【アニメ考察】帆場はどこへ行くのか、帆場は何者なのか?『機動警察パトレイバー the Movie』

(C)1989 HEADGEAR / BANDAI VISUAL / TOHOKUSHINSHA

 

●スタッフ
監督:押井守/企画・原作:ヘッドギア/原案:ゆうきまさみ/演出:澤井幸次/脚本 :伊藤和典/キャラクターデザイン:高田明美メカニックデザイン出渕裕メカニックデザイン協力:河森正治・佐山義則・幡池裕行/レイアウト:渡部隆・田中精美/カラーデザイン:池さゆり/作画監督黄瀬和哉/撮影:株式会社ティ・ニシムラ/美術監督小倉宏昌/音楽:川井憲次/音響監督:斯波重治/プロデューサー:鵜之沢伸・真木太郎・久保真

制作:スタジオディーン/制作協力:I.Gタツノコ(現 Production I.G)/製作:株式会社バンダイ・株式会社東北新社/配給:松竹株式会社

●キャラクター&キャスト
篠原遊馬:古川登志夫/泉野明:冨永みーな後藤喜一大林隆介南雲しのぶ榊原良子

公式サイト:機動警察パトレイバー公式サイト (patlabor.tokyo)
公式Twitter機動警察パトレイバー公式@2/12は幕張国際レイバーショウinワンフェス! (@patlabor0810) / Twitter

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

バビロン・プロジェクト遂行のため、東京湾上に建築された巨大建造物“方舟”。その屋上から一人の男が投身自殺を図った。彼の名は帆場暎一。篠原重工が市場の独占を狙って発表したばかりの画期的なレイバー用オペレーティング・システム・ソフトウェア、“HOS”をほとんど一人で作り上げた天才的なプログラマーである。前途有望だった彼が、なぜ自ら生命を絶たねばならなかったのか? 誰もその理由に思い当たるものを持たなかった。しかし、“事態”だけは既に進行していたのであった……。

(機動警察パトレイバー公式サイトより)

 

勝負は冒頭に決する

 『機動警察パトレイバー the Movie』の冒頭は、時系列的にも本編より前であるが、その時点では名前すら不明の帆場暎一が方舟から投身自殺を図ることで、破滅的に開始する。冒頭単体で見れば、破滅的な感触は、物語全体へ波及するわけではない。単に、この時点で、帆場と特車二課第二小隊との勝負は終結しており、物語のラストには、帆場の画策によって、東京都側は「バビロンプロジェクト」の枢要機関であるレイバー用海上プラットホーム、通称「方舟」を失うことになるのみである。観客は、まだ知識のない状態で帆場の投身自殺というショッキングな冒頭を見て、物語への求心力に巻き込まれるが、その時点で特車二課に勝ちはなく、物語は決着していたことを、事後的に驚愕を持って知る。

 既にこの世にいない犯人を追いかけながら、篠原重工が売り出す新型レイバー用OS「HOS」(hyper operation system)という目では見えない仕掛けを手掛かりに、特車二課の面々が奮闘する。本ブログでは、帆場の目的を本願にして、帆場が残した町、ハードとソフトの対比を糸口に、『機動警察パトレイバー the Movie』を見ていきたい。

 

捜査課と特車二課の追跡劇

 前半部分では、特車二課を擁する警備部のメンバーと刑事課のメンバーの様子が交互に描かれる。前者が物語深部へかかわっていく。彼らはレイバーの暴走事件について、HOSをデータ解析により調べていく。それに対して、後者は、暴走事件との関連性が疑われる、HOSの開発者帆場の調べを進める。帆場は、大学や篠原重工でのデータなど自らの痕跡をほぼすべてきれいに消し去っている。刑事たちは、唯一残った住居履歴を頼りに、帆場がかつて住んだ場所や実家を刑事は実地捜査していく。

 

データの痕跡(帆場)を追う 捜査課サイド

忘れ去られた町

 帆場がかつて住んでいた地域は、どこも古い町並みで、いずれも都市開発の対象になっているような町ばかりである。時代に取り残された街の雰囲気を漂わせている。刑事たちは、彼が住んでいたぼろアパートを何か所と訪れる。彼が住んでいたというデータが残されているだけで、ただそこには、彼の痕跡はなく、年月に積もったほこりしか残されていない。

 刑事視点での特徴は、彼らが訪れる帆場がかつて住んでいた町が、古い町並みでノスタルジーを感じさせる余地があるのだが、それ以上に異郷の地のように感じさせることだ。一つの要因は、古さ、そして人の手を離れていることから、通常の住居とは異なり、刑事たちの動きに合わせて、手つかずの家独特の反応を見せ、観客に廃屋らしさが提示されていることだ。刑事たちが歩けばぎしぎしと答える床、建付けが悪くなった戸、一歩歩くごとに宙に舞うほこり、など刑事たちや観客が生活するとは異なった廃屋ならではの反応を見せる。その廃屋らしさを丁寧に描き出され提示されて、廃屋らしさが異郷間の一部を作り出すとともに、別にもう一つ要因がある。それは帆場が住んだ街を、謎や危険が潜む土地に見せる演出的手腕によるものだ。強い光によって、刑事たちが進む町を光のフィルターが視界を不明瞭にし、アパート内には光が通らず暗く、視界が狭くなっている。彼らが東京の忘れ去られた町を歩く際、ロングショットで映すことによって、刑事たちよりも、人の営みが希薄化しているこれらの町に自然と視線が引き寄せられる。また、刑事たち周囲に陰を落とすことで、見えない部分への緊張感が高まり、その緊張感が、彼らを襲う強襲者が潜むかもしれない、というこの街の危険性へと転嫁されていく。

 ロングショットの使用で、登場人物のアクションよりも街自体に観客の注目を誘導し、そして光と陰を巧みに用いることによって、何かが起きる可能性を危惧する観客の緊張感を、何かが起きそうな場すなわち帆場がかつて住んだ街へと転嫁させる。その転嫁の一端には、大規模レイバー犯罪の被疑者が唯一残したデータから、たどり着いた街だから、「何かがあるかもしれない」という観客の推測をも利用している。

 上記の演出によって、ノスタルジーを感じさせる街並みだが、そこは作中登場人物たちが慣れ親しむ現在とは断絶し、時代に取り残された街の印象がありありと表現されている。私たちはノスタルジーと、ノスタルジーが内包する親しみとは相反する警戒心・緊張感を、その街に同時に体験する。これこそが、刑事たちが訪れる町から感じる奇妙さの正体である。

 

痕跡から「見え」ない帆場

 このような街で、刑事たちが追いかけるのが、今回のレイバー犯罪の犯人である帆場である。本作の重要人物である帆場から、帆場の恐ろしさ、並びに、彼の計画の恐ろしさが取り出される。

 後藤たちが真相を突き止め、特車二課の面々が台風の中、方舟へ向かった際、後藤は帆場に言及して次のように言う。「もしかしたらあいつ(=帆場)が飛び降りたとき、すでに本当の勝負はついていたのかもしれない」最初に書いたように、帆場が投身自殺を図った時点で、勝負はついていた。このことの意味は、少し立ち止まって考えてみる必要がある。「勝負がついていた」とは、帆場の天才性を物語り、彼が一枚上手で、すべてを読み切っていたという意味に尽きない。この読みから漏れ出る要素こそ、本作にとって重要である。

 本編に戻って考えてみよう。後、数時間後に最高風速四十キロの台風が上陸し、帆場の仕掛けたプログラムが起動してしまう。このとき迫られた四者択一は、①台風を逸らすか、②首都圏の高層ビルをなぎ倒すか、③都内のすべてのレイバーを破壊するか、④方舟を破壊するかである。後藤は彼の政治的手腕によって、方舟を破壊する容認を警察首脳部から獲得する。特車二課は台風の接近により、荒れた海の中、方舟の破壊に向かう。もし帆場が生きていたらと考えるのは無粋な想像だが、可能性として帆場の敗北、そして特車二課の勝利という決着もあり得た。帆場を逮捕し、HOSのプログラムの仕組みを吐かせ、方舟を破壊することなく、レイバー暴走をOS修正のレベルで止めることができたかもしれない。つまり、帆場自身が死ぬことによって、彼の計画はより完全なものになる。

 彼は死ぬことによって、彼の敗北をゼロにし、なおかつ彼が勝つ程度をさらに広げる。東京都は、大規模開発プロジェクトとして進めるバビロンプロジェクトに大痛手を負う。彼がいないことによって、その犯罪を効果的に進める。通常の犯罪が、犯罪者の肉体を介して、ことが進められるのに対して、彼はプログラムミングを行っただけで犯罪を引き起こす。

この点については、最終章で触れることになる。

 彼が死ぬことによって、彼の計画は完全となる。彼が画策した計画の根幹となるのは、彼がOSというソフト面の仕事にたぐいまれな才能があったことだ。次では、レイバー等人工物を形作るハードの側面とソフトの側面から本作を見ていく。

 

暴走レイバーを追う 特車二課サイド

 前者で刑事課が追ってきた帆場に対して、ここでは特車二課が追ってきたHOSについて見ていきたい。とはいうものの、HOSの詳細情報が明かされるわけでもないので、本作を視覚面で作り上げるハードの側面と、帆場の策の要であり、画面に現れないソフトの側面を見ていく。

 

魅力が見えるハードしてのレイバー

 ハードの側面は、『機動警察パトレイバー the Movie』の視覚的な魅力の大部分を構成している。方舟を代表とする堅牢な建造物、光沢を浮かべるレイバーの滑らかな外装、レイバーの重量感ある動き、建物やレイバーが破壊される際の中身の詳細な描写に至るまで、ハードという面で私たちの知覚を楽しませてくれる。また、ビルや方舟の各階層、レイバーなどの超巨大人工物には、その巨大さに見合った重量感が表現されている。それらの知覚的な要素は、見て楽しむという観点で興味深いだけではなく、ハードの要素に確かな存在感とハード特有の重量感を感じさせる。この重さは本作の主役の一つレイバーを魅力的に映し、単純な動きによってゆうに町をも破壊してしまう。そしてそれ以外に本作の重要なトリックである低周波を生むのは、高層ビルや方舟などの堅牢な建造物たちである。

 これらの堅さ・重量感が増すことによって、破壊するときのインパクトの大きさが、過剰演出の必要なく観客に伝えられ、何よりも破壊は清々しさすら感じさせる快感がある。本作で、人間の被害はほとんどない。それよりも、建造物への影響あるいは、レイバー自体の損傷が取りざたされ、人間に対して直接的な危険性というよりも、物に対する破壊性ゆえにレイバー犯罪が印象付けられる。

 この点、例外は冒頭の自衛隊のレイバーが暴走し、暴走レイバーと自衛隊の戦闘シーンである。ここでは、暴走レイバーによって、自衛隊が殺される。自衛隊と暴走レイバーとの衝突は、まさに戦闘であり、それは戦争の一部と言える。しかし、街中のレイバー犯罪は、犯罪であり、テロに過ぎない。「過ぎない」と言うと語弊があるが、テロにおいては、人間を直接的に狙う必要もない。ある目的を達成するための暴力は、レイバーを暴走させ破壊行為をさせれば、都市機能を壊滅させられ、テロとしての役割をしっかりと果たす。

 ハード面では、堅さを作り出すことで、レイバーや方舟を破壊する確かな手ごたえを与える。同時に、レイバーや建造物の堅牢さや重量感を生む、中身の描写も精密になされていた。レイバーが破壊されるとき、その体内から、チューブやパイプ、各種の装甲、プリント板などの電子機器がバラバラと腹から飛び出す。また、方舟の各階層が順に、緩やかに落下していき、方舟が徐々に破壊されていく。外装から堅牢で重量を感じるレイバーや方舟は、中身がスカスカということもない。

 ハードの側面は、本作ではソフト=HOSによる暴走によって蹂躙に遭う役回りを演じる。だが、このハードの堅牢さがあって初めて、破壊の快感が伝わる。さらに、快感というプラス感情だけではなく、その破壊行為は、ハード面から私たちの生活圏を脅かす、帆場の犯罪の恐ろしさに、観客の身を震わせるのである。

 次に、本作のレイバー暴走の元凶たるソフトの側面を見ていきたい。

 

見えないソフトとしてのレイバー

 ハードは堅そうに見えるが、本作で何度も無惨にバラバラにされる。その反対に、ソフトはそもそも見えない。帆場が仕掛けたHOSも、作中で何度も話題には上がるが、観客はその正体はおろかプログラムの保存機器すら見ることはない。徹底的に、視界から排除されている。ソフトを見せないのと同様に、帆場が死んでから、彼の痕跡となるもの全てが存在せず、昔住んでいた住居の殻しか残っておらず、帆場の姿が見えないことやHOSによりレイバーを暴走させるトリガーである低周波も目には見えない。目で見える物理的なハード的なものと同様に、目で見えないソフト的なものにも、異なる重要性が与えられている。

 本作の主役はもちろん、レイバー暴走の元凶たる、HOSひいてはOSというソフトの面だ。レイバーという革命は、人類の長年の夢を叶え、同時にそれは犯罪者たちの念願を叶えることになってしまう。前者の全体的な視点では、人間の頭脳に匹敵する人工知能を手に入れる。それが堅牢なハードと接続することによって、操作や制御には人間の肉体の関与が、これまで必ず必要だったものが、肉体の関与を最小にして、ハードの操作が可能になった。ロボットの導入は、このような社会全体への利点と同様に、本作のような犯罪の可能性も導く。犯罪者本人が直接に関わらなくても、犯罪行為が起こせる夢の犯罪ほう助具とし、あるいは本作のようにOSに犯罪を実行するようプログラム=教唆することが可能になる。犯罪者は、その場に赴くリスク、自分の姿をさらすリスク、自らの手で実行するあらゆる物理的・心理的リスクを回避して、犯罪の完遂が可能になる。さらに、過去の犯罪が、誰もが物理的に妨害するなどして、犯罪阻止が可能だったのに対して、OSを利用すれば、本作のようにそのOSが持つプログラムを解析できなければ、犯罪を止めることすらできない。その結果、犯罪を阻止するには、レイバーあるいは建造物を物理的に破壊することしかない。このことは、低周波を増幅する方舟を物理的に破壊したこと、さらにラストシーンでは、暴走した新型レイバー(零式)を停止させるために、明が制御部を銃で撃ちぬくスマートではないやり方で破壊したことからも例証される。

 ソフトは彼らの暮らしを便利にかつ豊かにする。しかし、本事件は、そのOSによって彼らが安心して暮らす街自体を破壊することを可能にした。しかも、街を破壊するのに、国対国の戦争や集団的信念が衝突しあう戦争も必要とされない。実に個人的な帆場という人物が一人で、犯罪を計画しHOSを開発し、そして彼の個人的な信念によって、一都市が破壊される危機が訪れた。

 

帆場はどこへ行くのか、帆場は何者なのか?そして我々は…?

 さて、ここまで来てやっと、作中及び本ブログの本願である帆場暎一に踏み込むことができる。帆場の目的は何だったのか。そもそも帆場とは何者だったのか、いや帆場とは何者なのか。

 帆場に関するエピソードは、作中で二つ提出される。その二つの点を結ぶことによって、HOSを利用して本作のレイバー事件の目的を推測させ、そのことによって帆場の輪郭線を想像させる。点と点を結んでも、帆場という人物を表すには中途半端な線にしかならない。が、この路線で、この事件の目的から帆場という人物へと迫りたい。

 一つ目のエピソードは、帆場がかつて住んできた住居のデータのみを意図的に残したという事実だ。前述したように、刑事たちは、かつての帆場の住処を巡る。どこも土地開発の対象になりそうな地域ばかりで、現に刑事が訪れた直後に、取り壊しになったり、取り壊しを制止して刑事たちが住居の捜査をしている様子が描かれる。刑事の松井と特車二課の後藤の会話は、このシーンと同時代を生きる彼らの実感を総括してくれている。松井は、帆場が住んでいた町が奇妙な町で、時の流れに置いて行かれたという実感を語る。

 意図的に情報を残した帆場は、様々なものが何の値打ちのない過去になってしまう、そのようなたちの悪い冗談を見せられている状況を、帆場が見せたかったのかもしれない、と後藤は総括する。後藤と松井の会話の直後に、帆場がエホバと呼ばれ、エホバがヤハウェの誤称と知った帆場が狂喜する、もう一つのエピソードが、後藤の口から語られる。そのエピソードとは、帆場のMIT時代のあだ名を巡る噂話が語られるところだ。帆場は音の類似からエホバというあだ名が付けられるが、エホバはヤハウェの誤称であると聞いた時、彼は狂喜したというエピソードである。

 署内で、後藤と南雲の会話で、エホバのエピソードが明かされた後、直後のシーンで遊馬&シゲのコンビは、低周波の共鳴現象がレイバー暴走のトリガーだったと解明する。続くシーンで、後藤が警察首脳部から、方舟破壊容認の言質を取って、方舟破壊作戦へ物語は佳境へと突き進んでいく。

 ここまで確認したところで、帆場の目的について、前述の刑事の帆場の探求とハード・ソフトの側面を絡めて、一つの仮説を提示したい。帆場は彼を追う者に向けて、自分が住んできた住居のデータを残す。そこはいつ消えてもおかしくない開発都市である。そこでは、昨日まで建っていた住居が次の日には消え、時代に取り残された奇妙な感覚のする町である。この街にそれ以外の手がかりを残さなかったのは、松井・後藤が語るように、現在進行形で朽ち果て、破壊される町を見せることで、何の値打ちもなくなった過去を目の当たりにさせることこそ、彼の目的の一部だったからと推測できる。

 それでは、彼が画策したHOSによるレイバーの暴走は、値打ちのない過去を見せることとどのように関連するのか。レイバーの暴走の結果、印象的なのは実際特車二課が出動する土木作業用レイバーの暴走シーンである。土木作業用レイバーがロングショットで収められ、レイバーが歩いたであろう場所が、一直線に家々がなぎ倒され、がれきと化している。そこでは、レイバーが暴走しているにも関わらず、きれいに一直線に乱れることなく、レイバーの通った後が残っている。レイバーが数十人工の仕事をこなすことから、その「身体的」能力は人間を遥かに凌駕する。そして、それと同様に、人間の脳と同等あるいは、それ以上の能力を持つOSを持っている。

 レイバーは人間によって作られた人間以上の存在である。このことは、帆場がエホバと呼ばれたエピソードが対応している。エホバの呼称が人工的なことからも、冗談で人工的に神に祀り上げられた彼が、人間以上の「身体」を持つレイバーに、OSという名の人類に比肩する知性を与える。

 

 バベルの塔という縦への挑戦に対して主の鉄槌を下されたように、彼は海をも埋め立て、さびれた町を強引に開発する東京現代人へ鉄槌を下す。エホバと呼ばれ、エホバの名がヤハウェの誤称から生まれたという由来に狂喜する彼は、当然のように、この鉄槌をバベルの塔に対する主の鉄槌になぞらえる。人間の一つの核たる知性をレイバーに与え、低周波の共鳴という自然現象とレイバーのOSを利用して、東京人に鉄槌を下す。しかも、帆場は、自ら投身自殺し、命を絶ちその姿を消してしまうことで、彼の個人的な意思を限りなく0にして、彼を限界づける肉体から解き放たれる。

 神は賽を投げないと言うが、彼もまた賽を投げない。彼が死んだ時点で、いくつかの分岐パターンはあるものの、彼が仕掛けた勝負は決着していた。彼は、死ぬことによって、肉体から解き放たれて、彼の計画を完璧にするだけではなく、自身の個人的な信念を限界まで薄め、超人間的な裁きの反映として、レイバーの暴走という現象をこの世に残す。そして、この鉄槌は、帆場の住んだ町が値打ちのない過去になりつつあるように、最小限の結果であるが、方舟を値打ちのない過去に帰することになった。

 

 

 本ブログでは、主に帆場の目的と帆場に関する二つのエピソード、帆場が見せたかった町の描写、レイバーを代表とする人工物のハード・ソフトの側面など『機動警察パトレイバー the Movie』を見てきた。ただ本作の魅力はこれだけに尽きない。キャラクターの魅力や個々のセリフが持つ含蓄とそのセリフを聞かせる画面作りなど、細かいながらも、観る者の心をつかみ、知覚・思考へと駆り立てる押井守の作劇・演出術のすべてを掬い取ることはできていない。

 安易に観るだけでは、許さない肥沃な土壌そのものに、今なお名作たる一端を見て、感嘆を捧げずにはいられない。鑑賞後、観客は、観客という立場を離れた後も、帆場という名の「神」の御心を想像し、同時に作品の生みの親の御心を想像する、謎解きに赴かざるを得ない。作中で明確な解答がなかったために、この謎解きは永続的に続き、この快楽もまた永続していく。