【アニメ考察】探偵 鶯餡子について―『よふかしのうた』

Ⓒ2022コトヤマ小学館/「よふかしのうた」製作委員会

 

 『よふかしのうた』の主人公コウは、ある日吸血鬼に出会う。彼女と出会い、彼は窮屈な昼の世界から自由な夜の世界を知る。夜の世界は、また吸血鬼の世界でもある。彼は吸血鬼のナズナと時間を共にする内に、吸血鬼の世界に入り込んでいく。それと同時に、昼の世界の住人であった友人たちとも、夜の世界で出会い、その絆を強く結びなおす。

 本作は、主人公コウが吸血鬼ナズナに出会い、「吸血鬼になりたい=ナズナのことを好きになりたい」と宣言して始まる異色のラブコメである。十三話という紆余曲折を経て、彼は十三話でこの宣言を再認する。再認を生むのは、彼に立ちはだかった鶯餡子が吸血鬼を殺せるという事実、真昼からの「吸血鬼になって何がしたいんだ」という問いかけ、吸血鬼になろうとすることでナズナに危害が及ぶかもしれないという不安である。それらに共通した出発点は、十一話に初登場する探偵 鶯餡子の存在である。このような障害の出発点たる鶯に見出せる演出について見ていきたい。

 

  youtu.be
●原作
原作:コトヤマ小学館週刊少年サンデー」連載中)

●スタッフ
監督:板村智幸チーフディレクター:宮西哲也/脚本:横手美智子/キャラクターデザイン:佐川遥/音楽:出羽良彰/美術設定:杉山晋史/美術監督:横松紀彦/色彩設計:滝沢いづみ/色彩設計補佐:きつかわあさみ/撮影監督:土本優貴/編集:榎田美咲/音響監督:木村絵理子

アニメーション制作:ライデンフィルム

●キャラクター&キャスト
夜守コウ:佐藤元/七草ナズナ雨宮天/朝井アキラ:花守ゆみり/桔梗セリ:戸松遥/平田ニコ:喜多村英梨/本田カブラ:伊藤静/小繁縷ミドリ:大空直美/蘿蔔ハツカ:和氣あず未/夕真昼:小野賢章/秋山昭人:吉野裕行/白河清澄:日笠陽子/鶯餡子:沢城みゆき

公式サイト:TVアニメ『よふかしのうた』 (yofukashi-no-uta.com)
公式Twitter『よふかしのうた』TVアニメ公式 (@yofukashi_pr) / Twitter

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

鶯餡子という怪異

Ⓒ2022コトヤマ小学館/「よふかしのうた」製作委員会

 十一話Bパートで、コウたちの学校で鶯が吸血鬼を殺すところを、コウ・アキラ・真昼は目撃する。その直後、鶯は十一話でコウの吸血鬼になる夢を阻止すると宣言して、十二話では、警察に連絡して、実際に行動に移す。彼女はコウの前に立ちはだかる。しかし、同じ人間であるにも関わらず、鶯とコウは異質な存在に感じる。というよりも、鶯そのものが本作から異質な存在に感じる。

 鶯餡子は探偵であり、ただの人間である。とはいえ、吸血鬼を殺せて、ただならぬ雰囲気を醸し出し続ける異質な人間である。彼女が障害物として、コウに影響を与えるのは、吸血鬼を殺せるという事実だけではなく、その事実を基底から支える不気味さによると推測できる。また、コウがその点を本作では明示的に言及していないために、コウが不気味さによって自分に迷いが生じたと自覚的でなかったとしても、少なくとも、外から見ている視聴者は、彼女の得体の知れなさがコウの恐怖を増していると感じる。同時に、視聴者自身も彼女に同じ人間だからという単純な理由で、安易に親近感を持つことができない。

 本ブログでは、このような鶯が持つ得体の知れなさ、他とは違った異質性を「怪異性」と捉えて、この怪異性が本作のどこに由来しているのか確認していく。「他とは違った」というのは、もちろんナズナたち吸血鬼を含む。それでは、彼女の怪異性はどこにあるのだろうか。

 

像が結べない探偵

 まずもって、彼女の怪異性を際立たせるのは、言動とそこに合わさる鶯餡子役・沢城みゆきの快演である。彼女の会話は、十一話では、歩道橋でのコウと鶯の出会いの場、コウと二人での喫茶店、夜の学校、十二話では、高架下横の道路で彼女の会話が聞ける。冗談と本気が相互に立ち代わりで、彼女の口から飛び出す。彼女の話から容易には、真意を推測できかねる。だが、吸血鬼の話題については、彼女の意志は明確だ。それゆえ、吸血鬼に対する感情と信念が、奇妙に色濃く浮かびあがる。

 その言動に音声という形で、アニメに登場させるのが、沢城みゆきの演技である。低音のハスキーボイスで、吸血鬼の陽気あるいは活発な空気とは対照的な、落ち着いており、かつ毒のある雰囲気を基本のものとして、構築している。だが、鶯餡子はこのイメージから逸脱し続ける。話の内容によって、テンポ・声調・声量が大きく変わり、声のイメージからキャラクターのイメージへと容易に結び合わせることができない。彼女のイメージを本質として強引に繋ぎ止めるのが、吸血鬼に対する反応である。喫茶店でコウが秋山明人のことを知っている風の態度を取った時の豹変ぶり、学校で吸血鬼と対峙する必死な声と人間の誇りを捨てなかった彼への聖母のような優しい声掛けなど、人間の安全を脅かす吸血鬼に対する敵意をまざまざと感じさせる。この点に、鶯の本質が回収されていくが、アニメ『よふかしのうた』では、この本質の理由が明かされることはない。ただ、彼女の信念は明らかにされる。すなわち、人間が人間間で時と場合によって、不幸にし合うのは仕方がないが、人間外の意志により、人間を不幸にするのは許さない、と。しかし、彼女がそのような信念を抱いている原因は明かされない。もしかすると、彼女の仇かもしれないし、探偵業を続ける中で吸血鬼の悪行を数多く見てきたのかもしれないし、そこは推測することしかできない。

 彼女の言動と演技が合わさることで、彼女の怪異性は担保され続ける。軽佻浮薄でありながら、同時に明確な理由・エピソードが未提示ゆえに空白である強烈な信念が、彼女の中に同居していると想定せざるを得ない。この点、恋愛感情や人の心のわからなさを言葉にするコウ、欲望のままに行動する吸血鬼たちとは対照的な位置に、鶯のキャラクター造形は存在する。コウと鶯は同じ人間であるにもかかわらず、コウ視点の『よふかしのうた』では、鶯の怪異性が露呈せざるをえない。

 鶯は言動・演技の側面から、捉えどころのないイメージとして存在することで、吸血鬼になる夢を進むコウの足を止めさせ、吸血鬼になる夢を再考させる。それにより、彼女は、本作後半からクライマックスへと物語を加速させる。彼女の捉えどころのなさ、鶯餡子として一個の物語を構成することの不可能性は、彼女に対して怪異的な印象を与える。映像演出についても、光を用いる演出、構図の妙を利用して、巧みに演出されている。

 

ネオンとセピアと太陽光

 十一話Aパートにおける鶯の登場シーンでは、夜の歩道橋で、鶯は一人佇んでいる。添い寝屋の客引きをしていたコウは、彼女に声を掛けようと、様子をうかがっている。ライターの音と同時に光る青白い炎のショットを、端緒に、背景がセピアと黒に塗りつぶされる。本作で夜の魅力を表現してきたネオン色に溢れた夜が、一瞬でそれまでの色彩を失う。彼女が付けたライターとたばこの光だけが輝きを持ち続ける。本作の夜を彩るネオンライトの光を塗り消してしまう。

Ⓒ2022コトヤマ小学館/「よふかしのうた」製作委員会

 これと対比的になるのが、Bパートの夜の学校シーンである。夜の学校のシーンでは、同じように廊下の暗がりから鶯が登場し、ライターでたばこに火を点ける。ここまでは、同一であるが、吸血鬼を殺すシーンでは、昇った朝日が、廊下一面の窓から差し込んでくる。登場シーンでは、ネオンカラーからセピアと黒に配色が変えられたが、ここでは、陽光が積極的に取り入れられている。光はネオンカラーとは打って変わって、柔らかい色調を持ち、そして、白飛びして、窓外の様子を見ることができないほど光量が強調されている。

Ⓒ2022コトヤマ小学館/「よふかしのうた」製作委員会

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 ナズナがコウを夜更かしに誘ったように、吸血鬼が夜の暗がりに連れ込むものであるならば、鶯は暗闇を光で照らし、かつ昼の世界へ連れ戻す者として、象徴的に捉えることができる。またこのことは、同様に、吸血鬼が怪異として未知の暗がりの存在であるのに対して、探偵の鶯が依頼を解決して、未知を白日の下に晒す存在として対置できる。それぞれのカテゴリーが光の用い方によって、各カテゴリーに分類される登場人物に、象徴的に投影されている。

 

探偵の圧による窮屈さの演出

 また、光から離れて、怪異性に関し、不安を煽る演出を見ていきたい。特に顕著なカフェのシーンを見たい。カフェのシーンでは、コウと鶯が向い合せで、窓際最奥の席に座っている。このシーンでは、ショットの幅を限定して、視聴者の視線や意識を二人が座る最奥の席、さらに二人の会話のみに集中させられる。また二人の会話を主導するのは、鶯であるから、結果的には彼女に注目させられていく。この点は、本作の夜の街を歩くロングショットが効果的に使用されているために、かなり対照的な構図選択だったかと思う。

 カフェの始めは、二人が席に座って話す様子が、ローアングル・ロングショットで収められている。

Ⓒ2022コトヤマ小学館/「よふかしのうた」製作委員会

ここでは二人を画面中央に配置し、画面左側を店内の壁で遮り、また画面右側に等間隔で並べられた椅子を配置することで、消失点上にいる二人に自然と目線が吸い寄せられる。会話の流れで、二人の様子が横からミドルショットで収められ(この時も鶯は画面右手、コウは画面左手に寄った形で配置されている)、各々の相手を見る主観ショット、それに目元やたばこなどの場面を構成するシーンのクローズアップなどが使い分けられ、会話を映像として成立させていく。最初のロングショットだけではなく、他にも広がりを感じさせそうなロングショットが用いられているが、局所的な二人の様子に視線を集中させるように、意図的に工夫がなされている。

 一つ目は、俯瞰ショットである。

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天井ほどの高さから、二人の真上からの構図が取られるが、かろうじて鶯の後ろの座席が映るだけで、他の座席の様子は分からない。窓にも、反射する二人の様子の映り込みが丁寧に描きこまれ窓の外は見えないため、画面下側の窓に視線を逃がしても、二人の会話、あるいは鶯から逃れることができない。また、鶯のたばこの煙がとぐろ巻いて、上方に伸びており、煙の動きの発生源に自然と目が行く。

 二つ目は、喫煙席区画の外から二人を収めているロングショットの構図である。

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画面左には喫煙席を明示する看板が画面左側を覆っており、画面右側は喫煙席区画を区切る仕切りによって阻まれている。ここでも、左側看板に記載の黒文字の下にある赤い座席から消失点に伸びる延長線上に二人の座席が位置しており、さらにコウの後ろで、かつ画面上中央部に植物の緑を配置することで、「喫煙席」の看板文字から赤い座席、その先にある緑の植物の間に位置する二人の席に、自然と注目させることができる。

 以上、二人の座席に、視聴者を釘付けにしておく画面構成を見てきた。この釘付け状態は、鶯が去るときに、画面中央には鶯の後ろ姿全身、右下に座っているコウ、右上の窓外にたまゆらが映りこむ夜景、左手にはほのかに、緑に光る避難口誘導灯が配置され、視聴者は画面全体を見るように、促されている。二人の会話という閉じられた中に、集中させられた視聴者、緊張感のある会話からお釣りをもらえたコウは、解放感でシンクロできる*1

 色彩、構図の面から、鶯餡子という存在を印象付けられる。コウが最終的に十三話で、悩んだ結果、「吸血鬼になりたい=ナズナを好きになりたい」と宣言したその宣言に要因の一つではあるが、十分な重みづけを鶯餡子は行っている。本作において、鶯は十一話からの登場で登場回数は多くないが、彼女はコウの選択に重みを与えられるほど、決定的な役割を果たしている。

 

 

 本作の主人公コウは、吸血鬼のナズナと出会い、「吸血鬼になりたい=ナズナを好きになりたい」と願う。吸血鬼を知る、悩む等の紆余曲折を経て、最終話にて、一話とは、コウとナズナの立ち位置を逆転させて、出会いの場を繰り返して、この願いを再宣言する。彼も誰も「何でもは知らない」。彼は紆余曲折と本ブログで言及した鶯との対峙を経ることによって、彼が知らなかった感情を、「知ってること」に分類することができた。

*1:また、この視聴者の視線を注目させる構図選択は、十一話後半にひと悶着のある廊下でも、一直線に伸びる廊下の選択でも同様の効果が得られる。大小により人物の距離は表現されるが、画面上の距離自体は近くに位置させられているなど。