【アニメ考察】ヒーラーという名の理想ー『ヒーラー・ガール』

©Healer Girl Project

 

 

  youtu.be
●スタッフ
監督:入江泰浩/シリーズ構成・脚本:木村暢/キャラクターデザイン:秋谷有紀恵/美術デザイン:石口十/プロップデザイン:あきづきりょう/音楽:高橋諒/歌詞:松井洋平/音響監督:郷文裕貴/美術監修:東潤一(スタジオイースター)/美術監督:妹尾想(スタジオイースター)/色彩設計:加藤里恵/グラフィックアート:荒木宏文/3D監督:小川耕平(Marco)/撮影監督:村上優作(スタジオエル)/編集:定松剛/アニメーション制作:Studio 3Hz

●キャラクター&キャスト
藤井かな:礒部花凜/五城玲美:堀内まり菜/森嶋響:熊田茜音/矢薙ソニア:吉武千颯/烏丸理彩:高垣彩陽/渚笙子:東城日沙子/穂ノ坂しのぶ:高木美佑

公式サイト:TVアニメ「ヒーラー・ガール」公式サイト (healer-girl.jp)
公式TwitterTVアニメ『ヒーラー・ガール』公式 (@HealerGirlAnime) / Twitter

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

第三の医学、ヒーリング
歌で病気やケガを治す"音声医学"。
そして歌うことで医療行為を行う人たちを、"ヒーラー"と呼んでいる。
烏丸音声治療院で働く、3人の見習いヒーラーたち。
元気いっぱいのムードメーカー、藤井かな。
ちょっひり強気なお嬢様、五城玲美。
おっとりしつつもしっかりもののお姉さん、森嶋響。
高校1年生の3人は放課後、
烏丸治療院で一人前のヒーラーを目指して修行中!
帰国子女でC級ヒーラーの資格を持つ矢薙ソ二アも加わり、
少女たちは夢に向かって、今日も癒しの歌をうたいます!

STORY | TVアニメ「ヒーラー・ガール」公式サイト (healer-girl.jp)

 

「ヒーラーガールズ」から『ヒーラー・ガール』へ

『ヒーラー・ガール』は2022年春アニメとして、全十二話を放映した。声優四人のコーラスユニット「ヒーラーガールズ」の四人が、音声治療師(ヒーラー)を目指す少女たちかな・玲美・響・ソニアをそれぞれ担当している。ユニット名の「ヒーラー」に結びつくものとして、治療要素を盛り込み、音楽を主軸にしてテレビアニメ『ヒーラー・ガール』は制作されている。

 本作の内容に入る前に、ユニット名の「ヒーラーガールズ」とテレビアニメの『ヒーラー・ガール』の違いに言及する。「ヒーラーガールズ」は、「ヒーラー」=癒す人、それも複数人の女性声優で構成されたユニットを端的に表現していると言える*1。それに対して、テレビアニメのタイトル『ヒーラー・ガール』は引っ掛かりがある。そもそも、本編で主要人物は三人と複数人だが、『ヒーラー・「ガール」』と複数形ではないし、「ヒーラーガールズ」では、「ヒーラー」と「ガール」が一単語に続いているのに対して、「・」が「ヒーラー」と「ガール」に分割している。

 素直に解釈するなら、「・」が分割を生むことで、「ヒーラー」と「少女」が一体ではない、すなわち少女たちが音声治療師へと続く不安定な道程を描くアニメと読めるし、複数形については、「ヒーラーガールズ」は特定の四人をメンバーに含むユニットを指しているが、『ヒーラー・ガール』の目線の先は、特定のだれかではないヒーラーを目指す人を理念的に捉えているのかもしれない。

 ユニット名とタイトルから一つの解釈を施してみた。この解釈が適切かどうかは本編の読解を通して見定めたい。以降の流れを簡単にまとめると、二章で「一緒に」をキーワードにして、切磋琢磨する三人を映し出す横並び構図とシーンを進展させる二対一の構図に注目し、三章では、本作で度々あるミュージカルとミュージカル外のシーンを、それぞれの意味と画面構成から確認する。四章では、本作の肝となる歌のヒール効果を、どのように視覚的に表現しているのか見ていく。

 

「一緒に登ろう」

 歌唱十一(十一話のこと)でスランプに陥ったかな・玲美・響の三人は、うまく歌えない不安や焦りから、彼女たちの仲に亀裂が入る。ひとしきり不満をぶつけあった後に、自分が持っていないものを持っている二人に対して、相互に嫉妬していることに気づく。嫉妬するほどお互いの実力を認め、尊敬していることを再発見し、彼女たちの結束が深まり、スランプを解消する。その後、C級試験合格を師匠から知らされたとき、響が昔の情景を思い出し、三人のヒーラーの師匠理彩が「一緒に登ろう」ということを、最初から教えてくれていたと呟くシーンがある。

 この気づきと呟いた言葉は、『ヒーラー・ガール』という作品の中で重要である。本作の物語上、かなが中心に立つことが多い。現に歌唱一の冒頭で、ヒーラー歴が最短の彼女が、隣人のおばあさんの近くに寄り添って、患者の心を落ち着ける音声を届け、彼女が持つヒーラーの才覚を見せる。このシーンでは、おばあさんを救急車に乗せて付き添う師匠とそれを救急車後方から三人が眺めている位置関係になるシーンがある。そこでは、師匠の視点から見る三人は夜道で暗いこともあり遠近感があいまいになっているが、カットが変わると、救急車を見送る三人を斜め上後方から構図で捉え、横並びの玲美・響と二歩ほど前にかなが立っているのが分かる。そして師匠と仲間二人に褒められたかなは見習ヒーラーとしてのやる気を出す、というシーンだ。一話のこのシーンからかなが主人公であると明確に感じる。付け加えるなら、この後も、三人横並びの構図が取られるが、基本的にはかなが真ん中で、向かって右に玲美、左に響の並びが多く見られる。

 しかし、かなの主人公性は、単に三人並びで真ん中に立っている程度のもので、主人公として、この物語が彼女のための物語と言えるほど、物語を支配する強力な主人公ではない。あくまでも彼女は、物語をスムーズに語るために設定された主人公性に過ぎない。いわば語りの中心である。かといって、この作品は主人公のいない群像劇でもない。本作はヒーラーとヒーラーを取り巻く人々の物語であるが、本編を通して音声医療師という難関に少女三人が挑む姿が本作の中心となる。ヒーラー見習い三人が、中心の物語と理解するに至って、「一緒に登ろう」という言葉は重みを持ってくる。

 

肩ならべ横並びの構図

 これを例証するのが、三人横並びの構図である。この構図が『ヒーラー・ガール』中に幾度となく、差し込まれている。そして、最も印象的なシーンは、次のシーンである。歌唱十二で、C級ヒーラー試験合格後の研修先から、かな・玲美・響の三人が飛行機でアメリカから帰国する。離陸した飛行機内で、一人の少女が喘息に苦しんでいる。同乗の医者が診察するも、医療器具も薬も手持ちがないために、治療ができない。彼女たちは、ヒーラーとして歌で喘息の少女の不安や苦しさを取り除き、彼女の発作を抑え込む。そして、少女の母親に、「あなたたち本当にヒーラーなんですね?」と問いかけられ、彼女たちは三人横並びで、顔を見合わせた後、「はい!」と力強く答えるシーンだ。

 このシーンでは、十二話を通して、二回の試験や数多くの困難、そして三人での思い出を作り上げてきた彼女たちが、同じC級ヒーラーとして、初めての音声治療を実践する、最初の一歩を共に踏み出したことが分かる。彼女たちの記憶、そして視聴者の記憶からこのシーンが印象深いシーンと見えるだけではなく、本作にはそれ以外に構図上の工夫も見られる。

 本作で三人が横並びで並ぶシーンが多いと前述した。しかし、先に言及した十二話のシーン以外、三人が並ぶシーンは「横並び」というよりも、「斜め並び」を正面構図あるいは「横並び」かつ斜めからの構図となっている。そのため、三人が綺麗に横並びしている歌唱十二の並びが際立ってくる。

 

二対一構造のスポットライト

 上記してきたように、ともに師匠の元でヒーラーを目指す三人の関係性が、映される構図からよく見て取れる。かな・玲美・響の三人は、必ずしも常に足並みが揃っていたわけではない。斜めに並ぶ構図が現すように、ずれがあることで、彼女たちが一緒に頑張れていた側面がある。それとは別ベクトルで横並び構図に風穴を空ける演出がなされていた。具体的には、この物語では、その話数、あるいはシーン単位で、主人公となる人物が設定される。その設定方法は、単に視点がその対象人物に代わるのではなく、三人の内、二対一という画面上の対比構造から引き出している。

 例えば、歌唱五で、三人と師匠、笙子は響の実家に揃って帰省する。OP後、車が響の実家に着く。一行は車から降りて、車近くにいる四人と玄関にまっすぐ歩いていく響が、距離的に引き離される。そこで、師匠と響が親戚であること、師匠・笙子は響の上京時に一度来ていることなど、かな・玲美の知らない情報が明かされる。そして、四人と響の両親の会話が終わった後、玄関で靴を脱ぐかなの視点から、響と両親が仲良さそうに会話しているシーンを見る。

 その後、居間でくつろぐシーンに映る。円形のちゃぶ台を囲んでいる。そこで向かって右から響・かな・玲美の順で座っている。ここで響・かなと玲美それぞれの座り方と構図の妙で、響とかな・玲美の対比が作られている。

 響とかなが、ちゃぶ台に手を付く形で、ちゃぶ台との距離が短くなっているのに対して、玲美は手を後ろについて、ちゃぶ台から相対的に離れて座っている。まず、かなの左斜め正面からのカメラ位置で、画面に映るのは、右手から響の妹真由美、響、かな、玲美である。ちゃぶ台を囲んでいるため、響・かな・玲美は横並びに見えるのに対して、真由美は響の前に重なって見える。

 カットが変わり、二人の方向を向く響を正面にして、左から玲美の右顔面、かなの右顔面が同様に映る。響が話し終えると、会話で言及していた響の父の方向(カメラ正面の方向)に二人は動きをそろえて向く。向いてすぐに、響の弟健史・康史に遊びに誘われるかなとその後ろに玲美が映る。その後、二人で話すかなと玲美の口元のアップが映り、その間に映りこむ響の弟祥典に、画面・話ともにズームアップしていく。

 一行は川に出かけて、川遊びする一連のシーンがあり、その後、木陰で全員が休んでいるシーンになる。ここで、今まで響とかな・玲美の構造だったのが、かなと響・玲美の構造に変化する。それは、響の妹の春菜が、かなに「どうしてヒーラーになったのか」問いかけることからシーンが始まる。かなを囲むようにして、春菜・真由美・響・玲美が画面に映って聞いている。その中でも、響と玲美はかなの正面に位置しており、かなと二人が対面しているのがよくわかる。かなと響・玲美の二組それぞれがおおよそ交互に画面を占める。木陰のシーンから遷移すると、その構図は破壊されて、師匠の前に並ぶ三人並びの構図が取られる。この三人並びの構図により、今までの対比構造がリセットされる。

 ここでは、歌唱五の前半しか紹介できなかったが、その他の話数でも、画面をうまく用いて、そのシーンの主役を決定づける話の進め方が巧みだった。

 

ミュージカルとミュージカル外

 二章では、『ヒーラー・ガール』の物語を語る形式的な側面を記述してきた。すなわち、ヒーラーを目指す少女たちが、「一緒に」苦難を乗り越え、努力する様子を構図の形式を用いて表現すること、さらにその足並みを崩して一人の登場人物に自然とスポットを当てる二対一の構図で物語を進めること、である。「一緒に」をキーワードに見てきたが、その中で「一緒に」は喜びを分かち合う、ともに高め合うだけでなく、個々の困難に協力して打ち勝つという展開が本作には含まれていた。

 それをミュージカルとミュージカル外(日常パート)の側面から見ていきたい。

 

ミュージカルが伝えるもの

 『ヒーラー・ガール』のミュージカルシーンは、多様な感情を伝え、ヒーラーの性質を解説してくれる。例えば、五城家のメイド葵と玲美の関係が掘り下げられる歌唱八では、自分を置いては行けないと海外留学の夢を諦める葵に、玲美が夢を追うよう諭す柔らかなテンポの曲を歌い上げ、本音を伝えるミュージカルシーンを作り出す。葵を玄関まで見送った玲美が、悲喜混じらせて、涙を流していた様子からも、このシーンが感情の一側面のみを表現しているのではないことが分かる。

 また、ミュージカルのおもしろい使い方としては、歌唱三に試験後の三人が、試験で気力を使い果たし、運動会の持久走が終わるまで、ミュージカル口調が抜けないシーンで見られる。このシーンでは、まだミュージカル口調になる理由がよくわからない。そのため、演出っぽさを感じる。しかし、彼女たちのミュージカル口調が始まった後半部で、地区の運動会に参加し、そこでその意味を師匠の口から解説してくれる。ヒーラーは歌を歌っているときに、一番力を発揮できる、と。そのため、このシーンでのミュージカルは、何か直接的な感情を伝える、あるいは観客にある感情を喚起させる意味での演出意図とは異なる。このシーンでは、確かに三人の感情を伝えてはいるが、試験結果の不安、試験に全力を尽くして脱力状態、その状態から回復のために歌が無意識で出る状態、など多層的な感情・状態とそれから何よりヒーラーの特質を表している。それが、ミュージカル口調から、師匠の解説を経て、事後的に必然性をもって立ち現われ、私たちに彼女たちの感情やヒーラーの詳細について理解させる効力を有している。

 また、ヒーラーと歌の関係という観点から、ヒーラーにとっての歌を解説する師匠自身も、三人の師匠として、その姿で体現し続ける。師匠は人前ではしっかりしており、ヒーラーの能力も群を抜いた実力の持ち主だ。ただ私生活は少しだらけている。その中で、師匠の寝姿が何度も映る。睡眠中の彼女の寝息は、いつも美しいメロディを奏でている。ヒーラーにとって歌とは何か、ヒーラーと歌の密接な結びつきを、身をもって体現して見せてくれている。

 

地に足の着いたミュージカル

 ミュージカルシーンは単に感情を表現する場として、彼女たちの生活から遊離させることをしない。ミュージカルとして感情の起伏が付くのだが、ミュージカルシーンでは、登場人物を追うことだけではなく、登場人物間の距離、登場人物の動き、そして登場人物と背景の関係が相互に関係している。

 この観点で特に注目したいのが、歌唱十のライブ兼ミュージアムシーンである。ハロウィンに、地域住民を烏丸治療院に招いて、パーティーを開く。パーティーの催しの一つとして、かな・響・玲美はライブを行う。歌って踊り、烏丸治療院を駆け回る彼女たちの動きは、定位置で歌うライブというよりも、ミュージカルと呼ぶにふさわしい。

 ここでは、三人の位置が最後以外、走り回り交錯し、バラバラの動きを、建物や快打の高低差・奥行きを思う存分活用して、彼女たちのエネルギッシュなパフォーマンスを魅せてくれる。登場人物が他の人物や背景と関わり合うことによって、ミュージカルが持っている本来持つフィクション性(普通歌わないところ(TPO)で歌う)を緩和することができる。それによって、彼女たちの生活とミュージカルシーンが分離することを防げる。

 この二つが分離すると、ミュージカルシーンが、フィクションのフィクションとでも呼べるシーンになってしまう。それは、登場人物たちが位置する場所から逃れて、そこでは登場人物たちはフィクション世界に生きる住人ではなく、フィクション世界のエンターテイナーになる。彼女たちは、フィクション世界で楽しみを配って回るだけの、夢幻の存在では決してない。

 

ミュージカル外の営み

 上記したように、登場人物たちが彼女たちの世界から、さらなるフィクションへと飛び去ってしまわないように、人物・場所との関係を描いていることを見た。さらに、ミュージカル外では、それぞれに悩みを抱える三人のリアルな様子を描くために、工夫がされている。

 主には、フレームの内外の利用と奥行きの利用を挙げて説明していく。

 

フレーム内外の利用

 本作では、アニメーションでは珍しく、フレームイン・フレームアウトの演出が多用されている。フィックスからのイン・アウトもあるし、パンからのイン・アウトも印象的だ。例えば、歌唱七では、中盤のロシア料理研究会の屋台シーンでは、手前に師匠・玲美、その奥で接客するソニアが映る画面に、彼女たちにフレーム外からかなが近づいて、歓迎する。その後にソニアのクローズアップを挟み、ソニアの後ろからの構図が取られる。その構図で、左から荷物を持ってしのぶが画面から現れる。その後、ソニアの患者である少年・少女が、走って屋台に近づいてくるシーンでも、同様にカメラに近づいてくる二人が、カメラ外に出そうになると、その直後を異なるカットから収められている。

 ここでは、ロシア料理研究会の店を、ソニアのワンオペであるとかな・響・笙子の三人が話していたのを受けている。そこに、かなとしのぶ二人が画面外からの参加の形で登場することによって、ロシア料理研究会のメンバーが明示化されている。

 それだけではなく、フレームイン・アウトによって、フレームの外が意識づけられる。今現在起きているフレーム内の出来事の(空間的な)外にも、登場人物たちの世界が広がっているし、逆に登場人物たちがフレームアウトしていく空間も存在している。フレームは注目点を見せ、世界の一部を切り取っている事実を強調している。

 

奥行き

 フレームともう一つ画面上の効果は、奥行きである。本作では、実写のように奥行きを使用した構図が見られる。奥行きを持たせることで、その空間を平面ではなく、立体的に感じさせることができる。要するに、リアルに感じさせることができる。

 本作での例を一部紹介すると、歌唱三で巻き起こるミュージカルシーンの最終局面で、一つの構図内に烏丸治療院の五人が勢ぞろいするシーンがある。ここでは、手前から師匠・笙子、響・かな、そして玲美が中央奥から手前に歩いて登場し、そのまま画面の真ん中を通ってフレームアウトしていく。玲美が奥の戸口から登場するだけでなく、奥から手前のフレーム外へ歩いていくことで、さらに奥行きが強調されている。

 次に、歌唱四冒頭のシーンで、三人が見習い試験について、話すシーンがあり、その後カメラが引いて奥の廊下から三人を見ている笙子と起き掛けの師匠が笙子の正面から現れる。ここでは、烏丸治療院の空間的な位置関係を表現しつつも、三人だけで優秀なヒーラーに向かってまい進する様子、その三人を見守る笙子の様子、そしてそのような三人の成長にはいつも直接に関与しているわけではない師匠の様など、わずか数十秒に凝縮された形で描かれている。そして、あくまでも中心点をヒーラーの特訓と言い合う三人に置き、かつ彼女たちと距離を置いた形で、笙子と師匠を洗濯物・寝起きの生活状態を見せることによって、そのとき映るものすべてが日常性を帯びさせる効果がある。そこには、手前に位置する大人たちの生活感あふれる様子から、その奥に居る少女たちにも手前から奥へと生活感を浸透させている。それゆえに、彼女たちの努力する様子が、このシーンや他の話数という視聴者に見えるシーンだけでなく、視聴者に見えないシーンでも日常的に行われているシーンと印象づけることができる。

 同じ歌唱四でもう一点例を。ヒーラー見習いとして、病院から外科手術での初仕事の依頼が舞い込んでくる。依頼の予習に師匠から見せられた手術映像の血に驚き、三人が廊下へ飛び出すシーンが該当のシーンである。廊下で固定された構図の前にかな・玲美・響の順で飛び出してくる。その順番と距離を保ったまま、それぞれが壁にもたれかかり、地面にへたり込む。三人の動きが止まり、師匠が扉から半身を出して、三人に声を掛ける。続けて、かなのクローズアップ、立ち上がるかな、地面に座りこんだままの玲美・響の三人が映る構図を挟んで、再度カットバックの形で、玲美・響・師匠、そして後から顔を出した笙子が映る。ここでは、空間的な広がりの面もあるが、飛び出した順序が綺麗に奥行きに反映されて表現されている。比喩的に、時間が奥行きによって表現されている。

 最後に、歌唱六で、かな・ソニアがロシア料理に失敗して、響にロシア料理のコツを教わる。そこで台所に立つ響を最奥に置きつつ、中間地点に座るソニア・かな・しのぶ・玲美をロングショットで映す。料理を習いに来たはずのソニア・かなが響を手伝おうとすることに、玲美が突っ込みを入れる。その玲美の携帯が鳴り、今度は玲美を最奥に置き、手前に右からソニア・しのぶ・かなが映る。玲美後方からのアングルになり、最奥に座るソニアを置いた構図を取る。第一の視点と角度が異なるため、響の姿は扉の間からは見えない。

 以上見てきたように、奥行きを利用することで、視覚的におもしろい効果が得られ、立体感が得られるだけではなく、奥行きを用いた効果を発揮することができる。歌唱四の前者では、三人が頑張る様子が常のこととして印象付け、後者では飛び出したことによる順序・時間を奥行きによって、表現し、かつそのことからそれぞれのキャラクター性を掘り下げている。歌唱六では、いつものかな・響・玲美の三人から、文化祭でのかな・ソニア・しのぶの三人に変わることを、響・玲美が離れるように構図を取ることで、視覚的に表現している。

 

リアリティの構成

 以上の例を簡単にまとめると、それぞれのシーン単位でフレームイン・アウトや奥行きを利用することで、地に足の着いた物語を構築する。このことが必要になってくるのは、彼女たちの物語が、成長一辺倒の物語ではなく、個々に悩みを抱え、それを乗り越えて、最終的にC級ヒーラーになっていることからである。しかも、悩みとは、乗り越えれば成長する困難だけではない。

 もしかすると、三人の内の誰かがリタイアして、「一緒に登」れなくなることがあったかもしれない。三人は、ヒーラーになりたいという熱意を持っているが、それでも彼女たちはヒーラーだけが、彼女たちにとってなりたい・なれるものだったわけではない。かなは幼い頃から種々の職業に憧れ、世界的な音楽家を両親に持つ玲美は音楽家の道に開かれていた。そして、小さい頃から圧倒的な才能を持つ師匠を見てきた響は、ヒーラーに怖気づき、実家で妹・弟の面倒を見ていようと思った時期もあった。ヒーラーになる選択肢を選び取ることも、彼女たちがC級ヒーラーになるには必要なことだった。人生の分かれ道となる選択肢が提示されており、夢に迷い、進むべき方向が決まっていない不安定な状態を、一章で言及したように、「ヒーラーガール」という一つの完成形ではない『ヒーラー・ガール』の「・」が表現している。

 悩みのリアリティを作り出すし、空間の広がりがもたらすリアリティは、本作のメインテーマとも言える、「歌」が響き渡るステージを準備することになる。聴覚で聞き取る音声が最高の形で、視覚的な空間を震わせ、振動から生まれたヒール効果が視覚に送り返される。続いて、ヒーラーにとって神秘的な秘儀でもあり、または日常でもある歌を見ていく。

 

「歌で癒す」を視覚化する

 ここで翻って、「ヒーラーガールズ」のコンセプトが、「歌で癒す」だったことが思い出そう。『ヒーラー・ガール』のヒーラーたる登場人物たちも似た使命を掲げている。彼女たちヒーラーが癒す、すなわち音声治療を行うのは、患者がメインである。彼女たちは、通常の医療とは異なった仕方で、患者たちの治癒を後押しする。東洋・西洋医学からすれば、夢のようなヒーラーが奏でる歌が、本作でイメージを介して可視化されている。

 本作が丁寧に描いてきた歌の癒し効果を、目で見ていこう。

 

ヒール効果のイメージ化

 歌には癒し効果がある、と言われると、そんな気もするが、音声自体が目に見えるものではないし、歌の効果である癒しはなおさら目に見えない。『ヒーラー・ガール』では、その歌のイメージを全面的に描き出し、選ばれしヒーラーである彼女たちの視点から、ヒーラーにしか見えない歌のイメージを見ることできる。

 具体的に歌のイメージを見ていく。まず、歌のイメージで言及しなければならないのは、三人が師事する師匠のイメージだ。というのも、三人はまだ音声治療を許可されておらず、明確な音声治療のイメージの理想を見せてくれるのが、師匠だからだ。

 歌唱二で、妊婦を治癒するソニア・かなのピンチに颯爽と現れ、師匠の歌により、妊婦の容態を安定させる。そこで、二人の後を引き継ぐ。禍々しい色の崩れ去った空間に、大地、それから青々とした草木を生やし、真っ白な雲によって母親の体を包み込む。次に、雲に包まれた母親の体を水で満たし、水により母親の体が気持ちよさそうに浮かぶ。

 治癒の後に、師匠が言っていたように、先のイメージは、まず母親に歌いかけ、母親を安定させて後、胎児へ語り掛けている。そのため、同じ母親を包み込むにしても、雲から水へと働きかけるイメージの変化が起こっている。

 歌唱九では、大学付属病院に勤務する霙(みぞれ)の依頼を受けて、師匠と三人は外科手術への音声医療からの協力依頼を受けることになる。歌唱九では、初めて魔女と呼ばれた師匠の凄さを、三人も視聴者も目の当たりにすることになる。彼女が歌によって切り開くイメージは急流のように湧き上がる。次々と切除部位に働きかけ、摘出のイメージを生み、それと同時に、病巣の荒野自体も、地割れした土地を復元し、野には草原が生い茂るイメージが生成される。先陣を切る師匠に続いて、見習い三人は音声医療の現場を目の当たりにする。

 また彼女たちの成長は、彼女たちが見習い試験・C級試験に合格したこと、スランプを克服したことなど、物語だけで語られるわけではない。彼女たちの歌のイメージからも、描写される。

 特に顕著であるのが、歌唱十一でスランプを克服した彼女たちのイメージである。

歌唱十一でスランプに陥った彼女たちは、焦りからお互いに険悪な仲になる。その不満が爆発し、思い思いに言い合うと、お互いに嫉妬していたことが分かる。落ち着いた彼女たちは、スランプを乗り切る。その後のC級試験で、彼女たちが奏でるイメージは、合宿で取り入れた体験の記憶から三人固有のイメージを生み出している。

 そして、歌唱十二で、アメリカから帰国する際に、C級ヒーラーとして、喘息の子どもを協力して治療する。彼女たちのイメージは、一つのものになり、治療行為へと向かっていく。そのイメージは、イメージの放流という混濁したイメージではなく、彼女たちを模した天使が星を運び、患者を癒す空・緑のイメージを見せるという端的なものだ。彼女たちが、患者の症状を聞いて、必要な歌、そしてそれに伴うイメージを的確に制御している様子がよくわかる。(歌唱十~歌唱十一の課題はイメージを制御できなかったことだ)

 上記でイメージについて見てきた。イメージを描くことで、あいまいな歌の力を明示化し、また逆に、イメージの形で、直接的に明言せずに、三人の成長や師匠の実力を表現していた。医療器具も装置も使用せずに、患者の治療ができる、そんなヒーラーの勇姿を目に焼き付けることができた。

 

ヒーラーという名の夢のような理想

 以上、大きく三つの観点で、三章にわたって、『ヒーラー・ガール』の大略について記述してきた。ここで、最初の問いに立ち戻ってみたい。コーラスユニット「ヒーラーガール」からテレビアニメ『ヒーラー・ガール』への変更点をどのように解釈したらよいのか、という問いである。

 かな・響・玲美の三人は、ヒーラーを目指す種々の悩みや困難、試験を乗り越えて、C級ヒーラーになることができた。時に迷いながらも、晴れてヒーラーとなった彼女たちの物語は、『ヒーラー・ガール』から「・」を除去する物語と見る。

 そして、彼女たちが、個人個人の悩みを抱え、さらに彼女たちが挑戦するときには、一緒にだが、一人で立ち向かわなければならない。試験はもちろん、個人が抱える悩みは各個人で解決しなければならない。それゆえに、ユニットやグループとして、複数形ではなく、ヒーラーを目指す彼女たち個人三人の物語を表して、『ヒーラー・ガール』に行き着いたと仮説を立てられる。また、中点が取れた彼女たちは、それでもなお、「ヒーラーガール」であり続ける。彼女たちの、研修先がバラバラで学べることも違っていたように、彼女たちはそれぞれが目指すヒーラーに向かって、進んでいく。その道は時に分かれ、今後別々の道を進んでいくかもしれない。

 それでも、彼女たちが憧れた師匠、あるいは人を歌で癒すヒーラーの理想は、彼女たちが共通して目標とする道しるべとなる。それは、作中に繰り返し映る烏丸治療院のように、ヒーラーになりたいと思った原初の感情、その感情からヒーラーを目指し、困難にぶつかったときにはいつでもその感情に立ち返ることができる、そのような理想なのかもしれない。「歌で人を癒したい」この感情こそが、「ヒーラーガール(中点の取れた)」が現す理念が個々のヒーラーたちをまとめ上げるのかもしれない。その理念が照らす先には、彼女たちそれぞれにどのようなヒーラーへの道が開けているのだろうか。

*1:

「若手女性声優の礒部花凜熊田茜音・堀内まり菜・吉武千颯の4名からなるコーラスユニット「ヒーラーガールズ」

BS11で毎週金曜日22時00分~22時30分放送中の番組Anison Daysでの活動をきっかけに結成された4人組は、

ヒーラー=Healer(癒やす人)というユニット名の通り声の力で皆さんに癒しをお届けします。」(ヒーラーガールズ | Lantis web site)

ヒーラーガールズ|Lantis web site 「Biography」より