【アニメ考察】交錯しない二人と交錯する視線ー『スキップとローファー』11話

©高松美咲・講談社/「スキップとローファー」製作委員会

 

  youtu.be●原作
高松美咲『スキップとローファー』(講談社月刊アフタヌーン」連載)

●スタッフ
監督・シリーズ構成:出合小都美/副監督:阿部ゆり子/キャラクターデザイン・総作画監督:梅下麻奈未/総作画監督:井川麗奈/プロップ設定:樋口聡美/美術監督:E-カエサル/美術監修:東潤一/美術設定:藤井祐太/色彩設計小針裕子/撮影監督:出水田和人/3D監督:市川元成/編集:髙橋歩/音響監督:山田陽/音楽制作:DMM music/音楽:若林タカツグ

●十一話担当
脚本:日高勝郎/画コンテ・演出:阿部ゆり子/総作画監督:井川麗奈/作画監督:天野和子・Lee San Jin・柳瀬譲二・Lee Min-bae・Joo Ok-yoon

アニメーション制作:P.A.WORKS/製作:「スキップとローファー」製作委員会

●キャラクター&キャスト
岩倉美津未:黒沢ともよ/志摩聡介:江越彬紀/江頭ミカ:寺崎裕香/村重結月:内田真礼/久留米誠:潘めぐみ/ナオ:斎賀みつき/迎井司:田中光/山田健斗:村瀬歩/兼近鳴海:木村良平/高嶺十貴子:津田美波

公式サイト:TVアニメ「スキップとローファー」公式サイト (skip-and-loafer.com)
公式TwitterTVアニメ『スキップとローファー』公式 (@skip_and_loafer) / Twitter

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

概要

 高校生たちのリアルな描写を売りに、人気を獲得しているのが、『スキップとローファー』である。今回取り上げる十一話では、文化祭の模様が描かれる。Aパートでは、主人公の美津未が地元ではないこの高校で、半年とは思えない友達を作ってきた、これまでの話数を見返したくなるような友人たちとのエピソードが描かれる。また、今回取り上げたいBパートでは、志摩の人物像が掘り下げられる。自分のことはそれほど語らず、クラスメイトたちに気を遣う彼の感情が、「リアルな描写」を損なうことなく、克明に描写される。

 

交錯しないもの・するもの

 十一話では、志摩が描かれる際に用いられた、美津未と志摩の関係性を通して描かれるのではなく、志摩単体が描かれる。そのため、「交錯しない二人」となる*1。しかし、本作では交錯しないものは、後の交錯への期待となり、交錯自体は十一話で印象深く用いられる。志摩が交錯させ、ときに逸らすものは、視線である。彼と兼近との関係性、彼と中学からの友人の迎井との関係性、そして彼と血のつながらない弟との関係性、が視線の交錯を通して描かれる。この点をBパートの各シーンを見て、考えてみたい。そこで達成されるのは、本ブログ冒頭で書いた自然と志摩の心情を視聴者にくみ取らせることである。単純な類型化は避けられ、視線のやり取りにより、彼の根っこの悩みや何に心が晴れていくのかを、彼と同じ時の中で、体験することができる。

 視線の交錯は、志摩を掘り下げるためだけに持ち出されるだけでなく、その後のシーンにも生かされる。この視線の交錯を反復する形で、美津未と志摩母のやり取り、そして十二話の伏線となる志摩母と梨々華の邂逅を演出し、Bパート終わりまでこの視線の交錯をてこに物語を楽しませてくれる。

 

美津未と志摩の関係性を描いた話数については、以下を参照。

nichcha-0925.hatenablog.com

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視線で志摩を描く

 Bパートでは、珍しく志摩単体が描かれる。そして、そのことが視線をうまく使って、彼の人物像・心情を掘り下げ、続く最終回へとうまくつなぐ。ここでは、第一に、兼近と志摩の視線劇、第二に、それを遮った迎井と志摩の視線劇、第三に、志摩の弟と志摩の視線劇の順で言及していく。これまでの話数で単純化することなく、丁寧に描かれてきた志摩聡介という人物をさらに深く知ることができる。

 

距離を置いた眼差し_兼近との場合

 第一に、兼近と志摩の関係性である。ここでは、演劇をする(した)兼近とその彼を見つめる志摩、の構図が取られる。かつて子役として演技をしていた彼は、一見無邪気に、そして真剣に演劇に取り組む兼近をどのように見つめるのだろうか。彼が客席同様の距離から、演者である兼近を眺める様子により、彼の心情を想像させるのに効果的だ。

『スキップとローファー』11話より
©高松美咲・講談社/「スキップとローファー」製作委員会

志摩の表情は隠されているが、逆に兼近の表情は、志摩の視線を取りながら、その機微が細かく描写される。演じた者、何かを成し遂げた者にしか与えられない、自分(の作品)が認められるかわからない不安と作品が認められる期待に板挟みになりながら、いざ褒められると緊張が一気にほどけた表情は何とも言えない。この緩やかに変化していく兼近の表情が丁寧に描かれることで、顔が映らない志摩の存在が引き立ってくる。

『スキップとローファー』11話より
©高松美咲・講談社/「スキップとローファー」製作委員会

 上記の描写が描かれた後、そうして描かれた二人の視線が、交錯しそうになる瞬間が訪れる。ただ、兼近が彼を見ている志摩に気づいて声をかけるも、志摩がそのような彼に向き合い、返答することはなかった。というのも、中学の友人である迎井から、志摩の弟がクラスに来ていると呼びかけられたからだ。彼は演技後の姿に視線を外せなかった兼近に対して、演劇・演技の感想を述べなくて済む助け舟を得て、目をそらし、その場を立ち去る。

 

身近な眼差し_迎井との場合

 そうして、話すのが中学からの友人である迎井である。教室へ向かう途中、教室にいる弟をきっかけに、彼の家族の話に進む。兼近とのシーンで印象付けられた演技が一つ目に彼の心に残るものであれば、二つ目に彼の心に影響を与えているのは、家族の問題である。複雑な家庭状況で、連れ子の弟をどう扱っていいかわからない。そんな彼に向って、迎井は励ましの言葉を投げかけるが、志摩はその顔を見ずに流れるように、母親への連絡にかこつけて、話を打ち切ってしまう。

『スキップとローファー』11話より
©高松美咲・講談社/「スキップとローファー」製作委員会

受動的な眼差し、能動的な眼差し_弟の場合

 志摩が母親に連絡し、志摩母と美津未が出会って後、志摩が教室に戻ってくるシーンとなる。志摩が弟を教室で見つけたショットから、志摩と弟の正面ショットを四往復繰り返す。先ほどの迎井との会話直後で、「弟が志摩のことをどう思っているか」が主題になっていた。そのため、正面ショットのカットバックの繰り返しが用いられることにより、「弟の反応がいかなるものか」という普通ならざる緊迫感が生じている。弟の涙とともに、その場にいる志摩とその場にいない視聴者も緊張感が一気に弛緩し、安堵の気持ちに至る。

 緊張感を高めた正面ショットのカットバック後のシーンは重要である。カットバックの繰り返しがどちらかと言えば、緊迫感ゆえに志摩は弟から目をそらせない状況だったが、涙で前がよく見えずに歩いてくる弟に対しては、兼近・迎井のときと同様に、「目を逸らす」ことができる。だが、彼はその場に立ったまま、足に縋り付いてくる弟を受け入れる。目を逸らせないシーンから、目を逸らせることが、弟の存在を体で受け止めるシーンへの移行は、彼の心情の変化を表しているようで興味深い。

『スキップとローファー』11話より
©高松美咲・講談社/「スキップとローファー」製作委員会

 志摩の回想を挟んで、志摩は弟を抱え上げて、廊下で待つよう優しく弟に語りかける。ここのシーンも秀逸である。一度、回想後からこのシーンの終わりまで、シーンの描写をしてみる。

 志摩が弟を抱きかかえる時間を、クラスメイトの反応を映すショットでつなぎ、次ショットで持ち上げられた後の弟が映る。そして、二人の距離を明示するような、足元から顔へのパンのカメラワークでショットを構成する。弟の顔が単体で映るショットから志摩が歩くにつれ弟の顔が右へフレームアウトしていき、この光景を優しく見守っていたクラスメイトの姿が画面に収まる。

『スキップとローファー』11話より
©高松美咲・講談社/「スキップとローファー」製作委員会

 以上で、回想後のショットを簡単に記述してきた。このシーンあるいは、前シーンで注目してきたのは、視線だった。さりげない選択だが、抱きあげる動作が、クラスメイトの反応で省略されることで、抱きあげる動作の優しさ・柔らかさに、視聴者の視線を向けさせることなく、抱きかかえることによって、志摩と弟の視線が近づいたことにこそ視聴者の焦点を合わせる。そのことは、弟がしがみついていた志摩の足から、二人の顔がある高さへパンするカメラワークが選択されることで強調される。視線の近づきをこう表現することによって、母親を廊下で待とうと言う、お兄ちゃんのやさしさがぶれなく表現される。

 また、回想前のシーンと比較すると、もっとわかりやすい。回想前に二人のカットバックによって、ショットが構成されたシーンは、状況的に、そして映像表現により、目を合わせられている。「状況的に」とは、志摩が弟を見つけて、迎井との話のつながりから弟の反応をうかがっている状況であり、「映像表現により」とは、彼らにとって無関係な、カットバックという映像表現により、無理やり目を合わせているような状態に見られている状態である。それに対して、回想後は、志摩は弟を持ち上げ、自分の高さにある弟の顔をしっかり見つめる。そのことをパンのカメラワークは、しっかりと見せる。

 そうした様子を最後まで眺めていたクラスメイトが、遠景に映る。クラスメイトと視聴者は近い立ち位置にいる。しかし、視聴者は前述してきた演出が施された映像を見てきた。それゆえ、クラスメイトも視聴者も彼を見ていただけだが、彼が悩んでいること、安堵したことが、見ていただけで画面の外にいる視聴者でも、生き生きと伝わってくるBパートだった。

 

視線の劇は尾を引く

 上記で、十一話のBパートは、視線の劇によって、志摩という人物を巧みに掘り下げてくれた。ただ、これだけでは終わらない。志摩と弟のシーン直後の短い時間でも、本作は次話へと盛り上げてくれる。志摩と弟のシーン直後、階段を昇る志摩母に合わせてカメラは斜めにパンしていき、美津未の顔の高さに到達すると同時に、カットを変え、階段を昇る志摩母を見る美津未のクローズアップが映る。そして、彼女のセリフとともに、彼女が見つめる志摩母へのカットバックに移行していき、テンポよく流れるようにカットが繋がれて気持ちいい。

『スキップとローファー』11話より
©高松美咲・講談社/「スキップとローファー」製作委員会

 志摩母が階段を登り切って、一度階段の近くの踊り場のロングショットが挟まれる。この挿入により、次の出来事が起こる場所を提示する。そうして、志摩母と梨々華が邂逅するのだが、この邂逅画面が秀逸である。梨々華が歩く足、横顔のショット、そして肩越しショットとショットが繋がれる。この梨々華の肩越しショットで、画面の左の梨々華の奥から画面右へ、志摩母がフレームインしてくること、そしてフレームインした直後に体の向きを変え、それに合わせて徐々に視線を向け変えていきながら、フレームアウト直前で志摩母が彼女から見て右手にいる梨々華に気づく。そして、同時に気づいた梨々華へカットバックされる。身体の向きに合わせて徐々に右に向いた視線で梨々華に気づいた志摩母と突然画面(=梨々華にとって視線)にフレームインしてきた志摩母に近づいて初めて気づく梨々華。「不穏の偶然な出会い」を、これ以上ないほど的確に表現したシーンだった。そして、この出会いの結果は、次話へと続く。

『スキップとローファー』11話より
©高松美咲・講談社/「スキップとローファー」製作委員会

 次回、二人が出会い、どういった展開となるのか気になるところだ。そして、その物語の先には、梨々華と因縁がある志摩の存在がある。十一話で描かれた彼は、何かを変えられるのだろうか。

 

*1:とはいえ、Aパート終わりに際に、美津未が言うセリフは印象に残る。

「心細いときって、ちょっとした親しみがなんて言うか、すっごくうれしかったりするんですよ」(『スキップとローファー』11話より)