【アニメ考察】親から子へ伝えられるもの―『ヤマノススメ Next Summit』9話

©しろ/アース・スター エンターテイメント/『ヤマノススメ Next Summit』製作委員会

 

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●原作
しろ(コミック アース・スター連載)

●スタッフ
監督:山本裕介/キャラクターデザイン・総作画監督松尾祐輔美術監督:宮越歩/色彩設計:藤木由香里/撮影監督:佐藤洋/編集:内田恵/サウンドデザイン:出雲範子/音楽:yamazo

アニメーション制作:エイトビット/製作:『ヤマノススメ Next Summit』製作委員会

●キャラクター&キャスト
あおい:井口裕香/ひなた:阿澄佳奈/ここな:小倉唯/雪村誠:小松史法/倉上健一:荻野晴朗/倉上舞:柚木涼香

公式サイト:テレビアニメ『ヤマノススメ Next Summit』公式サイト (yamanosusume-ns.com)
公式Twitterテレビアニメ『ヤマノススメ Next Summit』公式サイト (yamanosusume-ns.com)

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

概要

 『ヤマノススメ Next Summit』では、タイトル通り、山に関わるアニメ作品である。今回取り上げる九話では、Aパートで山中に流れる渓流での釣りとBパートでは山から海への鎌倉散策が、描かれる。山から水辺に舞台が移されながら、あおい・ひなた(Aパートはここなも加えて)のアウトドアを見ることができる。

 九話では、子どもたちだけではなく、あおい父・ひなた母が登場して、物語が進行する。このことで思い出されるのは、『ヤマノススメ Next Summit』オープニングの中で、おそらく登山に向かうであろうあおいたちそれぞれを、送り出す人の主観ショットが挿入されていることである。主観ショットの視線元で、考えられるのが、本話で登場する親の存在である。また、山から海辺のアウトドアに移行する本話でも、水辺のアウトドアにあおいたちが出かけるのは、あおい父が渓流釣りに誘い、ひなた母が強引に山・海が見られる鎌倉散策を計画したことにある。親の導きによって、山好きな子どもたちは水辺のアウトドアに出かける。また、親から子へと伝えられるのは、海辺のよさだけではなく、九話において、仕事と休息の人生やあおい・ひなたが育ったルーツが垣間見える。

 ここでは、九話で親から子へ受け継がれる様が描かれる要素について、書いていく。まず、単身赴任中のあおい父や仕事の愚痴が止まらないひなた母を中心にして、人生において大人に付きまとう仕事と休息に関して言及する。次に、親から子へ受け継がれる、子は親に似る要素について言及していく。

 

人生って、仕事と休息?

 本話では、Aパートであおい父が登場し、Bパートではひなた母(父)が登場する。違いが生じるためには、まず前提となる共通点が必要となる。以下で言及する共通点は、前述した違いの前提となる。そのため、前提たる共通点が九話の物語の主軸となり、またその主軸があおい家とひなた家に分かれていく基盤となる。

 今回、親側で主となるあおい父・ひなた母の仕事への言及がある。ここでは、Aパートの釣りをしているときに、ここなが釣りに行きたいと言った理由を話すシーンがある。そのシーンでは、来年に受験だから、将来に向けていろんな経験をしたいと話す。そのことを聞いたあおいは感心する。該当シーンがあるAパートを経て、Bパートでは仕事への愚痴が止まらないひなた母を見て、あおいはしきりにひなた母は何の仕事をしているのだろうとモノローグが入る。Aパートで将来について言及があったからといって、あおいの意識が変わったわけではないが、視聴者はAパートを経て将来に想いを馳せたあおいが数十分後にひなた母の仕事を気にするのは連続性をもって映る。もちろん、そんなに愚痴が止まらない職業って何かというギャグ的要素が強いとは思うが。

 また、あおいの父が単身赴任中で、あおいの父が登場しないことは、それだけで仕事を意味する。とはいえ、仕事が言及されれば、仕事以外の休暇・休息の時間もおのずと示唆される。Aパートでは、そもそもなかなか話せなかった父と少しでも話せてよかったと満足するあおい。釣れても釣れなくても釣り、と釣りの醍醐味と釣りは人生と語るあおい父。オイルランプをきっかけに、忙しない時間とは違う、無駄な時間を過ごすこと、「休むってそういうことじゃない」と語るひなた母。

 他の話数が、あおいたちを中心にしているため、自ずと学生の時間間隔が描かれる。それに対して、本作ではあおいたち子どもが主でありながらも、彼女たちを普段は見守る親の視点が押し出されているように感じた。

 

親子そろって、似たもの同士

 あおい・ひなたがそれぞれあおい父・ひなた母から育ったと分かるような、似ている点だ。あおいたちの物語を見て、視聴者は各登場人物の人となりを読み取っていく。Bパートの海辺シーンで、ひなたのマイペースはひなた母のマイペースからきていると、あおいが気づくように、九話では、それぞれの親子が似ている部分、すなわち「この親にして、この子あり」と言えるような似た親子の様子が見える。ひなた家と同様に、あおいの気持ちを計りながら釣りに誘う父と釣りに内心行きたくないと思いつつも即座に行かないと言えないあおいも、あおい父と似る気遣い屋な部分がある。その点で、物語の中心となるあおい・ひなたが、そのように成長した一因となった親たちの描写を通じて、本作の主要人物たるあおい・ひなたの人物像がより鮮明に見えてくる。

 あおいとひなたの性格が異なるように、各家族の特色も異なる。そのことは、具体的に、AパートとBパートの描かれ方の違いに現われる。Aパートでは、あおい・ひなた・ここなとあおい父で渓流釣りへ出かけるのに対して、Bパートでは、あおい・ひなたとひなた父母で出かける。ここでは、AパートとBパートから、三つの観点で、それぞれの家族の違いの表現を指摘する。そして、その違いこそが家族の特色であり、現在のあおいとひなたのルーツとなる。

 第一に、出かけ先が決まるまでの流れである。Aパートでは、キッチンでロールキャベツを作るあおいとここなに、キッチン台を隔ててすぐ横のダイニングテーブルに座る父が渓流釣りに誘うところから始まる。単身赴任中で、久しぶりに娘と話す父が、何とか娘を誘おうとする父と娘の関係性と容易には誘えない父の性格面が、ダイニングの父とキッチンに居る娘たちの位置関係で描かれる。そして、あおいは釣りに乗り気ではなかったが、乗り気なここなに乗せられて、渓流釣りに行くことになる。

 Bパートでは、出かけ先決定までの経緯がかなり異なる。ひなたの家に遊びに行ったあおいは、ひなた母が仕事のストレスを発散するために決めた旅行に、彼女から半ば強引に誘われる。ここでは、リビングのソファ前に居るひなた母とその前に立つあおい、そしてキッチンから現れるひなたが一直線上に並び、そこに障害物はなく、同じリビングで空間を共にしている。Aパートとは異なり、ひなた母、あおい、ひなたの間に隔たりはないために、真正面から、魚眼レンズで歪みが表現されるほどの、重圧と呼べるひなた母の熱烈さに、あおいは断り切れず、ひなた母に誘われるまま、ひなた家のお出かけに参加することになる。

 第二に、出かけ先での親と子どもたちの位置である。Aパートでは、渓流までの移動から釣りシーン、釣った魚を食べて岐路に着く。このほとんどで、あおい父はあおい・ひなた・ここなの三人に、必要最低限しかかかわってこない。中心となる釣りのシーンで、あおい父と三人は異なる場所で釣りをするので一対三の構図となり、あおい父はほとんど画面に映らない。とはいえ、Aパートでは、Aパートラスト帰りの車の中で、あおいのモノローグと共に、運転席と助手席に座る父と娘の様子が、ツーショットで収められているのは印象的だ。直接的に仲の良さを見せるシーンはないが、この距離感があおい家の距離感であることが、表現される。

 Bパートでは、Aパートとは異なり、あおい・ひなたとひなた母・ひなた父で物語進行やショットが分けられるわけではない。基本的には、四人で一緒に行動し、それがそのまま画面に映される。ここでは、あおい家と対照的な家族の距離感が見られる。もちろんそれは、鎌倉散策を希望し、主導するひなた母の人柄にも依っている。

 第三に、お出かけの自由度についてである。ここは、あおい父とひなた母の人柄の違いに起因するが、Aパートではあおい父が渓流釣りを計画しただけで、それ以外は子どもたちの自由という感じだったが、Bパートではひなた母が主導で三人を連れまわすと形容するのが近い感じだった。これと、Aパートの釣り、Bパートの散策が組み合って、Aパートは動きが少ないが落ち着いたよさが窺え、Bパートでは動きの多い楽しい映像が見られる。

 以上で、三点にわたって、親子プラス子どもの友人というお出かけのABパートの違いを見てきた。主には、人との距離を一定に保ち、相手の思いを先行に考えるようなあおい家、多少強引でアグレッシブな言動を見せるひなた家。どちらも各家族に特徴的な仕方で、その家族の特徴を表現している。同時に、そのことが現在のあおい・ひなたの人となりを形成している。そのため、本作ではあおい父・ひなた母といういつもとは違う登場人物が登場するにもかかわらず、あおい・ひなたのルーツを見て、いつもとは違った仕方で、二人について知っていくような感覚になる。

 

 

 あおいとひなたの二人は、山とは別の水辺のアウトドアに出かける。親からの誘いによって、山好きな彼らに別のアウトドアのよさを体感する。そして、その話を通して観客は、二人の最も身近な大人たる親の背中を見て、彼らが将来・現在から先に続く人生について、少し想像している様子や、逆に現在の二人の人となりを形成したルーツを見ることができる。九話では、先述したように、オープニングにも現れる「親」の存在を押し出し、親から子へアウトドアの楽しさを伝える些細な旅のきっかけから、その親の背中を見て育った二人のルーツを見せ、現在進行形でその背中を見て将来を見据える二人の人生の伝達という途方もないテーマに繋がっていく。子は親の背中を見て育つや親から子へ受け継がれるという、身近であり遠大でもある現象が、柔らかなタッチで画面に描かれていく。あおい父の言葉を借りるなら、『ヤマノススメ Next Summit』は「人生みたいなもの」を表現しているかもしれない。