【アニメ考察】人間・魔人・悪魔の関係性とアクション―『チェンソーマン』3話

藤本タツキ/集英社MAPPA

 

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●原作
藤本タツキ:(集英社少年ジャンプ+」連載)
●スタッフ
監督:中山竜/脚本:瀬古浩司/キャラクターデザイン:杉山和隆/アクションディレクター:吉原達矢/チーフ演出:中園真登/悪魔デザイン:押山清高/美術監督:竹田悠介/色彩設計:中野尚美/撮影監修:宮原洋平/音楽:牛尾憲輔/アニメーションプロデューサー:瀬下恵介

制作:MAPPA

●キャラクター&キャスト
デンジ:戸谷菊之介/ポチタ:井澤詩織/マキマ:楠木ともり/早川アキ:坂田将吾/パワー:ファイルーズあい/姫野:伊瀬茉莉也/コベニ:高橋花林/荒井ヒロカズ:八代拓/岸辺:津田健次郎/天使の悪魔:内田真礼/サメの魔人:花江夏樹/暴力の魔人:内田夕夜/蜘蛛の悪魔:後藤沙緒里/沢渡アカネ:大地葉/サムライソード:濱野大輝

公式サイト:アニメ『チェンソーマン』公式サイト (chainsawman.dog)
公式Twitterチェンソーマン【公式】 (@CHAINSAWMAN_PR) / Twitter

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

概要

 アニメオリジナル作品、原作あり作品それぞれで、注目作品がひしめく今季の中でも、一際、注目度合いが大きいのが、『チェンソーマン』である。原作マンガでの人気もさることながら、製作委員会方式を採用せず、単独での製作に踏み切ったMAPPAの本領を十二分に発揮した今季期待のアニメとなっている。

 二話での原作改変により、二話で主要人物のデンジ・マキマ・アキ・パワーが出揃った。借金返済に追われ、まともな生活を営めなかったデンジは、普通の生活を手に入れ、仲間と呼べる存在ができた。三話では、デンジの周囲の人間(魔人)性・関係性が提示され、まずはバディとなるパワーとの関係性が大きく変わりそうな予感が映る。その過程で、こうもりの悪魔(以下、こうもり)との戦闘で、質の高いアクションシーンが描かれる。本ブログでは、人間模様を丁寧に描きだし、人間(魔人)性・関係性を提示することにより、そのアクションシーンを高める演出を見ていく。

 

人間(魔人・悪魔)模様の演出

 三話のあらすじは、胸を揉ませることを条件に、パワーの猫(以下、ニャーコ)をこうもりの悪魔から救出しようとするも、パワーはこうもりの悪魔からニャーコを救うため、デンジをこうもりに生け贄に差し出す。しかし、ニャーコもパワーもこうもりに飲み込まれ、デンジとこうもりの戦闘に終わる。

 この大筋の前段に、複数の関係性がシーンを分けて描かれる。冒頭の①デンジ・パワーとマキマの説教シーン、②デンジとパワーがニャーコ救出と胸を揉ませる取引を交わすシーン、③ニャーコ救出に向かう路面電車内のシーン、④上層部へのマキマの報告シーン、直後の⑤アキとマキマの車内シーン、⑥路面電車を降りた二人がこうもりの元へ向かう道中、パワーがデンジを襲撃するシーン、⑦彼女のニャーコをさらったであるこうもりが登場するシーン、⑧さらに彼女もまたこうもりから約束を反故にされ、ニャーコと彼女もこうもりに丸呑みされるシーン。上記①~⑧のシーンを経て、こうもりとデンジの戦闘シーンへと続いていく。それぞれ、画面内の登場人物、登場人物の関係性を提示するとともに、その場にはいない人物への言及の仕方にも、言及元の人物、および言及する相手との関係性を構築することができる。各シーンを順に分析して、この登場人物の性質や関係性を取り出してみる。

 

① デンジ・パワーとマキマの説教シーン(00:01~02:00)

 ①のシーンは、二話ラストで、民間デビルハンターが着手済みのなまこの悪魔を、パワーが横取りしたことについて、デンジ・パワーがマキマに説教されるシーンである。ここでは、マキマと二人の関係性、パワーとマキマの関係性、デンジとパワーの関係性が描かれるが、特に注目したいのは、パワーの性質・立場とパワーとデンジ、パワーとマキマの関係性である。パワーに注目するのは、三話がストーリー上、主人公・デンジとパワーの回であることに加えて、①のシーンで画面構成上もパワーを主に構成されているためである。具体的には、三人の顔へのクローズアップは個別にあるものの、マキマの前でパワー・デンジが映る際、二人が平等に映るマキマへの正対ショットか、パワーの側から斜めに二人を収めるショットが選択されている点である。

 また、このシーンでは、唯一、パワー・マキマ・パワーのショット順で、一対一でクローズアップのカットバックが用いられる。カットバックによって、そっぽを向いてふてくされていたパワーが焦る様子を分かりやすく見せ、彼女の性格・立場と彼女とマキマの関係性、すなわち単なる上司・部下関係ではない関係性を強調して提示する。「デビルハンターに向いていなかった」、「静かにできる?」のマキマの言葉に、パワーが委縮する様からは、元「血の悪魔」で、現在魔人で、パワーがデビルハンターでなくなれば、駆除対象となることが分かるし、彼女を捕らえたマキマの実力・怖さがありありと表現されている。マキマの言動で動揺したパワーは、なまこの悪魔を殺したのはデンジが指示したから、と嘘をついて、その場を収めようとする。

 その嘘を受けて、デンジはパワーに反発し、彼女への印象が最悪なものになる。さらに、彼は、尊大な態度のパワーが、前述したように、マキマの前では委縮している様子をいぶかしんで見る。最後には、マキマの前で彼女とつかみ合いのケンカをし始め、彼女にたしなめられ、彼の敵対的な視線がパワーの胸に向き、次シーンへと移っていく。

 

② デンジとパワーの取引シーン(02:06~04:35)

 続いて、②のシーン、デンジとパワーがニャーコを救出と胸を揉ませる取引を交わすシーンに移る。②のシーンでは、パワーがこうもりにニャーコをさらわれており、ニャーコを助けてくれたら、胸を揉ませてやると、デンジに持ち掛ける。②のシーン冒頭で、嘘つき女とは協力できないと語っていたデンジは、一転してその話に乗る。

 ここでは、デンジ・パワーが理解しあわず、お互いの利益のために協力関係を結ぶ過程が、視線と行為にまでは至らない自然な動きと物理的な距離を使って、表現される。

 暗がりに電灯と自販機の光が、ぼんやりと辺りを照らす中、斜めのパースの奥行きを生かして、手前にパワー、奥にデンジが位置する。その中で、パワーは猫という動物が好きかどうかは置いておいて気に入っていること、犬にパワーと似た感情を抱くデンジがそのことに多少なり心動かされること、パワーがデンジを協力させるために胸を揉ませる交換条件を思いつくこと、さらにデンジが直近のモノローグに反してパワーに協力する条件を飲むこと、が提示される。

 まずは、パワーが、本能的に人間が嫌いである一方、理性的に悪魔が嫌いな理由が明確に提示される。彼女の猫であるニャーコをこうもりにさらわれて、猫に対する思いが、彼女が本シーンにて猫を見つけ、手に抱え慈しむように、猫をなでる手つきの細かな描写や、デンジとの会話中ずっと猫を抱えている様子から、視覚的に表現される。この視覚表現から、視聴者はパワーの感情を推し量ることができる。

 加えて、二人の関心が視線によって、過剰なほどに表現される。猫の鳴き声にはっと気づくパワー、ニャーコを連れ去られたパワーに感情移入するデンジ、「胸揉めるなら何でもできる」デンジにがっかりするパワーが肩越しショットでデンジから目を逸らすのが体の向きとまつげの動きによって描き出される。また、パワーのニャーコを犬のポチタに置き換えて考えるデンジの頭の動き、「犬ならわかる」と聞いたパワーが猫を救出する代わりに胸を揉ませる交換条件を思いつくパワーの思考の動きが、目の動きにより再現される。これにより、彼らの突拍子もない心の動きが、目で見て分かる肉体的な動きにより表現され、視聴者に伝わりやすくなる。

 彼らは、お互いが愛おしく感じる猫と犬についても完全には分かり合えないが、お互いの利益のために協力する。対角線上の最も遠くに位置していた二人は、パワーとは協力できなと言っていたデンジの方から、パワーに力強く歩み寄る形で、パワーはニャーコのため、デンジは胸のため、それぞれの利益に基づく協力関係へと距離を縮める。ここでパワーとデンジの険悪な関係から一転、ニャーコ救出の共同戦線が、暗がりの自販機前という裏側で締結される。

 

③ デンジとパワーの路面電車内のシーン(06:06~07:40)

 共同戦線締結の高まりが、OPによってさらに高められ、シーンは登場人物の二人を引き継ぎ③のシーンへ移る。③のシーンでは、パワーの外出許可を得て、先ほどの暗がりの裏取引とは違い、路面電車で堂々とニャーコ救出に向かうシーンである。お互いの利益のために協力する二人が、それほど親密にはなっていない様子が、二人の物理的な距離とデンジの胸への意識により描かれる。

 OP後すぐ、二人を見ることになるのは、パワーの外出許可申請をするデンジとそのデンジに肩に腕を乗せて付き添うパワーである。ニャーコを救うための外出届を出してくれるときにはデンジとの距離は近いが、路面電車内では二人の距離は遠い。

 また、二人の協力関係が、お互いの利益のためであり、お互いのためという真正な協力関係ではない。デンジの視線は、終始胸に向く、胸に視線が行く構図*1が選択されるなどパワーの胸が強調される演出が取られる。ポチタがデンジの胸の中で生きるという話を全否定されるも、彼女の胸によりデンジは①のシーンの説教時と同様に、気持ちを静める。

 最終的には、路面電車内で、正面から二人の並んだシーンと類似しているが、パースのゆがんだショットが最後に収まることで、二人の仲が進展せずに、歪みを持って現れている様子が表現される。

 

④ 上層部へのマキマの報告シーン(07:41~08:30)

 ④のシーンでは、打って変わって、マキマが上層部へ報告を行っているシーンである。このシーンでは、マキマと上層部が截然と分かれるように、画面が構成される。最初のショットを除いて、正面・横からのミドルショットが基本となり、相手によって彼女の言動を変えない様子が見せる。ここでは、マキマが第三者へ彼女の部下である主要人物の評価を伝える形で、関係性が表現されると同時に、部下・上層部どちらと対面するときにも、彼女の態度が変わらない特異性が明確になる。

 当該シーンの最初のショットは、パンダウン後に、マキマの後方から、上層部の前に立つマキマと机を挟んで上層部の面々が座っている様子が映る。続いて、一瞬上層部のみが映る斜めからのショット、窓外からのショットへと映る。窓外からのショットは、俯瞰ショットが選択されているために、机が彼らを分かつものとなり得ない。しかし、机に代わり、十字に映る窓組がマキマと上層部を分かつ。さらにマキマのクローズアップ・ミドルショットを挟み、横からマキマ上層部を同時にロングショットで映す。このショットでは、分かりやすく窓側に座る上層部に光が当たり、それに対してマキマが立つ位置には、奥の壁の白も合わさり陰鬱な影が広がっている。上層部に差す光が、赤みがかった色合いに対して、マキマの側の影が、青色っぽいために、色彩面での違いにより分断が浮き彫りになる。

 マキマと上層部との対比とは別に、マキマの態度の無変化も描かれるとともにマキマの表情の微妙な変化が見える。部下・上層部どちらの前でも全く態度を変えない特異性が強調され、それと同時に、マキマの部下とは違って、マキマ側ではない上層部の前で、彼女の意見が提示されることになる。マキマの中で、「期待に応えられそうなの」と「おもしろいの」が、一匹ずついることが明かされる。後者はデンジであることが、「最近拾った」で示唆される。このとき、初めてマキマの表情は笑みを含んだような表情となる。そのために、前者が、登場済みの彼女の部隊構成員であるアキかパワーか好奇心を掻き立てられるし、彼女の「期待」がどのようなものか視聴者の興味を引き付ける。

 ここでは、他の主要人物と比してマキマの特異性、およびそこから生じる好奇心を掻き立てる魅力を、彼女の部隊=彼女の側とは分かれた、上層部との対話から引き出す。それと共に、彼女から見た部隊構成員の評価を、謎を残しつつ、開示される。

 

⑤ アキとマキマの車内シーン(08:31~10:05)

 続く⑤のシーンでは、報告を終えたマキマがアキの運転する車で移動するシーンである。先ほど、マキマと上層部だったのが、今回はマキマと彼女の部隊に所属するアキの関係性に移る。このシーンでは、先ほど異なる関係性に置かれても尚変わらないマキマ、デンジのことを気にするアキ、そして二人の話に登場するデンジが提示される。⑤のシーンの中心となるのは、アキである。

 車内での二人が会話する話題は、デンジである。だが、そこで描かれる中心はアキであり、アキがマキマと話す中で秋の性格を照射するデンジは間接的な重要性を持つだけだ。アキの思いは、デンジが公安にはふさわしくないことである。彼の発言が、マキマへの単純な反発であるが、彼が「ガキ」と呼ぶデンジと異なり、彼は「大人」の作法で発言する。彼はこのシーンの冒頭で、マキマに「デンジは不快なだけで、おもしろくないですよ」と話す一方で、マキマが悪魔の説明を終え、チェンソーの悪魔になれるデンジを「おもしろいと思うけどなあ」と評するのを受けて、アキは「おもしろいだけで、使えないやつですよ」と否定する。上司であるマキマの言葉をスイッチに彼の言葉は百八十度方向転換される。その転換は、単にマキマの考えを慮ってのことだけではない。冒頭にアキからマキマに対する、どうしてデンジに期待するのかという問いへの返答が、チェンソーの悪魔になれるデンジがおもしろいと思うから、という同語反復的なもので根拠が欠如しているとも受け取れる返答だった。それゆえ、マキマの返答に、デンジにアキが期待する確固とした何かがあることを、感じ取っていることから、期待しているわけではないとアキは確信し、自分の考えを切り出す。アキの考えでは、目標・信念のような確固たるものを持つ者だけが公安にふさわしいため、デンジはチェンソーの悪魔になれるのが「おもしろい」としても、公安にはふさわしくない。

 期待する理由に、アキが興味を注いでいることは、マキマに問いかけた事実以外からも表現される。アキからマキマへとショットが映る際、運転席からの構図を選択しており、また、バックミラー越しにマキマの姿を見ているショットからも、マキマの言葉にアキが注意を向けていることが分かる。そして、マキマが上記理由を言いきって、彼は根拠薄弱な期待と解釈して、バックミラーから視線を外し、安心して前を向き、「デンジは公安にふさわしくない」という彼の考えをマキマに語る。以上から、アキは自分が否定したデンジの「おもしろい」性質を認めて、マキマに譲歩しながらも、それよりも彼にとって重要である、どんな理由があろうとデンジが公安にふさわしくなく、公安から排除すべきという考えを、彼の上司・マキマに「大人」のやり方で打診しているのである。

 このことが、デンジに公安を辞めさせたい、というアキの思いを発端にしつつも、デンジの去就がこのシーンの中心にならないのは、二人の言葉のやり取りが会話として成立していないところと、その不成立を作り出す、弛緩させた時間の使い方である。アキの問いに対して、マキマは正確に答えないし、アキもそれを都合よく受け止め自身の考えを語る。そのため、二人の「会話」は、二人の独り言が同じシーンに集まったかのように思わせる。

 二人の独り言が集めたような異様な空間を作り出すのは、アニメには珍しい時間の使い方による。この時間の使い方を作り出すのは、登場人物を動かしすぎないことである。そのことはマキマとアキを全く動かさないことでもない。物語を進展させるような動きを最低限のものにして、視線を向ける、コップを口元に持っていく、瞬きする、など物語に関係のない細かな動きは丁寧に描かれる。それらの自然な動きがない止めのシーンでは、登場人物の動きはことごとく減らされている。しかし、それでも、移動する車内であるから、彼らの背景に映る車外の景色は動き続けている。後ろに流れていく建物、車が進む道路や車のタイヤの回転、それにマキマが手に持つコーヒーが車から受ける振動の波、などの動きの描写がそれぞれ盛り込まれている。こうした物語に関与する動きが少ないこと、景色等の動きは残されていること、二人の発言間隔が長いことにより、アニメが表現する客観的な時間以上に、視聴者が見る主観的な時間を膨張させる。建物が高速で後ろに消えていくことで時間は経過していく。しかし、登場人物は止まった様子が多く、間隔を置いて話始めている。これにより、言葉の応酬とは違ったアキとマキマの会話ならぬ、独り言の応酬という車内の不思議なシーンが作り出される。

 

⑥ パワーがデンジを襲撃するシーン(10:06~11:50)

 次の⑥のシーンでは、デンジとパワーがニャーコを捕らえる悪魔の元へ向かい、パワーがニャーコのために、デンジを裏切るシーンである。ここでは、主役はパワーである。このシーンでデンジを裏切るわけだが、裏切る過程において、ホラー的な不気味な雰囲気を作り出し、突如デンジに襲い掛かるパワーの得体の知れなさを演出する。それゆえに、このシーンでは主役のパワーが魔人(≒悪魔)であり、魔人の得体の知れなさが抉り出される。

 路面電車を降りた場所が、彼らが警護する都会とは全く別の場所だということが、草原や山々の描写で明示される。遠近感を伴って、パワーの左手によって示される悪魔の隠れ家は不気味な雰囲気を醸し出す。ロングショットで二人が草原を歩く様子が映り、彼らの手前に、障害物を配置することで、死角を生み、視聴者の緊張感を徐々に高める。デンジがパワーの言動のおかしさに気づく時、悪魔の隠れ家は、二人いずれかの主観ショットで正面に映る。二人が進む様子につれ、主観ショットで隠れ家に向かって画面は進む。それにより、不気味な隠れ家が画面を占める割合が高まり、その存在感も高まるにつれ、不気味さも増幅する。隠れ家の不気味さは、パワーの言動の違和感に伝播していく。このとき、疑問を持つデンジとデンジをごまかすパワーの画面が別々に映され、不安が掻き立てられる。そして、二人お互いに二回映してから、二人が同時に画面に収まり、カメラのズームバックの動きとは独立して静止する二人の画面に、その不安は最高潮に達する。その刹那に、画面がお互いの目のクローズアップで映すように、お互いの神経は目に集中し、静止した目からパワーの目の動きを契機に、二人は武器を構えるも、軍配はパワーに上がる。ここからパワーの表情は、デンジを殴った直後の顔下半分が映るショットを除いて映らず、彼を引きずるための足・腕・手のみが映され、彼を引きずる音が聞こえるのみで、彼女の意志は希薄に感じる。不気味な影を持つ悪魔の隠れ家にデンジは引きずり込まれ、家中の闇からパワーの手によって、隠れ家の扉が閉められ、画面もブラックアウトしていく。ここにおいて、パワーの裏切りへの「なぜ?」及び「なぜ?」から生まれるパワーの得体のしれない不気味さが、悪魔が潜む不気味な隠れ家の闇に交わっていく。

 

⑦⑧の総括(11:51~16:35)

 直後の⑦⑧のシーンで、パワーの裏切りの理由が分かり、パワーとこうもりが対峙する。⑦と⑧のシーンは、AパートとBパートの境を置きながらも、密接に関係している。⑦のシーンで、パワーがデンジを裏切った理由が明かされ、パワーは自分を信じたデンジを見下しているが、⑧のシーンでパワーもニャーコを失い、ポチタを失ったデンジの気持ちを理解する。⑦から⑧を経ることで、前半部分で分かり合えないが、お互いの利益のために、協力関係を結んだ彼らは、後半部分でお互いに微かに分かり合うことができる。

 

⑦ こうもりが登場するシーン(11:51~13:44)

 ⑦のシーンから見ていこう。

 最初の二ショットで部屋の様子を映し、三ショット目でこうもりが登場する。横たわるデンジとパワーの足元が映り、徐々にパンアップして、こうもりの全容が明らかになることで、こうもりの巨大さが強調される。次ショットでは、暗い画面に赤く目が不気味に光り、同一ショット内で、画面全体が明るくなりこうもりの姿を詳らかに見ることができる。上記のように、こうもりについても、悪魔の恐ろしさが演出される。しかし、こうもりの役割は、あくまでも、デンジ、パワー各々の性質・及び二人の関係性を引き立てるために過ぎない。デンジの血が人間の血とは異なることが、こうもりの様子からもわかるし、デンジはパワーに付けられた傷で身動きが取れず、デンジの数倍巨大なこうもりにズタボロにされてしまう。ぼろぼろになったデンジは、屋根を突き抜いたこうもりを見つめるパワーを満身創痍の眼で見つめる。こうもりが居る上方向を眺めるパワーと床に這いつくばるデンジの視線は交錯しない。同一のショットでパワーとデンジが映ることで、交錯しない二人の視線の行方が分かる。また、こうもりが出現させた光に照らされたパワーは、亜麻色の髪・白い肌を美しく彩りながら、這いつくばるデンジを文字通り見下し、「人間は愚か」と吐き捨てる。この時の彼女は、こうもりの威を、光として借り受けながら、悪魔の側に付こうとする。デンジとパワーの間に、溝が開いてしまうのがこのシーンである。

 

⑧ ニャーコとパワーが丸呑みされるシーン(13:45~16:35)

 しかし、その溝もすぐに埋まる兆しが見える。⑧のシーンでは、今度は、パワーがこうもりによって、裏切りを受ける。こうもりはまずい血を飲ませたために、パワーとの約束を反故にして、ニャーコを丸呑みして、パワーをも呑み込んでしまう。パワーは、こうもりによって、ニャーコを失うことで、ポチタをもう撫でられないデンジの気持ちが少しわかる。デンジ自身も、愛するものを失う「ひどい気分」を知っているために、パワーが感じている気分を理解して、目を見開き彼女を見ている。

 街の様子が目に反射するこうもりの目がクローズアップで映り、目を中心に演出される本作の演出は、人間のみならずこうもりにまで及んでいる。彼が見る町の様子が映り、パワーの声でこうもりの視点、つまり映像は隠れ家に戻ってくる。このシーンでも、パワーがデンジを裏切ったシーンと同様に、こうもりがパワーを裏切るのに、目の動きがトリガーとなっている。パワーの声で、街の方向を見ていたこうもりの目だけが、素早く後方のパワーに向く。ここでは、屋根に居るこうもりと部屋に居るパワーの位置関係が、どのショットでも反映されて描かれる。こうもりは基本アオリで描かれ、パワーは俯瞰あるいは上方を見ていることが分かるように描かれる。当然、パワーが視聴者とデンジの感情移入の対象であるために、パワーの描写には、俯瞰のみが選択されるのではなく、彼女と同じ高さに画面を配置し、彼女が屋根上のこうもりを見上げている様子が分かる構図が選択される。単なる位置関係から、素の力関係ではないが、この場での力関係に表現される。

 パワーとこうもりの力関係には歴史がある。回想を通じて、この力関係が築かれた歴史が明らかになる。ニャーコを丸呑みされて、ショックを受けるパワーが俯瞰で映り、時間はパワーとニャーコの出会い時に移る。現在の俯瞰ショットからニャーコを見下ろすパワーがアオリで撮られる回想のショットへ移行する。直後、熊の死骸の上でニャーコを見下ろすパワーと首を垂れるような姿勢のニャーコが一画面に映り、パワーがニャーコを持ち上げ、パワーとニャーコが同じ高さで映る画面が作られる。続く牧場では、殺した牛の頭を抱え、今度は牛の死骸ではなく、ニャーコが立つ地面に座っている。最後に、因縁の屋根のシーンでは、寝転ぶパワーの上に、ニャーコが飛び乗り、ニャーコとパワーの近さと俯瞰だが見下ろす描写によって、本来同じ高さで視線を合わせることがない四足歩行生物と二足歩行生物(?)が、対等に視線を交わす様子が、絶妙に描かれる。この描写により、パワーとニャーコが真に分かり合った様子が表現された直後、こうもりが登場し、その関係性を破壊する。ニャーコを盾にするこうもりは屋根の棟に位置し、屋根平面部に位置するパワーは寝そべった体勢も相まって、自分よりも高い位置にいるこうもりを見上げる形になるしかない。そして、回想でこうもりを見上げる俯瞰ショットから現在こうもりを見上げるパワーの俯瞰へとショットは接続され、歴史は現在に繋がる。この回想により、ニャーコとの親密になる様子、そしてそのことが仇となり、現在の力関係に至っていることが、時間経過を伴う物語的な整合性を卓抜なショット選択による、時間を縮減可能にする視覚的な整合性が代替して際立たせる。

 デンジとパワーの会話でも特徴的なショット選択がなされる。デンジが屋根からの光を受けるパワーを眺めるショットは、⑦のシーンでも用いられていた。⑦のシーンでは、まず人間は愚かと吐き捨てるパワーに裏切られたデンジがショットの主役であるため、這いつくばるデンジは画面中央下部に画面配置される。次ショットでは、デンジの表情を映さずに、パワーのクローズアップを映すことで、第一に⑧のシーン前半で中心となるパワーを最後に画面に残し⑦から⑧への連続性を保ち、第二にデンジから見たパワーを視聴者が見ることで、つまりデンジの主観ショットに映るパワーを見るように誘導して、裏切られたデンジへの感情移入を継続することに成功する。それに対して、⑧のシーンでは、画面の位置が先ほどより左に位置し、画面右にデンジ、正面にパワーが映る。こうすることで、このショットで、デンジの肩越しにパワーを見ることで生じる、デンジが見るパワーを見るのではなく、視聴者は直接にパワーを見ることになる。それゆえ、このときの感情移入先は、パワーとなる。次ショットで、デンジのクローズアップを挟み、パワーの口元のみが映される。このときの視点もデンジが見るパワー(デンジの主観ショットに映るパワー)ではなく、映像表現(エクストリーム・クローズショット)により強調され視聴者に直接提供されるパワーである。さらに、デンジのショットを挟んで、パワーがこうもりに捕まるミドルショットが映り、彼女がこうもりに丸呑みされるショットが続き、地べたから見上げるデンジのショットが収まる。ここの時点で、パワーがこうもりに捕まるミドルショット、ショットが変わりパワーが丸呑みされるショットは、デンジの視点であることが、遡って印象付けられる。こうして、画面の主役がパワーからデンジへと譲り渡される。ニャーコを失ったパワーへの感情移入、刃部とお暗示悲しみを持つデンジそれぞれに視聴者は感情移入を可能になる

 ここまでの、丁寧な人物の外面内面の描写・人物関係の描写によって、蓄積された感情あるいはこの後の展開や人物の正体・力量の期待などの予測が、まとめてデンジ対こうもりの戦闘シーンへ分厚いものへと変容されていく。

 

人間(魔人・悪魔)模様が層をなすアクションシーン

 血がほとばしり、建物が派手に崩壊し、デンジの動きにより多様に動きを変える画面、それにデンジの動きやチェンソーの駆動やこうもりの動きをリアルに描くこと、それらすべてが合わさり、戦闘シーン単体として完成されている。しかし、前述してきたように、各シーンに、描写・提示されてきた内容を踏まえて見ることによって、この戦闘シーンは単に、アクションを形作る映像がすごいだけに収まらない魅力を持つ。

 例えば、マキマに対して手なずけられた犬のように振舞うパワーは、その様子を見ていたデンジと対等にだが、相互理解なしに接するも、裏切りを経て、対等関係は崩れる。そのような関係性から、パワーがこうもりの悪魔の裏切りにより、ニャーコを失い、愛するものを失った者同士、少しは理解する関係性へ変化する。戦闘シーンに移り、デンジの戦う理由に、物語で語られない、パワーに関連した意味付けの可能性を示唆されている。また、アキが言ったように、デンジは「使えない」のか、それともマキマが評するように、デンジは「おもしろい」のか。デンジの戦闘から、彼が言われていることに当てはまるのか考えてみることもできるし、逆に、彼の戦闘からアキ・マキマそれぞれが言っていることの意味を測ることができる*2。デンジ・パワー・こうもりの悪魔の関係が、弱肉強食になっているかと思いきや、素の実力であれば、デンジ対こうもりの悪魔の戦闘シーンで、逆転した関係性が現れ、そうした爽快感も生じる

 上記したように、戦闘シーンのアクションに、意味付けをしてよりそのアクションが作る興奮のギアを上げたり、逆に、冷静になってアクションから見えるデンジの実力を、彼を評する人物の言葉と重ねて考察してみたり、こうもりとデンジの立場の逆転にスッキリしたり、楽しみ方はいろいろである。

 とはいえ、本ブログでは、アクション以外の演出に的を絞ってきたが、もちろんアクションの演出、つまりどのような構図で見せ、どのような運動・動きを描くか、それによってどう見せるのか、の選択も一瞥しただけでは汲み取れない巧みな仕掛けがあると思われる。人間模様の演出、アクションの演出両面にわたって、『チェンソーマン』を考察していくと、他のアニメとは一味違った本作の魅力が見られ、より一層『チェンソーマン』の世界を楽しめるだろう。

*1:デンジがポチタの話をするところで、パワーの側からデンジを映す構図取りが選択される。画面中央にデンジ、そのすぐ右隣りにパワーの胸が位置することになり、自然と目に入るようになる。また、その直後、パワーがお腹辺りに曲げている状態から、座席の頭に肘が乗るように動かす。こうすることで、デンジ視点でパワーの胸を見る際に、腕の遮りはなくなり、胸だけが強調されるようになる。

*2:特に、デンジがチェンソーの悪魔としての実力を知っているマキマの場合である。彼女は「チェンソーの悪魔」になれるから、デンジを「おもしろい」と評する。なぜ、チェンソーがおもしろいのか。本作からは二つのヒントがあった。一つは、車内での会話で、マキマは「車の悪魔」について言及する。車はタイヤに轢かれるイメージがあるから、怖いイメージがある。この車のイメージは、現在マキマが乗車していることからも明らかなように、本来的に恐怖を生むものではない。この点が「チェンソー」と符合する。もう一つは、一つ目と関連するが、こうもりとの戦闘で、デンジが悪魔であることに、こうもりが驚いていた点である。人間でありながら悪魔になれるデンジの性質、それに加えて、日常生活で常に恐怖の対象ではないが、ある瞬間には人間に刃を剥くチェンソーの性質。二つが合わさるデンジだからこそ、恐怖を多大に集め、悪魔として強大な力を持つ可能性があること、これこそがマキマが「おもしろい」と評する核心ではないだろうか。