【アニメ考察】運命的な出会いを神の視点で眺める―『君の名は。』

Ⓒ2016『君の名は。』製作委員会

 

  youtu.be
●スタッフ
原作・脚本・監督:新海誠作画監督安藤雅司/キャラクターデザイン:田中将賀/音楽:RADWIMPS/製作:市川南・川口典孝・大田圭二/共同製作:井上伸一郎・弓矢政法・畠中達郎・善木準二・坂本健/企画・プロデュース:川村元気/エグゼクティブプロデューサー:古澤佳寛/プロデューサー:武井克弘:伊藤耕一郎/制作プロデューサー:酒井雄一/音楽プロデューサー:成川沙世子/音響監督・山田陽:音響効果:森川永子

制作:コミックス・ウェーブ・フィルム/製作/「君の名は。」製作委員会/配給:東宝

●キャラクター&キャスト
立花瀧神木隆之介宮水三葉上白石萌音奥寺ミキ長澤まさみ宮水一葉市原悦子勅使河原克彦成田凌名取早耶香悠木碧藤井司:島﨑信長/高木真太:石川界人宮水四葉谷花音

公式サイト:映画『君の名は。』公式サイト (kiminona.com)
公式Twitter映画『君の名は。』 (@kiminona_movie) / Twitter

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

 十一月十一日から新海誠監督の最新作『すずめの戸締り』が公開される。公開に当たって、直近の二作品、『君の名は。』と『天気の子』について、振り返りを行いたい。本ブログでは、『君の名は。』について、言及する。

 『君の名は。』は最終的な興行収入(250.3億円)*1を突破し、公開終了時日本歴代興行収入ランキングで四位にランキングを果たして、アニメファンを層以外の幅広い層に受け入れられた。『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』に追い抜かれてから、現在でもランキング五位に位置している。

 当時の熱気が、遠い彼方の現在だからこそ、冷静に本作の見どころを考えてみたい。本ブログでは、本作が持つ魅力の中で、特に三葉と瀧の入れ替わりと入れ替わりに起因するボーイミーツガールに、限定して進めていく。もちろん、本作でそれ以外の重要な要素は存在する。被災をどう考えるか、新海監督のフィルモグラフィー内での連続性、巫女や宮水が賜る神職について、などこの作品を組み立てる骨組みであり、魅力でもある要素は多くある。だが、この内でも、特に三葉と瀧の出会いと仲を深める過程の様子は、観客の感情に直接的に訴えかける効果を持っている。さらに、この点で、新海監督が過去作品でも、扱ってきた「いま・ここ」ではない「どこか」を希求する人物を独自の観点で描いている。以下では、二人の入れ替わり、とボーイミーツガール(ガールミーツボーイ)に焦点を当てていく。

 

運命に至る道

 『君の名は。』では、「いま・ここ」ではない「どこか」は、ふとした時に何か・誰かを探しているという、瀧と三葉のモノローグから読み取れる。「いま・ここ」ではない「どこか」は、二人それぞれが異なる実感を有するが、理由は分からないにもかかわらず、「どこか」を希求してしまう感覚を体現している。本作における、その「どこか」は、大人になった二人の記憶から、取り除かれ、忘れてしまった相手の存在である。「どこか」は、運命的な出会いを果たしたはずの相手、その人を希求する感覚として、捉えられている。糸守を救い過去を変更した二人が、お互いの記憶を忘却しながらも、理由もわからず、「どこか」、つまり探してきた運命の相手を探し続け、そして二人が出会った際に、涙がこぼれ落ち、運命の相手だと気づく。ここまで、お互いの心に刻み付けた本作の過程、特にボーイミーツガールの過程を見ていきたい。そうすることで、二人がどのように忘れながらも大切な存在を心に刻み付けるに至ったのか、何より、観客が、二人が運命を感じていることに、強い説得力を感じ、最後の再会に素直に感動できる要因も自然と見えてくるはずである。

 

隔たりを作る

 『君の名は。』では、主人公の三葉と瀧の二人が、入れ替わり現象に合って、入れ替わりによって二人は出会う。お互いが、お互いの外見や残されたメッセージなどから、相手がどのような人物か把握していく。しかし、入れ替わりであるから、直接に会うことはできない。

 物語の展開が進むにつれ、二人の間を分かつのは、糸守と東京という距離だけではなく、三年という時間のずれであることが分かってくる。この距離・時間という溝を埋めていくことで、お互いへの思いを募らせていく。しかし、特に、時間のずれは容易には解消できない溝である。それゆえに、糸守を救った後、すぐに二人が結ばれるわけではない。その数年後になって初めて、お互いの記憶はないが、お互いの名を問うて、二人は同じ現在に出会う。

 この点、二人の運命の出会いには、距離と時間という隔たりが重要な要素を構成している。以下、この二つの要素について、見ていく。

 

糸守と東京の隔たり

 遠距離恋愛は、恋愛において一つの障害足りうる。劇中でもあるように、奥寺先輩とのデート後、瀧が三葉に電話をかけても出ず、相手の状況を確かめることが困難である。距離は、人と人をつなぐ手段である「会う」という手段を困難なものにする。ましてや、高校生の二人には、糸守-東京間は途方もない距離に感じられる。

 一方で三葉が住む山々や湖に囲まれて、古い日本家屋が立ち並ぶ糸守の景観と他方では瀧が住む高層ビルやマンションなどが立ち並び、往来には人が溢れる東京の景観が映されていく。二人が住む環境が大きく異なることが、容易に見て取れる。

 三葉との入れ替わりを経て、彼女への思いが積もった瀧は、彼女に会いに行く。しかし、糸守へ向かった彼に突き付けられるのは、糸守は三年前に彗星が落下し、町自体が消滅しているという事実である。もちろん、三葉もその彗星の犠牲となっている。その事実から判明するのは、二人にとっての障害は、距離だけではなく、距離とは比較できないほど、深く二人を引き裂く時間のずれが横たわっていることだ。

 

現代と三年前の隔たり

 三葉と瀧は、距離及び時間によって隔てられている。後者の時間の隔たりは、観客に気取られぬよう、慎重になりを潜めている。実際には、時間にずれのある二人が、同じ現在を生きているよう効果的に映すことによって、二人の運命的なボーイミーツガール物語は、時間のずれという途方もない障害を前にして、障害を越えるほどに運命性を高め、観客の心を動かす。この時間の隔たりは、距離の隔たりと比べて、根深い障害であり本作の根幹をなしており、その位置づけはより重要である。

 OP後、始まりは、三葉(瀧)*2の視点で始まる。三葉(瀧)は自分の体を見て、何かが起きていることに気づく。起床後の様子は描かれずに、場面が切り替わり、三葉(三葉)が登場する。このとき、観客にとって彼女は、その前のシーンからして、三葉(瀧)に見えるよう仕向けられている。そこから、妹と祖母の言葉、クラスメイトの勅使河原と早耶香の言葉から、昨日に三葉ではない三葉が行動していたことに気づく。もちろん観客は、三葉(瀧)、あるいは瀧とは明確にわからなくても、アバンタイトルに登場した男性登場人物であることは予想が付く。オープニング後、ここから三葉視点を中心にして、入れ替わり現象や入れ替わりにより巻き起る二人の物語が描かれていく。

 次に、RADWIMPSの楽曲に乗せて、現象を解き明かしつつある二人の入れ替わり生活が、テンポよく描かれる。ここでは、映像と楽曲がマッチする気持ちよさと共に、二人の生活が並行に描かれることが重要である。このシーン以前では、周囲の人間の反応や日記、ノートや体への落書きなど、お互いの痕跡で推測できるのみだったため、二人にとって、瀧(三葉)のときには、当然の帰結として三葉(瀧)となっていること、つまり身体の一方的な乗っ取りではなくて、精神の入れ替わりであるという予測が成り立つに過ぎない。もちろん、観客もそのような予測の予測を立ててみているから、入れ替わり現象の知識については、登場人物たちと同一である。だが、このシーンが挿し込まれることで、瀧(三葉)・三葉(瀧)が過ごす映像に被せる形で、瀧・三葉のモノローグが入り、観客は、二人に起きている現象が入れ替わりだと確信でき、二人の入れ替わりが同じ現在に起こっていると錯覚させられる。

 三葉の視点と二人の生活が並行に描かれたシーンにより、二人が、入れ替わりという不思議な現象によって、同じ現在に出会うガールミーツボーイの様相を見せる。だが、二人の並行シーン以後、物語の視点主は瀧に移る。

 視点主を引き継いだ瀧は、瀧(三葉)が取り付けた奥寺先輩とのデート後、三葉に電話をかける。今まで、二人は日記や周囲の反応などの非同時的な伝達手段しか使用していなかった。ここで、初めて、電話という同時的な伝達手段を用いる。三葉は電話に出ず、それからしばらくしても入れ替わり現象は起きなかった。そのため、思い立った瀧は、三葉に会いに、おぼろげな記憶や風景画を基に、糸守に出かける。そこで、彼と観客は、二人を分かつものは、糸守-東京間の距離だけではなく、より根深い時間のずれだったことが分かる。いずれ同じ現在を生き。出会う可能性がゼロではなかった二人から、その可能性をゼロに確定し、時間のずれを決定的なものにするのは、彗星による大規模災害である。彗星の被害により、三葉は死という本来不可逆的な運命に囚われる。この時間のずれにより生じた、生と死という人間にとって最も大きな断絶とも言える、隔たり・運命を瀧は変えようとする。

 瀧は宮水神社の御神体を見て、確かに入れ替わりは起きていたと確信し、もう一度入れ替わりを起こし、運命を変えるべく口噛み酒を飲む。過去に彗星が落下した遠い記憶、三葉の誕生から成長していく記憶が、濁流のように彼の中に流れ込み、目が覚めると、彗星が落下日する当日の三葉に入れ替わる。

 三葉(瀧)は彗星による住民の被災を防ごうと、勅使河原・早耶香と協力して作戦を実行する。作戦の肝である町長の説得に失敗した三葉(瀧)は、瀧(三葉)の気配を感じ、宮水神社の御神体がある山頂へ向かう。

 山頂では、二人が同じ時間、同じ場所に存在していることが、叙情的表現に満ち満ちて、二人を包んでいる。夕陽に空が染まり、お互いの姿を求めて、三葉(瀧)と瀧(三葉)は歩き回る。画面を分割するように、夕日によるフレアが縦線を引く。フレアに分割された画面に、山頂の同じ場所だが、異なる時間・異なるショットに二人は映りこむ。夕陽が沈みきるかたわれ時(=黄昏時)に、フレアに分かたれた二人はフレアの消滅と同時に、同じ時間・同じ場所で出会い、観客は同じショット内で二人の姿を見る。一方で、夕陽の茜色がうっすらと地平線下部に残りながら、夕闇が画面を覆う。他方で、二人の頭上、地平線上部には、夕日が退いた後の薄明に星空と彗星が煌めく。かたわれ時(=黄昏時)らしく、静かに、だが、かたわれ時(=黄昏時)らしからず、劇的に、二人の出会い(再会)を演出する。

 三葉の視点、二人の並行モンタージュ、そして瀧の視点と紡がれた物語は、ここで二人が同じ現在に立つシーンに到達する。以前、二人が同時的でありながらも、距離に隔てられているだけと錯覚させられた地点と観客は別の地点にいる。二人は、同じ時間・同じ場所で言葉を交わす。二人が真に交わる山頂で、瀧の視点で描かれた彼の奮闘は、三葉に受け継がれる。そして、二人が本来存在すべき時間に戻った時、瀧は当時の記憶を失うが、三葉により糸守町の運命、三葉自身の運命が変えられる。

 

二回目の「君の名は?」

 糸守町を救った二人のその後が、ラスト十五分で描かれる。その様子は、彗星落下から八年後として、アバンタイトルに描かれた二人と連続性をもっている。観客はここにきて、現在、何かを探している瀧と三葉に向き合うことができる。

 劇中、山頂の瀧(三葉)に会いに三葉(瀧)が山頂に登るシーンで、三葉が東京の瀧に会いに来ていた記憶を、記憶の外から瀧と観客が回想するシーンがある。高校生の三葉は、当時中学生で、三葉と知り合う前の瀧に会いに行く。同じ電車内で、声を掛けるも、「お前誰?」と聞き返されてしまう。彗星落下前の彼女の苦い記憶は、山頂での瀧の言葉で解消される。そして、その苦さや喜びそのものを、二人は忘れてしまう。ただ、忘却は完全な消去ではない。二人の運命は、現代において収束する。

 話は、現代に戻ってくる。電車の中で並走する電車にお互いの姿を認めた二人は、お互いを探す。お互いを見つけた二人は、お互いに「君の名は?」と問いかける。ここに、宮水に伝わる組紐に繋がれ、距離・時間を超えて捻じ曲げて出会い、運命的にも再び巡り合った二人の物語が結びを迎える。

*1:歴代興収ベスト100参照
http://www.kogyotsushin.com/archives/alltime/

*2:以下、二人の入れ替わりを、三葉(瀧)=体は三葉、意識は瀧、のように表記する。逆の場合、瀧(三葉)のようになる。