【アニメ考察】ネットが作る平等と個人の選択―『竜とそばかすの姫』

©️2021 スタジオ地図

 

 本作は代表作『サマーウォーズ』を筆頭に、数々の劇場アニメーション作品を世に放ち続けてきた細田守監督の最新作である。発表から期待も高く、劇場まで観に行った他作品と異なって、劇場の大きさ・収容度などから本作の人気が伺えた。

 以下では<U>という仮想世界の役割とその後に重要となったすずの意思と選択に的を絞って、雑な考察を書いていく。

 


  youtu.be
●スタッフ
原作・脚本・監督:細田守作画監督青山浩行/CG作画監督山下高明/CGキャラクターデザイン:Jin Kim/CGキャラクターデザイン:秋屋蜻一/CGディレクター:堀部亮/CGディレクター:下澤洋平/美術監督:池信孝/プロダクションデザイン:上條安里/プロダクションデザイン:Eric Wong/音楽監督・音楽:岩崎太整/音楽:Ludvig Forssell/音楽:坂東祐大/衣装:伊賀大介/衣装:森永邦彦/衣装:篠崎恵美

企画・制作:スタジオ地図/配給:東宝

●キャラクター&キャスト
すず:内藤鈴/しのぶくん:久武忍/カミシン:千頭慎次郎/ルカちゃん:渡辺瑠果/ヒロちゃん:別役弘香/すずの父:役所広司/竜:佐藤健

公式サイト:「竜とそばかすの姫」公式サイト (ryu-to-sobakasu-no-hime.jp)
公式Twitterスタジオ地図 (@studio_chizu) / Twitter

 

※この考察はネタバレを含みます。

 
 

あらすじ

 

50億人がすれ違う

美しくも残酷な仮想世界。

ベルの歌声は世界を変える――

 自然豊かな高知の田舎に住む17歳の女子高校生・内藤鈴(すず)は、幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。母と一緒に歌うことが何よりも大好きだったすずは、その死をきっかけに歌うことができなくなっていた。

曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日、親友に誘われ、全世界で50億人以上が集うインターネット上の仮想世界<U(ユー)>に参加することに。<U>では、「As(アズ)」と呼ばれる自分の分身を作り、まったく別の人生を生きることができる。歌えないはずのすずだったが、「ベル」と名付けたAsとしては自然と歌うことができた。ベルの歌は瞬く間に話題となり、歌姫として世界中の人気者になっていく。

 数億のAsが集うベルの大規模コンサートの日。突如、轟音とともにベルの前に現れたのは、「竜」と呼ばれる謎の存在だった。乱暴で傲慢な竜によりコンサートは無茶苦茶に。そんな竜が抱える大きな傷の秘密を知りたいと近づくベル。一方、竜もまた、ベルの優しい歌声に少しずつ心を開いていく。

 やがて世界中で巻き起こる、竜の正体探しアンベイル。

<U>の秩序を乱すものとして、正義を名乗るAsたちは竜を執拗に追いかけ始める。<U>と現実世界の双方で誹謗中傷があふれ、竜を二つの世界から排除しようという動きが加速する中、ベルは竜を探し出しその心を救いたいと願うが――。

 現実世界の片隅に生きるすずの声は、たった一人の「誰か」に届くのか。二つの世界がひとつになる時、奇跡が生まれる。

(ストーリー |「竜とそばかすの姫」公式サイト (ryu-to-sobakasu-no-hime.jp))

 

 本作は上記あらすじのように、細田守作品原点回帰とも言うべき内容を含んでいる。それは彼の初監督作品である『デジモンアドベンチャー 僕らのウォーゲーム』や『サマーウォーズ』で描いていたネット社会と物理世界の2世界を描いているという特徴を持っている。

 

ネットが作る平等

Uの世界

 本作の世界では、視覚だけでなく、あらゆる感覚にまで拡大するまでVRの技術が発達した近未来を舞台としている。<U>という仮想世界に全世界50億人が接続している。本作では、<U>は第2の世界、もっと言うと、現実世界の1つの側面という理解で本作の登場人物たちは利用している。

 この世界では、友人と話したり、触れ合ったり物理世界と同じように活動ができる。それに加えて、仮想世界ならではの、物理世界では不可能なことも可能となっている。例えば、空を飛んだり、また仮想世界専用のアバターAs>となるので、いつもと違う自分になることができる。

 そのため彼らが過ごす<U>という仮想世界は私たちが暮らす物理世界の延長線上にありつつも、それとは異なる座標に存在している。この物理世界からのずれを仮想世界から物理世界へ送り返す形で、物理世界への変容をもたらす。物理世界のみでは、叶わなかった夢が叶ったり、繋がることのなかったものが繋がったり、分からなかったことが分かったり、仮想世界によって、それも物理世界において実現する。本作のテーマとなっているのは、仮想世界さらにはインターネットという媒体が私たちに何をどのような方法で可能とさせたのかということである。

 

物理世界と<U>の世界

 抽象論は置いて、本作の具体的な場面からこのテーマについて掘り下げていきたい。主人公のすずに焦点を当ててみる。本作はすずの成長物語でもある。すずは<U>の世界を体験することによって、何が変わったのだろうか。すずは作中で<U >を始める。彼女は物理世界とは異なるベルとして<U>の世界を過ごしていく。<U>の世界に入ってすぐに、彼女に変化が起きる。物理世界では歌を歌うことすらできなかったが、<U>の世界でベルとして歌い始めると、いつものように気分が悪くならず、歌いきることができる。それも物理世界とは比にならない数の聴衆を前に歌いきってみせる。

 この点については、賛否両論があるかと思う。というのも、物理世界では全く歌えなかったのに、<U>の世界に来ただけでいきなり歌えるようになるのは不自然だし、百歩譲って歌えるという結果を認めたとしても、作中でなぜすずが歌えるようになったのかが説明されていない、という批判があると思う。

 あるのは、彼女のトラウマの説明だけだ。すなわち、他人の子どもを助けるために命を失った母への恨み、母に対して投げかけられる心無い言葉など幼少期の彼女に耐えきれないストレスによって、母との最も大切な思い出である歌の思い出が彼女に重くのしかかっている。彼女が歌えない理由はここに存する。そのため彼女が歌えるようになったのは、順当に見てこのトラウマが解消されたと考えるのが筋である。こう考えると、<U>の世界でベルになっただけでトラウマが解消されるのはおかしいとなるのは必然だ。

 そうであるなら、彼女が<U>の世界で歌えるようになったのは、物語上必要な飛躍であり、単なる脚本の穴、ご都合主義の産物と断定するのが正しいのだろうか。答えは否だ。ここには本作の<U>を代表とする仮想世界の特殊な性質がある。。仮想世界の特殊な性質とは、すずそのものとしてその世界を生きる必要がないということだ。要するに、<U>の世界で、彼女は顔にあるそばかすなどの身体的特徴はもちろん歌に対するトラウマを抱え込んでいないベルとして存在している、いや<U >の世界をベルとして生きているのである。

 当然のことだが、ベル=すずである。では、ベルとして生きることはどのようなことであり、物理世界ですずとして生きることと何が違うのか。物理世界ですずとして生きることと仮想世界(<U>の世界)でベルとして生きることをそれぞれ分析してみる。要素に腑分けし、対比することで、すずに何が起きたのか、さらにはインターネットがその現象の惹起にどのような貢献を果たしているか読み取れるかもしれない。

 

物理世界のすず

 物理世界ですずはいわゆる田舎っこのようなそばかすがチャームポイントの少女である。長年トラウマに決着を付けられずに、グダグダと過ごしてしまっている。そのような現状を変えないといけないと思っている。歌はトラウマの発症原因だから、捨てたいと思うけれども、歌が好きで母親との大切な思い出でもあるため、捨てきれない。そして、母親との大切な思い出を共有している父親とはぎこちない関係となってしまっている。恋にも前向きになれない。幼少期から思いを寄せる忍に対して、自分と彼では釣り合わないと決めつけて、関係を前に進むことができない。

 物理世界ですずとして生きる彼女は以上のような、過去に囚われたまま、進退身動きが取れなくなっている等身大の少女である。等身大でしかいられない少女である。彼女は普通病に罹っている。

 学校という制度に身を浸して生活している学生は社会のルールや常識に合わせて、学校内のルール・常識、そしてカースト身分相応の行動に敏感になる。彼女も学生であるから、そこから逃れられない。学校の女子から人気の忍から話しかけられ、彼との釣り合わなさから反感を買わないように、彼を突き放す描写がある。彼女はその点でも、学校のカースト制を無視できるほど型破りな存在ではない。

 物理世界のすずの要素から、すずが悩みを抱える等身大の少女であり、社会・学校のルールや常識に抑圧されている状態にあることが分かる。このように要素を取り出してみると、彼女が普通の少女であることが分かる。彼女は劇中で世界を救ったりしない。彼女が救うのは父親の暴力に怯える2人の少年たちのみだ。彼女はアニメや映画に登場する救世主でも英雄でもない。普通の女の子だ。この点は、本テーマを考えるうえで重要なことだ。

 

U>のベル

 それに対して、<U >の世界のベルとして生きるとはどのようなことか。<U>上の姿(As)は<U>初ログイン時に身体・精神情報を読み取った後、<U>への接続プログラムによって、自動的に生成される。彼女は<U>という仮想世界で、物理世界の特徴を持ちつつも、物理世界とは異なる姿を手に入れることとなる。澄んだ白色の素肌、長く伸びる手足、髪の毛は直線に流れ鮮やかなピンク色に輝いている。しかし全くの別の肉体ではなく、彼女らしさも残存している。彼女の特徴であるそばかすはベルにも彩りを与える化粧として現れている。すなわちベルという身体はすずのものではあるが、物理世界でのすずの身体とは異なるということだ。2つの身体に互換性がないことは重要だ。

 また広くネットの世界は使用者を特定の社会的な位置に押し込める規律というのが存在しない。私たちも暮らす劇中の物理世界は種々のルールや常識が存在する。そのルールや常識は一面では、私たちの振る舞いや位置を規定してくれるという点で有益であるのに対して、他方では、それらが人間そのものを規定する規範にまで至ってしまう点がある。

 

トラウマの解消

 以上の対比から分かることは、彼女が物理世界で抱え込んでいる悩みやトラウマや常識とひた隠しにしている思いを<U>という仮想世界ですずの身体を脱ぎ捨て、新たなベルという姿を手に入れることによって、解放できたということだ。具体的には、彼女の悩みは歌おうとすると、吐き気がする身体に直結しているものだ。<U>の世界では、彼女はすずという身体に拘束されない。すなわち彼女のトラウマを共に背負っている身体は存在しない。代わりに<U>の世界ではベルとして存在する。それゆえ彼女が抱える歌おうとすると吐き気がする悩みは解消することになる。

 しかしトラウマが解消されたからと言って、内気な彼女が<U>の世界に入るだけで、不特定多数の前で歌い始めるというのは不自然に感じる。この点に関しては、常識からの解放という契機が重要だ。彼女は社会・学校のルールや常識に囚われている。往々にして、そのようなルールや常識は視覚的で分かりやすい特徴に基づいて、人間を判断するよう促す。

 彼女はそばかすで容姿もよいわけではない。スクールカースト上位に存在するわけでもないし、親がお金持ちであるわけでもないし、父親と2人で慎ましく暮らしている。そのような彼女には彼女に適した分相応の行動が期待される。その行動の中には学生生活において数多くの行動あるいは不行動が要求されるが、特に今関係するのは、目立たないということだろう。

 <U>の世界ではこのような桎梏からも解放される。桎梏を押し付ける前提が消滅するからだ。<U>の世界では、目で見てすぐに優劣を決定づける特徴は存在しない。確かに、Asは視覚的に優劣を決定できるものではある。しかし<U>の世界が仮想世界であり、物理世界の容姿は分からない。加えて、通常、物理世界の方が重要とされているから、実質的にAsの見た目は不問とされ、仮想世界では平等な社会の様相を呈する。物理世界に重点を置くのは細田監督の考えでもある。そのことは、本作を締めくくるラストが物理世界の河辺であったことからも分かる。

 

ネットから得られる平等

 したがって、仮想世界の上記した状況であるから、彼女はログインしてすぐに歌うことができたのだ。彼女は上記した仮想世界の平等性を無意識に嗅ぎ取ったのだ。それは他人が彼女に押し付けないという意味もあるが、より重要なのは、自分自身で分を守るという拘束をしなくて済むということだ。

 かくして彼女は<U>の世界で歌い始める。すずが歌えるようになった理由というストーリーの整合性を議論してきたが、以上の内容から新たなことが分かる。すなわち「ネットによる参加・機会の平等」という本作のテーマを掘り下げる手立てが入手できたことだ。

 ネットにおける平等とは、色々な意味で言われる。だが私たちが手にしたものから推察するなら、人々が身体や常識から平等に解放されている世界を見ることができる。つまり<U>という仮想世界では、私たちは私という拘束を除けば、私たちの望むように振舞うことができるのだ。繰り返しになるが、このことのゆえに、すずは<U>の世界で歌うことができるようになったのだ。

 細田監督の慧眼には私たちを支えるネットに平等性を生む特徴が映り、それを本作の映像の中で上手く表現している。続いて、平等性が達成された世界で、私たちにとって重要となるものは何なのか考えたい。そして、これも劇中に示されていることだ。

 

平等と個人の意思・選択

<U>の世界での人物たち

 2章で、すずは<U>という仮想世界を経由することによって、種々のしがらみが解き放たれ、彼女が望んだ歌う自由を得られたことを見た。3章では、様々な足枷が取り払われた現代において広がる世界に関する本作での表現を見ていく。本作ではこの新しい世界に存在する3つのタイプの人間たちが描かれていた。第1に<U>の世界で自由に振舞うことができるために、悪道な行為を行う者である。これは竜やスワンとして描かれる。第2に、第1の者を取り締まるため、あるいは<U>での影響力・経済効果を利用すべく参入しようする者たちによって、<U>の世界に階層秩序が導入される。これは主として、<U>内の自警集団「ジャスティス」のリーダージャスティンを代表として、彼にアンベイル(Asを物理世界の姿に戻すこと)武器を与える大手スポンサーたちの登場などが描かれる。第3は本作で最も重要なことで、すずが体現している。前者2点はネットの特徴とそれに対する人間たちの反応をよく捉えられているが、本作にとって重要なのは、最後に指摘したすずが体現しているところにあると思うので、それについて書いていく。

 

すずの選択

 彼女が体現するのは、個人の意思と選択の重要性である。彼女が行った選択はそれほど大きなものではない。すなわち、歌うこと、竜(恵)を救うこと、そして忍への恋を諦めないことの3つだ。彼女は何度も歌を捨てようと思うが、捨てられない。<U>の世界で歌えるようになり、彼女は歌うことを決意する。<U>の世界で起こった変化が物理世界・仮想世界横断的な恵(竜)を救う選択へとつながる。彼女は<U>の世界で恵を救うために自らアンベイルし、すずとして多数の聴衆を前に歌う。そして、その後彼女は彼を救いに物理世界にいる彼の元へ向かう。

 2章で書いた仮想世界による解放と第3節で明示した個人の意思と選択の重要度が高まるのは表裏一体である。2章で見たしがらみはすずの力だけでは解決不可能なものだった。それは身体に刻まれた吐き気や誰かが決めたルールや常識だったためだ。2章までの彼女は歌えないことについては吐き気を理由に、忍への恋心からもスクールカーストを理由に逃げ出していた。それに母親の行為を認めることができなかった。

 しかし、このしがらみが解放された仮想世界を経て、彼女は歌い始め、忍を追い始める兆しがある。もし彼女が仮想世界で歌うことができなかったなら、どのような理由だと考えられるだろうか。それは当然彼女自身の意志である。彼女の力ではどうにもならない環境的な要因は仮想世界という状況によって排除されている。このときに障害があるとしたら、彼女自身になる。つまり彼女に歌う気がないということだ。もちろんこのことは恵(竜)を救うシーンでも同じである。つまり、恵の悲惨な状況はネットの動画サイトに投稿され、世界に開かれていた。誰もが彼らの状況を知ることができた。彼らを助けることができるのは、理論的には世界中のどの人物でも可能だった。

 

 彼女の劇中の期間で仮想世界に出会い、その世界のおかげもあって、彼女の意思以外のノイズを排除して、彼女は選択をする。それは彼女が最も望むことだろう。彼女はこのように選択するによって、過去のトラウマを抱え、停滞・鬱屈した日々から一歩を踏み出す。仮想世界ではなく、物理世界で歩を進めたのも印象的だ。これは上述したように、細田監督自身が物理世界を重要視しているためだろう。

 

まとめと感想

  本作では、仮想世界を通して、ネットによる平等な社会の到来とそれに伴って、個人の意思と選択の重要性が高まる社会になる、つまり自分以外の言い訳無用の世界に限りなく近接した社会になっている様子を描いている。本作のすずは典型的な引っ込み思案な女子高生として登場している。彼女が<U>の世界にログインし、彼女の選択によって自分自身を変えていく物語である。本作について賛否両論があり、さらには最近の細田監督作品には脚本面で批判的な意見も多いようだった。

 しかし、私は、細田監督のコメントにある

 「インターネットは、誹謗中傷やフェイクニュースなどネガティブな側面も多いですが、人間の可能性を広げるとても良い道具だと思っています」

(「竜とそばかすの姫」特報公開、細田守「ずっと創りたいと思っていた映画」(動画あり / コメントあり) - コミックナタリー (natalie.mu))

という言葉がまさに本作で表現されていたように感じ、私は上述した内容で、特に脚本面で本作を楽しめた。その視点からは『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』、『サマーウォーズ』から新しい地点に立っているようだった。

 また、豪華な3Dや音響なども見所満載の作品だった。

 前作の『未来のミライ』から一転して、原点回帰的な作品となっている。ただ原点に戻るだけではなく、一貫するテーマを本作でも提示し、その歩みを見せてくれた。すずが<U>の世界を通じて成長したように、細田監督自身もどのようなジャンルという地点でどのような成長を見せてくれるのか次回作に期待したい。