【アニメ考察】怪物であり、恋愛脳であり―『よふかしのうた』7話

Ⓒ2022コトヤマ小学館/「よふかしのうた」製作委員会

 

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●原作
原作:コトヤマ小学館週刊少年サンデー」連載中)

●スタッフ
監督:板村智幸チーフディレクター:宮西哲也/脚本:横手美智子/キャラクターデザイン:佐川遥/音楽:出羽良彰/美術設定:杉山晋史/美術監督:横松紀彦/色彩設計:滝沢いづみ/色彩設計補佐:きつかわあさみ/撮影監督:土本優貴/編集:榎田美咲/音響監督:木村絵理子
アニメーション制作:ライデンフィルム

●キャラクター&キャスト
夜守コウ:佐藤元/七草ナズナ雨宮天/朝井アキラ:花守ゆみり/桔梗セリ:戸松遥/平田ニコ:喜多村英梨/本田カブラ:伊藤静/小繁縷ミドリ:大空直美/蘿蔔ハツカ:和氣あず未/夕真昼:小野賢章/秋山昭人:吉野裕行/白河清澄:日笠陽子/鶯餡子:沢城みゆき

公式サイト:TVアニメ『よふかしのうた』 (yofukashi-no-uta.com)
公式Twitter『よふかしのうた』TVアニメ公式 (@yofukashi_pr) / Twitter

 

 

※この考察はネタバレを含みます。

 

 

あらすじ・概要

「初めて夜に、誰にも言わずに外に出た。」

女子がニガテな中学2年生の夜守コウはただ今、なんとなく不登校中。
さらには、夜に眠れない日々が続いている。
そんなある日、コウは初めて夜に、誰にも言わずに外に出た。
夜風が気持ちよく、どこまでも自由で、昼間とちがう世界。コウは夜に居場所を見つける。

そこに突如、謎の美少女・七草ナズナが現れる。
彼女は、夜の住人・吸血鬼。
コウに、夜の楽しさを教えてくれるナズナ

「今日に満足できるまで、夜ふかししてみろよ。少年」

夜に、そしてナズナに魅了されていくコウは、彼女に頼み込む。
「俺を吸血鬼にしてください」
ナズナは吸血鬼になる条件を教える。照れながら。それは……
「人が、吸血鬼に恋をすること!」
果たして恋を知らないコウは、ナズナと恋をして、晴れて吸血鬼になれるのか!?
ふたりぼっちの、特別な「よふかし」が始まる—

(TVアニメ『よふかしのうた』公式サイト 「INTRODUCTION」より)

 

 取り上げる七話では、初めてコウがナズナ以外の吸血鬼たちの世界に、足を踏み入れた回である。六話までは、ナズナという名の吸血鬼のことや、コウの周囲の様子が登場してくる以外は、二人の関係性の進展のみが描かれてきた。

 しかし、コウは吸血鬼のナズナと親しくする中で、眷属以外の人間と仲良くナズナと同様に、コウもナズナ以外の吸血鬼からマークされるようになっていた。彼は知らない内に、吸血鬼の世界に入り込み、七話において、その世界が突如姿を現す。この点の演出について、簡単に確認したい。

 

怪物としての吸血鬼

 七話の冒頭は、コウがナンパされている少女桔梗セリと出会うところから始まる。飲みかけのコーラを取られて、無防備に彼女の後を追って、人気のない高架下までついていく。彼女はコウの返事と同時に、吸血鬼の正体を現す。

 ここでは、フェンスを境に、あちら側へ出たセリが正体を現す演出がなされている。高架下を歩いていた質素な色調と比較して、フェンスはピンクに鮮やかに染まる。歩を止めたセリが、コウ視点からロングショットで映され、緩慢に頭を上げる。広い構図の中心にセリが置かれ、余白の多さに、「何かあるのでは?」と視聴者の不安を掻き立てる。頭を上げた彼女の顔は、前髪と陰に隠れ、表情・意図が読み取れない。コウへのカットバックを挟んで、セリの顔のクローズアップが映るも、そこでも表情が見えない。地面の水たまりをクッションにして、セリがコウに突如飛び掛かり、首元から血を吸えるように抱き着く。そこで大口を開けた彼女の口から、吸血鬼特有の鋭く長い牙が光っている。ここまでであれば、一話にて、自販機でお酒を買うコウに、暗闇から声を掛けるナズナ=非日常との出会い似ている。だが、このシーンと一話では大きく異なる、一話が暗闇からぬっと現れるナズナに驚きはするが、それはホラー的というよりも、お酒を買う行為を咎められる恐怖が大きい。それに対して、七話では、ホラー的な恐怖が一挙にコウを襲う。また第二に、一話では吸血鬼ナズナと人間コウの二人の出会いが描かれているが、七話ではセリとコウの出会いが描かれるわけではない。コウが出会うのは、ナズナやセリを含む吸血鬼たちの世界と出会うのである。

 セリがコウの血を吸おうとした瞬間、高架下の柱を駆けて、ナズナが登場し、二人を通過する。その直後、セリの腕が飛び、鮮血が画面に広がる。同時に、フェンスを彩っていたピンクがフィルターとして画面全体を覆い、高架下はセリとコウが歩いていたときとは、異なる様相を呈している。

 これまで、ナズナが人間離れした跳躍を見せたりと、吸血鬼が人間以上の身体能力を持っていることは明らかにされてきた。だが、刃物なしで腕を切り落としてしまうナズナ、飛んだ腕を動揺なしに拾い、切断部に近づけ癒着してしまうセリ、二人の何気ない行動から否応なく吸血鬼性が露わになっている。

 

Ⓒ2022コトヤマ小学館/「よふかしのうた」製作委員会

 

 コウが吸血鬼について知りながら、眷属ではないことから、セリたち吸血鬼はコウを危険分子とみなしている。そのため、彼を誰かの眷属にするか、あるいは殺そうとする。コウを眷属にするか、殺そうとするセリとコウを彼女から守るナズナの戦闘が始まるが、コウはもう一人の吸血鬼本田カブラに連れ去られてしまう。

 

恋愛脳としての吸血鬼

 ナズナと分断されたコウは、吸血鬼たちの集まりに、参加させられる。ここでは、先ほどの殺伐とした状況すなわち「鬼の世界」から恋バナで盛り上がる「女子女子した」世界が展開される。セリが持っていた選択肢のもう一つがこの場で実行されていく。タイプの違う女性が、順にコウを落とそうと、誘惑する。

 ここでは、ナズナとは別の親密(そう)な空間が作られている。ナズナとの関係は、彼女が添い寝屋を営んでいることから、ベッドでのシーンが印象に残る。対してこの場では、二台のソファがローテーブルを挟んで向かい合わせにして、ビルの屋上に備え付けられている。必然コウも三人掛けのソファの、一つに席を占めることになる。

 一方、ベッドで添い寝をするシチューエーションは、絵面からエロティシズムが前面に押し出されている。それゆえに、吸血行為=眷属作り(性行為)の符号を視聴者に意識付けられる。他方、七話ソファでのシーンはこれとは、逆の構図にある。すなわち、目的はコウを眷属にすることであり、セリの説明と平田ニコの説明により、視聴者もそのことを知っている。だが、コウを眷属にするためには、コウを惚れさせないといけない。吸血行為=眷属作りというエロティシズムの目的を秘めながらも、コウを好きにさせなければならない。

 そのため、彼女たちのアプローチは、眷属作りを前面に押し出すのではなく、各々が得意とするモテ術でコウを落としにかかる。ニコは、コウと腕を組んでソファに座っている様子から、対等な関係でお互い気が合うかもと誘う。しかし、コウがニコさんはナズナちゃんと似ているから、気が合うかもと答え、玉砕。続いて、小繁縷ミドリは、向いの席からコウの隣に移り、コウより低い視線から甘えるように「私はあり、なし?」と誘う。しかし、コウから「ありか、なしかで言えば、なしですね」と明言され、玉砕。最後に、ソファではなく立った状態で、コウより身長が高い本田カブラがアプローチを掛けるも、後から駆け付けたナズナに阻止される。

 ここで、向かい合ったソファ・人物配置によって、アプローチを掛ける三人とコウの構図が巧みに作られる。対等な関係のニコはソファに肩を組んで横並びになり、カブラはお姉さんに合った高身長が映える立った状態で、それぞれコウとツーショットを飾る。コウにアプローチしないハツカは別として、ミドリはニコ・カブラとは違い、ツーショットが避けられている。

 

Ⓒ2022コトヤマ小学館/「よふかしのうた」製作委員会

 

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 そのため、特に興味深いのは、ミドリの構図づくりである。第一に隣に座っているにも関わらず、徹底的にツーショットが避けられるのは、彼女が唯一はっきりと「なし」と言われるからだ。そのために、「ちなみに私は?あり?なし?」と問いかけるシーンでは、ニコが同じフレームに追加され二人の空間を作らせず、その後のミドリがコウを落としにかかるシーンではあえて、フレーム内に余白を作りながらも、二人の様子を別ショットで映している。そうすることで、ミドリの仕草を見て、何も感じないコウをうまく演出できる。

 第二に、構図はミドリのあざとかわいさを、適切に表現する。彼女のかわいさはコウと並んで若干前かがみに座る時の相対的な小ささに現われているが、この小ささはあくまでも座高の高さで作られている。つまり、立ってみるとコウとミドリに身長差が出ず、立った状態で身長差だけが際立てば、かわいさに振り切れてしまう。だが、座った状態であえて前かがみのミドリが、あえてミドリから上目遣いの構図を作ることで、彼女のあざとかわいさの魅力を十分に発揮することができる。もちろんミドリのシーンで上記効果が生じるのは、その前のニコの肩くみしながらまっすぐにコウを見据えるシーンにあるし、またミドリのシーンから、カブラの明らかな身長差とそこから生まれるコウが見下ろされる構図がより一層の効果を生む。

 

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 彼女たちのアプローチは三者三様のアプローチだが、そこには共通点もあり、同時に三人とナズナの違いが浮き彫りになる。三人の場合、アプローチから好きになるという恋愛過程を経て、その後に眷属作りに移行する。そのため、恋愛と眷属作りが別個として考えられている。それに対して、ナズナは好きの感情をブラックボックス化する(=「好きになりたきゃ好きにしろ」)ことによって、コウの血は吸い続けることで、恋愛過程を抜きにして、眷属作り=好きになるときと接続している。

 この点において、コウが、恋愛感情がまだわからず、また不登校の原因となった悩みとマッチする。ナズナの考え方では、コウに好きの感情を読む空気読みを求めない。もし好きという感情がコウの中にあれば、吸血行為時に、人間から吸血鬼へ変化することで気づける。あくまでも、身体の変化という客観的な指標に基づき、ナズナのことが「好きになれる」。それゆえに、恋愛が分からないコウにとって、恋愛抜きで、吸血鬼になる彼の夢を達成する最短距離になる。

 

 

 コウは、ナズナと別の吸血鬼に出会うことで、吸血鬼の世界に触れる。そこでは、時に殺伐としていて、時に恋愛脳な一般的な吸血鬼たちの本性を見た。

 七話ラストに、何年かけてもナズナを好きになるというコウの言葉に、四人の吸血鬼は困惑し、ナズナは焦った様子を見せる。もしかすると、このコウの想定には、そうはいかない吸血鬼の条件(掟?)があるのかもしれない。二人の関係性は、コウから吸血したく、「好きになりたきゃ好きにしろ」と投げやりで消極的な照れ隠しをするナズナ、吸血鬼になりたいが恋愛感情が分からないコウ、二人の関係性は、この条件を基に変わっていくのかもしれない。メタ的には最終話までの話数の関係上、そして、物語に重要なこの条件の後押しを受けて、二人の関係性の変化は終盤へと加速していくかもしれない。私たちも彼らの加速に置いて行かれないようにしなければならない。