【アニメ考察】「彼が奏でるふたりの調べ」(『モダンラブ・東京~さまざまな愛の形~』)

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●スタッフ
監督・絵コンテ:山田尚子/脚本:荻上直子/演出助手:松村/キャラクター原案:キャラクターアニメーション:川又浩/キャラクターデザイン・作画監督:林佳織/プロップデザイン・作画監督補佐:丸山千絵/原画:丸山千絵・林佳織・鹿島功光・渡辺裕二・北澤精吾・増田千絵/第2原画:若林幸子/動画検査:黒田亜理沙・鈴木香理/動画:山岸あゆみ・續田美香子/色彩設計・色指定:久力志保/仕上げ:久力志保/美術監督:田村せいき(アニメ工房 婆娑羅)/美術背景:アニメ工房 婆娑羅/撮影監督:齋藤真次/撮影:鈴木慧・中島りりか・諸戸ほほの・塚本峻輔/CGI:近藤啓介・小吉礼華/編集:白石あかね(瀬山編集室)/制作進行:坂本悠衣・坂元涼平/アソシエイトプロデューサー:澤田恭介/プロデューサー:木曽由香里

アニメーション制作: アンサー・スタジオ

●キャラクター&キャスト
桜井タマミ:黒木華/梶谷凛:窪田正孝

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

作品概要

 本作のシリーズ来歴は、十九年にアメリカで制作された同名作品が元となっている。舞台を東京に移し、七つのエピソードが『モダンラブ・東京~さまざまな愛の形』に収められている。『彼が奏でるふたりの調べ』もその内の、一エピソードとして収められる。

 本作の監督は、直近だと『平家物語』が評判を集めた山田尚子監督が務める。唯一のアニメ作品ということで制約もあったかと想像できるが、山田らしさに溢れる映像が画面に成立している。丸みを帯びた柔らかな人物描写や視聴者の視線を丁寧に導くレンズ効果の利用、独特な現実のデフォルメ表現など、見て楽しいを体現するような作品に仕上がっている。また、ただ見て楽しいだけではなく、誰もが一つは持つ過去の記憶と重なるように、本作の物語を通して少し苦く甘い記憶を思い起こさせてくれる。そのことは、本作が立脚する音楽と記憶の観点で、丁寧に演出が積み重ねられている。

 本ブログでは、主人公珠美の回想と現在の場面転換に重点を置いて、本作を見ていきたい。

 

記憶の喚起方法

 五感は記憶を喚起させる。その内でも、音の知覚、音楽は記憶を喚起する特権的な力を持っている。本作でも、主人公は音楽をきっかけにして、高校時代に出会った男の子との淡い記憶を思い返す。思い返すことで、その記憶の情景は彼女に影響を及ぼし、彼女は足踏みして勇気の出せない「今」からその先へ進むことができる。彼女を前向きに向き直らせるのは、過去の記憶からだ。視聴者は彼女の回想と現在の彼女をどちら交互に見ることになる。

 その直線的ではない現在から回想、回想から現在への転換、それに彼女の歩みが始まるその転換方法はどのように表現されていたのだろうか。このことはアニメ的表現として、「違和感がない」とか「繋ぎが気持ちがよい」という技術的な問題だけでなく、本作が扱う音楽と記憶というテーマに直結しているために、重要である。以下で、本作の最初から順を追って、現在から回想、回想から現在へどのように場面転換を行い、その転換方法にどのように意味を見出せるか、映像を繋ぐ狭間から掘り起こしたい。

 

 本作では、何者かになれると信じていた珠美が、行きつけのバーで聞いた音楽をきっかけに、高校生に出会った男の子との思い出を回想するところから話は動く。苦くも甘酸っぱい思い出を振り返る回想とうまくいかない現在を行き来して、彼女はバーで絵を褒められたことで、絵をやりたかった自分の気持ちに従って行動を起こす。それがきっかけで、大人になって、回想の男の子と再会を果たす。

 彼女の回想が始まるのは、バーのマスターがレコードをかけた音楽を聴いて、絵を描く手を止めて、その音楽に身を任せたときだ。彼女はコースターに描く手を止め、音楽に気づく。聴覚を通して、彼女の内に音楽が染み入る。その音楽が彼女の中で、化学反応を起こしたことが、彼女の顔へのクローズアップ、特に彼女の瞳がちらりと輝きを見せる様子からわかる。制服姿で鍵盤の前に座る男の子、ピアノを弾く手、合わせる手と手、ひまわり、男の子の笑顔など樹多くの断片がフラッシュバックし、ホワイトアウト後に、大粒の滴が深紅に染まるワインに落ちて、彼女と共に視聴者も現実に引き戻される。右のフラッシュバックの回想シーンでは、音楽の音量が大きく、視聴者の知覚は聴覚情報に満たされる。主人公の珠美が我に返ると、音楽の音量は小さくなる。フラッシュバックした彼女の記憶は、音楽と密接に結びつき、音楽に満たされた記憶である。それを思い出し我に返った彼女には、記憶を喚起したバーのレコードの音楽はもう聞こえておらず、喚起された記憶とそれに伴う感情だけが、彼女の瞳から涙として、ただ流れ出す。

 家に帰った彼女は、ノートPCで音楽を再生する。ソファに座り、ぼんやりと天井を眺める彼女の様子から、場面転換し、木々越しに空と太陽を仰ぎ見るショットが映る。天井を見ていた彼女の視点が、そのままに上方を眺めるショットに移行し、かつぼんやりしていた彼女の視点から切り替え直後、ピントの合っていないぼけた画面が、ぼんやりした彼女の状態を回想へと引き継いでいく。回想の中の彼女は、教室で一人、ヘッドホンで音楽を聞き、作中の音楽が流れている。男子生徒が彼女の机にぶつかった拍子に彼女が付けるヘッドホンが外れる。それと同時に、作中音楽は小さくなり、後景に退いていく。音楽に誘われた記憶は、ここで音楽から離れて、自立し、彼女自身が能動的に思い出す回想シーンへと展開していく。

 この回想内で、体育館から響くピアノの音を探して、フラッシュバックで登場した男子生徒の梶谷凛と出会う。出会った彼女は、彼がピアノを弾いている事実に驚き、帰宅してベッドに飛び込む。うつぶせの彼女は枕をぎゅっと抱えて、宙に向かって膝を曲げて、驚いた表情を見せる。ショットを変えて、ダンボールの後ろから後方に下がる膝立ちの人の姿が映る。一瞬、現在か回想か不明のままに、足元を媒介にして、現在に戻ってくる。その姿はレコードを探す現在の珠美の姿であった。

 彼女のモノローグと共に、彼女が何者かになろうと、過去にしてきたイメチェン、そしてお酒での失敗がユーモアたっぷりに描かれていく。何者かになろうともがいた彼女の遍歴が、簡単に紹介され、モノローグによって、「無理をするのをやめた」との言葉から、レコードを探す現在の珠美に引き戻される。

 唐突に回想が始まる。下駄箱に梶谷と珠美が現れる。この回想では、珠美が梶谷の様子を伺い、遂に体育館で声を掛けることができたシーンが描かれている。

 アタッシュケースのような長方形の箱を上から眺めるショットに場面転換する。開けるとレコードプレーヤーであり、現在の珠美が箱を開いている様子から、現在に帰ってきたことがわかる。レコードを取り出そうとしたときに、一枚の写真がレコードと一緒に出てくる。黄色が映える向日葵がのアップが収められ、回想へと場面が転換する。

 珠美が梶谷に声を掛けて、知り合った二人だが、文化祭の準備で体育館のピアノが使えずに、音楽室で会うことになる。音楽室で仲睦まじく、話を続ける。お互いの気持ちが一致したとき、音楽室の窓から差す西日が濃くなり、画面覆うように、ホワイトアウトする。

 バスに乗る現在の珠美を挟んで、左から右へ視線を動かすのに合わせて、回想へと転換する。視線の動きに連動するように、回想では、自転車で二人乗りする珠美と梶谷が右方向へと進んでいく。

 二人でベンチを語らうシーンから、ポットとマグカップが映る。ここで現在の珠美へ戻ってきて、後夜祭へ誘ったモノローグから過去へと場面は移る。後夜祭で、偶然会った同級生に、梶谷と付き合っているわけないと言ってしまった彼女は、それ以降梶谷と会うことはなかった。

 バーのコースターに絵を描く彼女の姿が映り、現在へ戻ってくる。憧れてきた絵をバーのマスターから褒められ、まんざらでもない彼女だが、その瞳には憂いの表情が浮かんでいる。

 彼女の顔にクローズアップし、その憂いの表情から回想へつながる。過去、弱気になり、やりたいこと・言いたいことに、勇気を出せなかった自分が映る。当時は、美術部の先生からもらった勇気を使って、卒業式に去っていく梶谷に声を掛けられなかったが、その回想を介した後の彼女は、自分のイラストを投稿して、勇気を使う。回想から彼女が描いたコースターの絵が映るショットに切り替わる。彼女はスマホを向け、それをカメラで収め、SNSに投稿する。そこで投稿したイラストが、あるバンドのジャケットに似ていることにコメントから気づく。そのバンドのキーボードには梶谷が居た。彼女は再び、彼に出会うことができる。

 以上で、本作で現在から回想、回想から現在に転換するシーンをまとめてきた。顕著なのが、回想から現在に転換する場合、その転換はホワイトアウトを利用するか、唐突にショットを変えることで、表現されている。ホワイトアウトが使用されたのは、最初の断片的な記憶のフラッシュバック、そして音楽室で二人がお互いに一緒にいたいと思えたシーンだった。幸福なシーンは、光に満ち、満ち満ちすぎているがゆえに、明度を極致に振り切らせてしまう。

 

思い出のアップデート

 作中で珠美がモノローグで語るように、「音楽は記憶の引き出し」みたいなもので、本作でも、音楽から珠美の回想が始まり、過去で奮えなかった勇気を現在へとつなげていく。音楽によって、喚起される記憶は、完全には忘れ去られてはいない大切な記憶である。元々、大切な記憶を回想して、珠美は前を向いて、自分のやりたいことへと一歩足を進める。しかし、回想とは、ただ思い出すだけではない。思い出した記憶を、さらに思い出したことを含めて思い出として記憶する。すなわち、思い出は思い出すたびに、現在の状況と合わせて、アップデートされる。そのことが、回想の映像を見せる中で、その中でも特に大切な記憶は、画面内のフレームによって切り取られ、視覚的にも強調されて表現されていた。

 第一に、回想の中で、自電車で二人乗りをして向かった先、二人でベンチに座って話しているシーンである。二人が並んで座っている様子をミドルショットで映し、お互いが手合わせて手の大きさを比べた後に、二人が映るのは、先ほどのミドルショット位置より画面位置が引いた位置に置かれる。それにより、竹と周囲の木々が彼らの前景に映り込み、二人の様子が画面内フレームに収められる。そのすぐ後、珠美が自分のやりたいことを笑ってごまかさずに、梶谷に答える際、画面は彼らの後ろに回り、二人の様子が同様に、彼らの背後に位置する木々や竹のフレームに収められる。前者が手を合わせることで、お互いの距離が縮まったシーンであり、後者のシーンは、素直に自分の気持ちが言えない珠美が、梶谷に対して自分の気持ちがはっきりと言えたシーンである。どちらも、珠美にとって、大切な思い出である。

 第二に、後夜祭時に、梶谷が向日葵を持って、珠美の家に珠美を迎えに来たシーンである。ここでは、外国の映画のように、花を持って迎えに来た梶谷に珠美は感激する。その光景を残しておこうと、二人は写真を撮る。二人の様子が、デジカメとの切り返しショットが使用され、映る。ここで、視聴者が二人の様子を見るのは、ミドルショットの画面である。その直後、デジカメでロングショットの構図で撮られた写真が机(?)に置かている光景が映る。これを見て初めて、デジカメとの切り返しショットで見ていた二人の様子は、デジカメ内、つまり作中カメラの映像ではなかったことがわかる。そのため、視聴者が作品外のカメラで見ていた光景は、改めて現像後の写真として提示されることで、その光景は再フレーム化される。もちろんこのシーンも、その後に二人のすれ違いが生まれたにせよ、珠美にとってこれまでにない体験で、大切な思い出である。

 このように、珠美の記憶はアップデートされる。同時に、彼女は音楽に導かれ、梶谷との記憶を思い出すことによって、記憶をアップデートし、彼女のやりたいことに向かって、一歩進む。その結果、彼女は梶谷と再会することができ、そのことが、また彼との出会いの記憶に変容をもたらす。最終的には、この作品で起きた出来事全編が作品としてフレーム化されることによって、梶谷と再会した珠美にとって大切な思い出となっていくのだろう。