感に付随する魅力は、本作においてただ観て、視覚的におもしろいだけではない。この魅力は、本作の始まりと終わりを飾り、タイトルを冠する「告白」と密接に絡み合っている。

 

告白というモチーフ

 『フミコの告白』は告白に始まり、告白で終わる。そのため、告白こそが本作のテーマと言える。青春の重要な要素である告白の一端を、本作が表現する現実離れしたアクションシーンから読み取れる。

 例えば、前述した振られたフミコは坂を下りきって、偶然にぶつかったタカシに再度、駆け下りた勢いのままで告白する。たまった勢いのままという側面は、告白に必要な覚悟や思い切りのよさというを象徴する。青春において、恋愛が重大ごとの場合が多い。というのも、重大ごとであれば、告白によって、思いの成就の成否や自分の価値が決してしまうように感じる。それゆえに、重大ごとのように感じられる。そのような重大ごとのであるからには、物事を決してしまう告白に怖気づいてしまうこともある。そのため、前述した覚悟と思い切りの良さが必要となってくる。

他にも、障害という要素もある。フミコが駆け下りる際、洗濯物や林や野球のボールなど彼女の進む道を阻む。障害は、彼女の勢いを一瞬削ぐのだが、彼女の下る勢いは止められない。ここからの解釈は、障害があるほど燃え上がるのか、障害を打ち破るほどの芯の通ったまっすぐな思いか、無限に開かれているが、この障害という要素も告白あるいは広く恋愛のいい要素(スパイス)になっている。

 また、障害には現実を見えなくすることも表現されている。恋は盲目など。林や洗濯物は彼女から現在地や行く先の情報を奪っている。印象的なのが、タカシと再会する直前にフミコは自分の現状(空を飛んでいる)を認識し、狼狽する。そして、現状を認識するも、そのままの勢い武に衝突し、再告白するシーンである。

ここに、盲目のまま血迷って、再告白するのではないフミコの真剣でまっすぐで確かな思いが読み取れるのではないだろうか。

 学生時代の恋模様特に告白という(フィクション的には)一つのメインイベントを、彼女がまっすぐな下り道をものすごい速度、つまりエネルギーで駆けていく様子で、鮮やかに表現している。まっすぐな思い、並外れたエネルギー、それがこの作品では現れていた。

 

まとめ

 以上で、『フミコの告白』の魅力を常識離れした坂下りのおもしろさとそれが表現する告白または青春時代の恋模様の関係に的を絞って、記してきた。

 確認したように、本作の疾走感とテーマの告白が有機的に結びついてる。『フミコの告白』からは、常識離れしたシーンのおもしろさもありつつ、それが現実の一面(青春の恋愛)を鮮明に描き出しているように感じた。

投稿時から十二年の経過を感じさせない作品、学生時代の告白の瑞々しさと当時大学三年の監督が作りあげたフレッシュさが合わさる。また、現実を明晰な形で捉え、それを奔放な想像力でファンタジーに置き換えていく手腕がなし得たことだと感じた。