【アニメ考察】無気力=クズ系アイドルが与える光とエネルギー―『神クズ☆アイドル』7話

©いそふらぼん肘樹・一迅社/「神クズ☆アイドル」製作委員会

 

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●原作
原作 :いそふらぼん肘樹(月刊コミックZERO-SUM/一迅社 刊)

●スタッフ
監督:福岡大生/シリーズ構成・脚本:蒼樹靖子/キャラクターデザイン・総作画監督細田沙織/プロップデザイン:高村遼太郎/美術監督・設定:井戸千尋色彩設計村田恵里子/3DCG:V-sign/3DCGディレクター:上薗隆浩/撮影監督:本間綾子/編集:重村建吾/音響監督:郷文裕貴/音響制作:ビットグルーヴプロモーション/音楽:myu/音楽プロデューサー:佐藤翔太・佐藤純之介/音楽制作:エイベックス・ピクチャーズテレビ東京ミュージック

アニメーション制作:Studio五組/製作:「神クズ☆アイドル」製作委員会

●キャラクター&キャスト
仁淀ユウヤ:今井文也/最上アサヒ:東山奈央/吉野カズキ:堀江瞬/瀬戸内ヒカル:寺島拓篤/岬チヒロ:佐藤拓也/内濱アキラ:小林竜之/灘ユキナリ:石谷春貴/伯方ホマレ:阿座上洋平信濃ヒトミ:喜多村英梨/河川敷:上田瞳/ツギコ:大地葉/しぐたろ:石見舞菜香/ナレーション:速水奨

公式サイト:TVアニメ「神クズ☆アイドル」公式サイト (kami-kuzu.com)
公式TwitterTVアニメ「神クズ☆アイドル」公式 (@kamikuzu_PR) / Twitter

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

概要

 アイドルグループZINGSメンバーの仁淀、吉野、そして人気絶頂の中、死を迎え、仁淀と交代で幽霊としてアイドルをするアサヒの三人のアイドル物語である。主人公の仁淀は、表向き無気力系のアイドルであり、裏では楽してお金を稼ぐ他ためにアイドルをしている、両面取ってもクズ系のアイドルである。

 幽霊のアサヒとの出会いとのきっかけに、少しずつアイドルとして成長していく。本ブログで取り上げる、七話は主人公仁淀の転換点とも言える回である。七話では、その転換点がアイドルのステージに欠かせない光とアイドルが配るエネルギーを結び合わせ、巧みに演出されている。そのため、ここでは、光の演出、および仁淀とアサヒの関係性、そして仁淀に変化をもたらす特異な立ち位置の瀬戸内を中心にして、上記に関連するシーンを取り出し、できる限り克明に記述してみたい。

 

アイドルとファン

 仁淀もアサヒも、アイドルとしてどちらも飾らない。仁淀が表でも裏でも無気力なアイドルであれば、アサヒは裏でも表でもエネルギッシュなアイドルに見える。二人の立ち位置がこの七話で印象的に描かれるのは、眼下に広がる街と輝く夕日を背景に、二人がブランコに乗っている一連のシーンである。このシーンに着目するのは、三話でアサヒの仁淀がアイドルすることを邪魔しているかも、という悩みが打ち明けられたシーンと対比的に捉えることができるためである。七話でも、同様に茜色に照り輝く夕日を背景に、二人が言葉を交わす。夕日を共通項に、三話と七話がつながる。

 『神クズ☆アイドル』七話にて、三話と同一の夕日を背景にして、仁淀とアサヒを登場させることによって、二人の見ているものを変化させることができる。三話の問題が、二人でアイドルをやっていくという仁淀とアサヒ二人の間でのアイドルが問題だったのに対して、七話では、話が異なる。七話では、瀬戸内を代表にして、アイドルファンが描かれる。そのことは本作で、仁淀とアサヒを中心としたアイドル側だけではなく、彼らとはステージ以外で接点のないファンにも焦点が当てられている。だが、ここで描かれるのは、あくまでもアイドルから見たファンである。

 三話で輝く夕日の前、道路の中心で語り合う二人は、どう見ても物語の中心人物である。輝く太陽を横目にしながら、彼らは彼らが主人公のアイドルという物語を語っている。それに対して、七話では、三話で向き合っていた二人が横並びでブランコに乗る。そして、一人の同業者でありファンである瀬戸内をきっかけに、ZINGSのファンの話に移っていく。もちろん画面の中心にいる二人は、このシーンの中心である。しかし、彼らは輝く太陽を二人の正面において、輝きの前に身を置くファンの位置に身を置いているのである。ファンたちが、ライトアップされたステージで輝く推しを見るように、彼らは茜に輝く夕日を正面に、ファンの思いを考える。きっかけは、応援と非難の相反する行動を見せる瀬戸内だったが、その時初めて仁淀はファンがなぜ大変な思いをして、自分たちを応援するのか、という問いに達する。これこそが七話が転換点たるゆえんである。この後、瀬戸内やファンに向けて、ライブシーンへ向かっていくのだが、その前に、遡って瀬戸内の回想についても言及する。

 

アイドル兼ファン

 前述では、仁淀とアサヒ視点から描き、瀬戸内が持つ恐れに気づかせたライブパフォーマンスまでの七話中盤部分を見てきた。ここで、時系列は戻って、瀬戸内について見ていきたい。

 まず大切なのは、瀬戸内の立ち位置である。彼はアイドルであり、アイドルのファンである。さらに、アサヒのファンであり、仁淀のファンになりつつある。彼の立ち位置は、この作品において特殊である。本作では、アイドルがアイドルの側だけで見られるのみであり、逆にアイドルファンがアイドルになるという描写もなされていない。これは他作品で、アイドルを見て、自分もアイドルになるという作品とは対照的だ*1。瀬戸内はこのパターンに該当する。

 彼以外にアイドルのファンとしてアイドルに憧れて、志望したアイドルを明示的に描かれていないし、さらに彼の描かれ方も描かれ方をなされている。彼がアサヒのファンになったきっかけは、学生時代に、ある日突然、体のエネルギーがなくなって、何もやる気がしない、学校にも行けなくなったのが始まりだった。

 このときの彼の様子が、回想を表現しかつ、彼の行き詰まりを灰色のフィルターで表現している。学校に行けなくなってから、学校で三者面談を行うシーンで彼の孤独を印象的に描かれている。学校に行けなくなった事情を、教師・母親から優しく聞き出されるが、彼には本当に理由も何もない。突然彼の中のエネルギーが空っぽになった気がすると独白で絞り出し、しかもそのことをどのように目の前の二人や、それ以外の人たちに説明すればよいか分からないと吐露する。それと同時に、白みがかった背景が彼を中心に黒く染まり、背景とは別に彼自身からは色が抜けていく。カットが変わり、優しく肩をさする母親と彼を見つめる教師が映り、背中から彼を映し、その奥には闇が広がっている。闇は黒を基調としているが、黒単色ではなく藍色っぽくもあり、グラデーションにより闇の中にも遠近感が作られている。それにより、画面の前面には、闇を見通させないような白いぼかしが、闇の中心に吸い込まれているように見える。合わせて、彼の輪郭線は完全に消え、真っ白になった彼のシルエットだけが闇の前に残される。彼の孤独は頂点に達する。

 次シーンの夜、ベッドでゲームをする彼が映される。合間合間に、三日月・満月が映され、閉ざされたカーテンの隙間やゲームから光が漏れ出る。そこで、彼は、画面内のアサヒに出会う。光に溢れ、光を纏うアサヒの姿と彼は特に彼女を応援する光る棒(サイリウム)を振る人たちの多さに驚く。この日から彼は、空っぽだった彼にエネルギーが満ち、アサヒのファンへ、そして自らもアイドルになっていく。そんな中、アサヒが突然命を落とす。彼は、アサヒだったらどうするか、と考え、彼なりの理想的なアイドルを演じ続けるようになる。

 彼が作りあげるCgrassの瀬戸内は、彼の回想で登場した月に例えられる。太陽の輝きを受けて、輝く月。彼は、アイドルとしての一挙手一投足を、アイドルの理想像、アサヒに求めてしまう。

 彼がアサヒと仁淀のファンになったのは必然かもしれない。一方がアイドルの中のアイドルという素がアイドルのアサヒで、他方、まったくアイドルをやる気のない表も裏もやる気のない素も無気力の仁淀だった。アイドルのファンが求めるものと完全に合致するものを提供するアサヒとファンが求めるものを自ら見出す(させる)仁淀。対照的ではあるが、素でアイドルをやっている点では二人は一致している。そのような二人に瀬戸内は惹かれたのかもしれない。

 

アイドルが与えるもの

 瀬戸内がアサヒへの執着、そしてアイドル仁淀を応援している自分に気づいたのは、七話後半のライブシーンである。このシーンは、先述したように、仁淀が「なぜファンは大変な思いをして、自分たちを応援してくれるのか」という問いに達した後、瀬戸内や他のファンに向けてパフォーマンスを見せる重要なシーンでもある。彼はライブで、息切れぎれながらも、今の彼のベストなパフォーマンスを見せる。が、力を使い果たした仁淀は限界に達し、アサヒへとバトンがつながれる。ラストの曲は、ZINGS初のバラードでAメロのしっとりとした歌からラスサビへの盛り上がりを増していく。Aメロでは、ZINGS二人のイメージカラーの光が、淡い色で上方から柔らかに広がっている。サビ部分では、ステージ奥の照明からZINGS、観客席へ向けて、金色の光線が放たれる。続くラスサビでは、局長の盛り上がりに合わせて、一層光量が倍増し、場面を盛り立てる。光線に光が二人を覆い尽くさんばかりに広がり、光の描写とその光に呼応するフレアが、丁寧に入れ込まれ、画面に光で満たされる。その反対に、ZINGSの二人は光を後方から受ける形になるため、光と身体の輪郭に薄い影を纏い、前面には影を帯びながらパフォーマンスする。

 この仁淀二人(仁淀とアサヒ)のパフォーマンスを見て、瀬戸内は自分がアサヒを忘れて、アサヒ以外のファンになることを恐れていたことに気づく。しかし、率直な自分の気持ちに気づいた彼は、ステージから溢れる光でその姿もおぼろげなZINGSに向かって、仁淀のイメージカラーのサイリウムを点灯し、静かに、だが大きくサイリウムを振る。

 自分の気持ちに気づいたものの、アイドルとしての理想を求め、それ同様に、ファンとしての理想を求める彼は、仁淀のファンになることができない。その瀬戸内の感情を、考えようにによってはタブーなやり方で、仁淀は解決する。彼の解答は、アイドル自ら掛け持ちを提案することだった。瀬戸内の理想から外れているために、納得いかない様子で仁淀から逃げるように去っていくが、彼の目には静かに光がともり、新たな活力に満たされている。

 

 

 本作では、自然光や街灯やステージライト・夜景などの人工的な光など光に溢れた作品に仕上がっている。まさにその光を用いて、アイドルが与える光そのものに見えるエネルギーを、巧みに表現していた。そして、その中で、楽してアイドルをしたい仁淀の意識が少し変わった転換点ともなっていることも見た。ただ、エネルギーという生命力の象徴を光で描きながら、そのことから逆に七話には残酷さも伴っている。このエネルギーを積極的に利用できるのは、生きている存在だけだということだ。つまり、生きているアイドルの仁淀と瀬戸内とは異なるアサヒの存在について暗に言及されている。

 仁淀とアサヒが夕日に向かって話すシーンでは、夕日の日差しに彼女の姿は透けている。彼女は自らの体で光を受け止めることができない。そのために、彼女が光を受けるには、仁淀の身体を借りるしかないことが露わになっている。それゆえに、視聴者はアサヒのファン歴を重ねていないにもかかわらず、彼女が彼女としてアイドルができないことを知り、作中のアサヒのファンたちが抱える悲しみの深さを、彼女を推していない視聴者も理解することができる。彼女の言動、アイドルとしての行動は、ZINGSの仁淀を影で支える存在にしかならない。ブランコのシーン後に、なぜファンが大変な思いをして、応援してくれるのか、と仁淀に問い、うまく答えられない仁淀に、その答えをアサヒは暗い公園の中で明るく答える。

 そのシーン、白い街灯の光が地上まで伸び、彼女専用のスポットライトとなる。彼女の様子は厳かに照らされ、歩を進めて、仁淀に近づいて話す彼女には、影が掛かっている。逆に、彼女を見返し、答える仁淀には、アサヒの背後からにある街灯に照らされている。二人の関係性は、この光と陰の関係性が如実に表す。もうアイドル最上アサヒは存在しない。それでも彼女はZINGSの仁淀としてアイドルになる。『神クズ☆アイドル』は、アサヒの死を揺るがない事実として光の裏面で残酷にも描き出しながらも、死してなおアイドルがしたいというアサヒの常人ならぬアイドルへの思いがあってこそ、『神クズ☆アイドル』は二人のアイドルの物語ではなく、二人で作りあげる一人のアイドル物語として成立しているのである。

*1:逆に2022夏アニメの『シャインポスト』では、メイングループTINGSのメンバー全員が「絶対アイドル」蛍のライブを見て、アイドルを志している。