【アニメ考察】一日の人生、人生の一日―『DEAD LEAVES』

(C)2003 Imaitoonz/Production I.G/MANGA ENTERTAINMENT

 

●スタッフ
企画・原作:今井トゥーンズ(Imaitoonz)・Production I.G/監督:今石洋之/脚本:本田武市/コンセプトキャラクターデザイン:今井トゥーンズ/キャラクターデザイン・作画監督今石洋之色彩設定広瀬いづみ美術監督小倉宏昌/撮影監督:古川誠/編集:植松淳一/音楽:池頼広浅倉大介/音響監督:藤山房伸

アニメーション制作:Production I.G/製作:Production I.G・MANGA ENTERTAINMENT

●キャラクター&キャスト
レトロ:山口勝平/パンディー:本田貴子ギャラクティカ水谷優子

制作会社作品紹介ページ:Production I.G|DEAD LEAVES (production-ig.co.jp)

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

概要

 現在、TRIGGER所属で、最新作となる『サイバーパンク:エッジランナーズ』を公開した今石洋之の初監督作品が『DEAD LEAVES』である。記憶喪失したRETRO(以下レトロ)とPANDY(以下パンディー)が、月面刑務所の「DEAD LEAVES」で大暴れするアクション物である。2004年の公開ということもあり、セルアニメ独特の質感を鑑賞することができる。

 本作では、上映時間六十分の中に、物語もそうだが、何よりアクションがこれでもかと詰め込まれている。内容の詰込みにより怒涛の超展開で進行し、またその進行自体は、独特の演出により、さらに加速していき、観客の体感速度を上げていく。『DEAD LEAVES』に登場し、刹那に生きる彼らの生き(死に)様を見ていく。

 

サイバーパンク:エッジランナーズ』については、以下過去記事を参照。

nichcha-0925.hatenablog.com

 

生き・死に、急ぐ

 本作は、レトロとパンディーが記憶喪失かつ真っ裸の状態で、荒野ど真ん中で目覚めるところから物語は始まる。話が進んで判明するが、彼らは月面刑務所「DEAD LEAVES」へのスパイ行為によって、コールドスリープに掛けられ、八年の歳月を経て、冒頭の目覚めへと至っている。そして、本作の物語は、ラストにギャラクティカを倒した二人が、月から逃げる際に、月の破片がロケットに衝突し、緊急起動したコールドスリープ装置によって、再びコールドスリープされ、装置ごと地球に落下して物語を締めくくる。コールドスリープに始まり、コールドスリープに終わる、サンドイッチされた形で、物語が構成されている。

 レトロとパンディー、そして「DEAD LEAVES」の囚人、看守たち、すべてを巻き込んだ物語が、二人のコールドスリープが解除されている間の時間で、生き(死に)急ぐかのように、超スピードで進んでいく。

 印象的なのは、本作のアバンタイトルから脱獄までの部分における、登場人物たちが生理的欲求を即座に満たす描き方である。冒頭に、荒野で目を覚ましたレトロとパンディーは空腹に気づき、強盗で食料調達を行い、即物的な欲求を満たす。また、同時に武器を調達し、駆けつけた警官と激しい銃撃戦を繰り広げる。銃撃戦の果てに、二人は車を崖から落下させ、警官たちに取り囲まれ、流れるように確保され、輸送され、収監される。ほぼ大半が状況を説明しない銃撃戦で占められ、圧倒的なスピードで物語の導入が完遂し、気づけば舞台は即座に名もなき街から「DEAD LEAVES」に移される。

 「DEAD LEAVES」で、囚人たちは、作業をするとき以外、全身拘束衣で、ミノムシ上に拘束されている。そのため、食事・排泄、それに伴う移動が、彼らの手足を伴わず、建物の機械仕掛けで、システマティックにかつスピーディーに済ませられる。食事は管を突っ込まれ、充電・液状食料が管から流し込まれ、他方排泄では、拘束衣に開いた穴からこれまた管を突っ込まれ、吸い出される。それぞれで、看守の号令やBGM、効果音のリズムに合わせて、すべての工程が流れ作業で進行する。そして、各部屋に移り、持て余したレトロはパンディーに性交を持ち掛け、獄中をなまめかしい音声で包み込む。行為を終えた二人は、なぜか拘束着と部屋のロックの解除方法を知っており、苦も無く解除して脱出する。

 脱獄以前のシーンでは、生きることに関わる即物的な欲求の充足が、趣も抒情もなく、いとも簡単に満たされている。登場人物は、味気ないものの欲求を充足し快楽を得るが、観客は、登場人物の欲求が満たされるのを見ることよりも、欲求が満たされるシステマティックでかつスピーディーな欲求処理の仕方そのものに快楽を見出す。システマティックさは、コンベアで流れるように、宙づりに流れていく囚人たちの様子や位置に着いた囚人に食事や排泄が施される様に現われる。

 視覚的な要因と同時的に現れるのが、音である。システマティックさの流れを見た目の動きが作るのに対して、その動きに確かな輪郭を与えるのが、音である。囚人を吊るすレールを流れこすれる音、曲がり角・停止位置などは甲高い金属音が響く。銃の発砲音、効果音、BGMでショットは、短いショットが繰り返されるような、ショットの切り替えも、観客への知覚を容易にしてくれる。また、リズミカルに音と画面が切り替わる様や銃撃のような衝撃の大きな音によって、画面が変わることによって、その変化そのものにある種の快楽を感じられる。

 さらに、その音によって媒介されるのは、動きという連続性だけではない。音は繰り返しのショットをも繋げていく。本作で、同一ショットの連続が、繰り返し再生するシーンが存在する。具体的には、アバンタイトルでロボットにレトロ・パンディーが銃撃するシーン、刑務官との戦闘でバイクに乗ったレトロが同じくバイクに乗った刑務官と対峙するシーン、ギャラクティカによってレトロの頭部が切り落とされたパンディーの反応のシーン、などで繰り返し再生することによって、観客のボルテージを高める。さらに重要なのは、その強調が、時間をかけることで、際立たせるというわけではないことだ。どういうことかと言うと、ここでは短いシーンがいくつかのショットに刻まれ、そのショット群が高速な映像として、見せられる。それにより、本作が持つスピード感を損なわずに、観客の目にそのシーンを焼き付ける。

 アバンタイトルの食欲を思うままに満たす二人と激しい戦闘のミックスから、「DEAD LEAVES」序盤の食欲・排泄(欲)・性欲などの快楽を潜り抜けて、四フェーズにわたる戦闘シーンが続く。生にとって必要な欲求が満たされながらも、激烈な戦闘というその生を最も死に近い場所に晒す。生の欲求が満たされるその直接性から生き急ぎの側面が、そして死をも厭わない無謀にも見える戦闘シーンが死に急ぎの側面を見せる。

 彼らの加速した物語の極点は、パンディーが生む子どもに見える。子どもは、一日で誕生し、成長し、老い、死んでいく。子どもの人生は、一日に凝縮されている。生き(死に)急ぐかのようにふるまう彼らのお手本のように、彼はラスボスもろとも物語から退場していく。

 物語の忙しなさは、欲求を満たす生と激しい戦闘がもたらす死という二つ要素の忙しなさ、欲求と殺し合いに貪欲な代表する二人の子どもという忙しなさの結晶たる子ども、映像表現のスピード感によって、さらに色濃く刻み付けられる。

 

生かつ死の御姿たる眠り

 さて、直接的でいわゆる動物的な欲求を食らう彼らだが、彼らには無視されながらも、物語上、観客は否が応でも見なければならない欲求がある。それは睡眠である。彼らは眠らない。「DEAD LEAVES」で食事・排泄・作業が終わって消灯時間になっても、レトロは手持ち無沙汰で眠ることができない。そこで、寝ようとしているパンディーを起こして、事を開始する。一室での淫靡な声・音が、獄中に響き渡り、他の囚人たちの眠りを妨げ、眠りから覚醒へ、覚醒から興奮へといざなう。そこから、牢屋を飛び出した彼らは、死に限りなく近接する看守たちとの壮絶なバトルを不眠不休で繰り広げる。

 眠らない彼らだが、唯一物語の主要人物たるレトロとパンディーは、意図せず眠っている。すなわち、冒頭でも言及した、レトロとパンディーの覚醒時をサンドイッチするコールドスリープである。

 私たちが、日中の活動に備えて眠るのとは逆に、生き(死に)急ぐ彼らは、眠るという選択肢はない。眠るよりも欲求のままに活動する。しかし、彼らがクローン人間でありながらも、人間である以上、睡眠は必要である。それゆえに、コールドスリープの形をとって、二人に休息が強制的に与えられる。コールドスリープの睡眠によって、二人の活動エネルギーが八年蓄えられ、そのエネルギーが本作の前面にあふれ出す。そうして、エネルギーを十分に発揮した二人を待つのは、限りなく近接する死である。つまり、コールドスリープの仮死状態である。

 二人の子どもが人生を一日で通り過ぎるスピード感を、『DEAD LEAVES』を通して、レトロとパンディーにも重ね見ることができる。それは、寝て起きて「DEAD LEAVES」をぶっ潰す二人の人生の一日として、あるいは仮死状態から記憶・背景・初期装備等ゼロから生を始め、ラストのコールドスリープにより死を迎える一個の人生として、二つの重なりとなって、観客の眼前に現れる。