【アニメ考察】過去編と寿命―『葬送のフリーレン』1~4話【2023秋アニメ】

© 山田鐘人・アベツカサ/小学館/「葬送のフリーレン」製作委員会

 

  youtu.be●原作
山田鐘人・アベツカサ『葬送のフリーレン』(小学館週刊少年サンデー」連載中)

●スタッフ
監督:斎藤圭一郎/シリーズ構成:鈴木智尋/キャラクターデザイン・総作画監督:長澤礼子/音楽:Evan Call/コンセプトアート:吉岡誠子/魔物デザイン:原科大樹/アクションディレクター:岩澤亨/デザインワークス:簑島綾香・山﨑絵美・とだま。・長坂慶太・亀澤蘭・松村佳子・高瀬丸/美術監督:高木佐和子/美術設定:杉山晋史/色彩設計:大野春恵/3DCGディレクター:廣住茂徳/撮影監督:伏原あかね/編集:木村佳史子/音響監督:はたしょう二

制作会社:マッドハウス

●キャラクター&キャスト
フリーレン:種﨑敦美/フェルン:市ノ瀬加那/シュタルク:小林千晃/ヒンメル:岡本信彦/ハイター:東地宏樹/アイゼン:上田燿司/クヴァール:安元洋貴/フランメ
田中敦子

公式サイト:アニメ『葬送のフリーレン』公式サイト (frieren-anime.jp)
公式Twitter『葬送のフリーレン』アニメ公式 (@Anime_Frieren) / X (twitter.com)

 

 

※この考察はネタバレを含みます。一部、『呪術廻戦』の内容に触れております。

 

概要

 2023年の秋アニメが始まり、目白押しな人気タイトルが続々と放送開始している。その中で、一際話題を集めたのが、先日金曜ロードショーで放送された、『葬送のフリーレン』(以下、『フリーレン』)である。金曜ロードショーの枠で、初めてテレビアニメシリーズが放送されたことは話題を集めることに一役買っていた。だが、世間で耳目が高まったのは、金ロー初という事実のみならず、作品に魅力があったからという理由が大きいだろう。その魅力の一部を、素朴な連想を取っ掛かりにして、考えてみたい。

 

 本作を観て、主人公のフリーレン含め、彼らの生活を見ている中で、ふと同年夏アニメの『呪術廻戦 懐玉・玉折』が頭をよぎった。作品のジャンルや雰囲気、設定やストーリーが似ているわけでもないのに、である。それでは、なぜ『呪術廻戦 懐玉・玉折』(以下、『懐玉・玉折』)のことを思い出したのか。

 『フリーレン』から『懐玉・玉折』への連想は、個人的な疑問から出発している。それは「結末が分かっているのに、なぜこれほど毎話心を動かし、次話を常に渇望させるほどにおもしろいのか?」という素朴な疑問である。先の結末が分かっているから、どういう結末になるのかは、観客はその物語の筋として知っている。『懐玉・玉折』では、単純化して言えば、現在で二人は対立しているので、過去編の青春には終わりが来て、二人が決裂してしまうことが決まっている。決まっている物語に、惹きつけられてしまう。そんな感覚があった。

 その感覚に疑問が生じても、その感覚の正体は、簡単に説明できるように思う。すなわち、終わりを知っているからこそ、その過程を尊く感じることができる、と。別れが決まっているから、それ以前の五条・夏油の関係性に、深くのめり込める。そうした意味で、結末を知っていることによって、「続きが気になる」とは異なる仕方で、作品を享受できる。

 このような、『懐玉・玉折』で感じた実感は、『フリーレン』にも通じると思う。その点で、本ブログでは、あくまでも『懐玉・玉折』を呼び水にして、『フリーレン』の魅力を語っていきたい。

 

『懐玉・玉折』の過去編

 時間は本編からさかのぼって、高専時代の若き、現代最強の術師五条悟と最悪の呪詛師夏油傑が登場する。本編、『劇場版 呪術廻戦 0』の姿から、二人は敵対することが分かっているのだが、親友だったときの二人の青春時代が、瑞々しく描きだされる。

 

 『懐玉・玉折』では、星漿体を巡って、二人の物語が展開される。タイトルに示唆されるように、五条は才能を覚醒させ、現代最強の術師になり、夏油は闇落ちし最悪の呪詛師の一歩を歩み始める。二人の変化が大きなポイントになる。

 『懐玉・玉折』は、敵対前である二人の青春時代を描く、いわゆる過去編である。この『懐玉・玉折』以前に、現在地点および『劇場版 呪術廻戦 0』から、視聴者は二人が敵対していることを知っている。そのため、『懐玉・玉折』の視聴者は、二人の運命を知りながら、二人の物語を追うことになる。

 二人の決裂が運命のように定められているがゆえに、彼らの掛け合い・共闘・別れの瞬間など、過ぎ去る青春の一挙手一投足が尊い瞬間となる。決裂という定まった運命に向かって、二人の関係性は変わっていく。変わりゆく中でも、『劇場版 呪術廻戦0』で最後に夏油に告げるセリフ、『懐玉・玉折』で夏油を見逃してしまう五条の姿から変わらないものも見える。

 

『呪術廻戦 懐玉・玉折』の詳細は、以下記事も合わせてご参照ください。

nichcha-0925.hatenablog.com

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『フリーレン』の寿命

 秋アニメとして始まった『葬送のフリーレン』は、勇者のヒンメル、僧侶のハイター、戦士のアイゼン、魔法使いのフリーレン四人の勇者パーティーが、魔王を倒してから幕を開ける。冒険が終わった後から、本作の物語は始まるのである。

 

 そのため、いわゆるファンタジー世界であっても、異界の地やダンジョンを旅する、冒険が描かれるわけではない。その冒険は、彼らが魔王を討伐して、本作開始前に終着している。本作は、エルフのフリーレンが過ごす、何気ない日常が中心となっていく。日常とは言っても、魔王討伐の冒険が終わったフリーレンは、新たな冒険の旅に出る。それが、人を知る旅である。そのきっかけは、一話で迎える勇者ヒンメルの死である。

 魔王討伐後、50年の時が過ぎて、エーラ流星を見るために、四人は再会する。エルフのフリーレンとドワーフのアイゼンはさほど変わらない姿だが、人間のヒンメル・ハイターは明らかに見た目から時の流れを感じる。流星を見た後、ヒンメルが穏やかな死を迎える。ヒンメルが死ぬ前に、理解しようとせず、彼のことを知ることができなかった彼女は、後悔ゆえに、人を知る旅に出る。

 その旅の道程で、彼女はハイターの死に立ち会う。彼を看取った後、生前のハイターの頼みで、一人の少女フェルンを弟子に取る。フリーレンとフェルン、エルフと人の旅が始まる。だが、エルフのフリーレン、人間のフェルンの間には寿命に大きな差があり、彼女との旅でも、避けがたい運命が待ち受けていると予想してしまう。

 『懐玉・玉折』では、過去編であることが先の結末を知る重要な要素だったが、『フリーレン』では、ファンタジー世界ならではの、種族による寿命の違い、もっと言えばエルフと人間の寿命差が結末を予想させる。その予想は、人間がエルフよりも先に事実の点では確定するも、「どのように」の部分に膨んでいく。

 

 フリーレンは、フェルンを弟子に取るが、彼女との種族の違いゆえに、別れは必ず来てしまう。ヒンメルの死での後悔、その後悔からハイターの死を看取ったフリーレン。かつてのパーティーメンバーとの経緯を見て、フリーレンとフェルンの間でも、やがて迎える別れの運命を想起してしまう。

 別れを意識すると、途端に二人が過ごす瞬間瞬間に重みが増す。二人の時間が、かけがえのないものに思えてくる。そうした自然な感覚が、エルフと人間の種族差というファンタジーの視点から照らし出される。

 そうして、フリーレンとハイター・アイゼンやフェルンとの関わりに、深く感じ入ることができる。しかも、『フリーレン』は、ファンタジーならではの仕方で、他者とのフリーレンの関わりに脚色する。ファンタジーである『フリーレン』の世界では、人もエルフもドワーフ、そして魔族まで存在している。『フリーレン』で着目されるのが、長寿命のエルフと他の種族との寿命の差であり、エルフと人間の寿命が異なるから、その分、お互いの時間感覚も異なるところだ。時間感覚が異なれば、価値観も異なってくる。探し物に費やす時間、引き受ける依頼の内容、魔法収集という趣味に費やす時間など、フリーレンと勇者パーティーの面々で表面化していた感覚の違いは、フェルンとの間でも現れる。だが、異なるのは、エルフと人間の違いを意識して、フェルンに寄り添うような気持ちの変化である。

 

 フリーレンとの再会時、勇者たちは老いるが、フリーレンの姿は全く変わらない。彼女はヒンメルの死に後悔して、ハイターの死を看取り、フェルンと過ごすことで、人との距離を少しずつ縮めていく。彼女は、姿からは全く変わっていないように見えて、確実に変わっていっている。

 

終わりでまとめ

 先が見えているからこそ、各シーンを胸が締め付けられる思いで見続ける。そして、各シーンをそうした思いで見続けた過去編は、現在の五条の夢として映像は繋がれる。視聴者が苦さを持ちかけがえのない瞬間と認識していた『懐玉・玉折』の時間を、五条も大切なものと思っていたのだろう。苦くとも、懐かしく、大切な時間に位置づけられて、『懐玉・玉折』は締めくくられる。

 対して、『フリーレン』は、今後のフリーレンとフェルンに待ち受ける運命について言及した。フリーレンが、ヒンメル・ハイターとの死別を経験したように、同様のことが、弟子のフェルンとの間でも起きる。しかも、彼女は二人の死、そしてフェルンとの生活を経て、種族差のある人間に少しずつ理解を示して変わってきている。

 本ブログでは、彼女たちの物語を予想という形で記してきた。しかし、物語はまだ始まったばかりである。彼女たちを待つ運命は、いかなるかを考えながらも、彼女たちが今この瞬間を生きる姿に片時も目を離せない。